概略
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1973年2月26日(48歳) | ||
出身地 | ムーレ・オ・ロムスダール県クリスチャンスン | ||
身長・体重 | 178cm、74kg |
Ole Gunnar Solskjær
ポジションはフォワード(セカンドトップ、右ウイング)、ミッドフィールダー(右サイドハーフ)。
利き足は右。
愛称は「ベビーフェイスの殺し屋」。
1990年代から2000年代にかけて活躍したノルウェー代表のアタッカー。
マンチェスター・ユナイテッドで活躍し、UEFAチャンピオンズリーグを制覇した。
リーグ優勝6回、FAカップ2回、リーグカップ1回、トヨタカップ1回と様々な栄光を掴み取る。
獲得タイトル
クラブ
クラウセネンゲン
- 3. divisjon:1993
マンチェスターユナイテッド
- プレミアリーグ:1996-1997、1998-1999、1999-2000、2000-01、2002-03、2006-07
- FAカップ:1998–99、2003–04
- FAチャリティー/コミュニティシールド:1996、 2003
- UEFAチャンピオンズリーグ:1998–99
- インターコンチネンタルカップ:1999
- トヨタカップ:1999
個人
- 聖オーラヴ勲章の騎士、ファーストクラス、2008年
- Kniksen Awards:1996年のKniksen of the Year、2007年のKniksenの栄誉賞、2011年のCoach of the Year 、2012年
- サッカーと慈善活動への取り組みが評価され、2009年にピアギント賞を受賞。
- ノルウェー年間最優秀選手:1回(1996年)
経歴
クラブ | |||
---|---|---|---|
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1990-1995 | ![]() |
109 | (115) |
1995-1996 | ![]() |
38 | (31) |
1996-2007 | ![]() |
235 | (91) |
通算 | 381 | (237) | |
代表歴 | |||
1995-2007 | ![]() |
67 | (23) |
クラブ
1989年、地元のサッカークラブ「クラウセンゲンFK」のユースに所属。
翌1990年夏、トップチームに昇格し17歳でデビュー。
在籍5年間で出場試合数を上回る115得点を記録し、4部にいたクラブの3部リーグ昇格に貢献する。
1995年、国内トップリーグ・エリテセリエン所属のモルデFKに移籍。
初年度から翌1996年にかけて、公式戦31得点を記録する。
国内リーグやUEFAのカップ戦でも活躍した事から評判を呼び、競合の末イングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドに移籍した。
1996-97シーズンの8月にプレミアリーグデビュー。
96/97シーズンにマンチェスター・Uに加入するが、世界的には全く無名の選手であったため、サポーターからはその獲得に対して疑問の声が多く挙げられた。
しかし、シーズンが始まると見事なまでの決定力で、当時まだ燻っていたアンディ・コールからスタメンの座を奪う。
カントナとのコンビで面白いようにゴールを挙げ、一気にマンチェスター・Uのスターとなる。
結局このシーズン18ゴールを挙げ、リーグ優勝の原動力となった。
しかし、翌97/98シーズンにはシェリンガムの加入や、アンディ・コールの復調により、ベンチを温める機会が増える。
このシーズンはスーパーサブとして起用されたが、6ゴールに留まり、チームもリーグ優勝を逃した。
さらに98/99シーズンには、ドワイト・ヨークがチームに加入し、コールとの2トップが爆発的な破壊力を見せたため、ベンチが定位置となってしまった。
このシーズンもスーパーサブとして起用されることとなったのだが、ここで驚異的な活躍を見せる。
試合の終盤に登場すると、おもしろいようにゴールを重ねる。
エヴァートン戦では、10分間で4ゴールを挙げるという凄まじいまでの活躍を見せている。
ヨーク、コールの2トップに、スールシャールを加えたFW陣は抜群の決定力を誇り、リーグ優勝を果たすと、CLでも決勝進出を果たした。
決勝の相手はバイエルン・ミュンヘン。
この試合、バイエルンのバスラーのゴールを許したマンチェスター・Uは、この試合攻守の要であるロイ・キーンとスコールズを欠いており、本来の攻撃を全く見せることはできていなかった。
CLでも圧倒的な活躍を見せていたヨーク、コールの2トップも全く見せ場が無かった。
試合後半にファーガソン監督は、シェリンガムとスールシャールを続けて投入する。
しかし、それでもゴールを奪うことはできず、ロスタイムを迎える。
すでにマテウスはピッチを後にし、バイエルンのベンチは勝利を確信し、涙を流しているサポーターさえいた。
ロスタイム91分。
ベッカムのCKがクリアされたが、それを拾ったギグズがシュートを放つとシェリンガムが合わし、バイエルンのゴールにねじ込んだ。
この時点でバイエルンの選手は呆然としており、集中力はかなり欠いていた。
もし、マテウスがピッチに残っていれば持ち直していたかもしれない。
ロスタイム93分。
またしてもCKを得たマンチェスター・Uは、再びベッカムがCKを蹴る。
そのボールに飛びついたシェリンガムのヘッドはボールの軌道を変え、そのボールに反応したのはスールシャールであった。
その数秒後スールシャールはチームメイトに揉みくちゃにされ、世紀の逆転劇の主人公となった。
この活躍によって、世界的に有名になったスールシャールではあったが、99/00シーズンも相変わらず3番手のFWだった。
もし、希望していれば他のチームでエースとなっていたかもしれないが、その現状を受け入れ、限られた環境の中で素晴らしい活躍を続けていく。
チームは98/99からプレミアリーグで3連覇を達成し、スールシャールは自身では納得していなかったかもしれないが、世界的に有名なスーパーサブとしての地位を確立した。
01/02シーズンには、シェリンガムがチームを去り、ヨーク、コールの2トップにも陰りが見えたため、チームはファン・ニステルローイを獲得。
そして、その相方となったのはスールシャールであった。
この2トップは面白いようにゴールを挙げた。
スールシャールはゴールだけではなく、多くのアシストを記録し更なる進化を見せた。
しかし、リーグ優勝を逃したファーガソン監督は、02/03シーズンからファン・ニステルローイの相方をスコールズにする。
これによって、再びスーパーサブとなると思われたが、ベッカムが故障したため、右のサイドハーフにコンバートされる。
そして、ここでもう一つの才能を開花させる。
右サイドで起用されたスールシャールは、鋭い突破と非常に正確なクロスを前線に供給。
さらに、内に切れ込んで多くのゴールを挙げ、その働きはベッカム以上とまで評価されることとなった。
しかし、翌03/04シーズンから故障に悩まされることとなる。
シーズン途中でピッチを離れると、ここから約2年に渡り治療に専念。
2003年以降は相次ぐ故障に悩まされ、ほぼ3年間満足に実戦に出られない日々を送っていたが、2006-2007シーズンに復帰。
2006年8月23日のプレミアリーグ、チャールトン・アスレティック戦で終了間際にゴールを決めて復活を果たした。
また9月2日に行なわれたEURO2008予選、対ハンガリー戦でも2ゴールを挙げる活躍を見せた。
その後も10月1日のニューカッスル戦で2ゴール、2007年1月7日のFAカップのアストン・ヴィラ戦では『カンプ・ノウの奇跡』を髣髴とさせるロスタイムでの逆転ゴールを決めてオールド・トラッフォードを歓喜の渦に巻き込み、完全復活を印象付けた。
しかしその後右膝の怪我が再発し、手術を受けて懸命なリハビリに務めたものの満足な回復が見られず、ついに2007年8月28日、現役引退を表明した。
代表
スールシャールは、マンチェスター・ユナイテッドに移籍する数ヶ月前の1995年11月26日、ジャマイカとの親善試合で国際デビューを果たした。
試合は1-1の引き分けに終わり、スールシャールはノルウェーの唯一のゴールを決めた。
1998年のワールドカップ予選では、代表チームで初めて試合に出場して3ゴールを挙げ、素晴らしいゴールのスタートを切った。
スールシャールはノルウェー代表として、1998年FIFAワールドカップとUEFAユーロ2000の両方に出場した。
トール=アンドレ・フローとのコンビは、ノルウェー史上最高のコンビと言われていた。
1998年W杯でもサブとして3試合に出場し、チームの決勝トーナメント進出に貢献。
1998年のW杯以降はノルウェーの絶対的エースとなる。
エースとして起用されるようになり、ユーロ2000予選では5得点をマークするなどしてチームを本大会へと導いた。
2002年W杯欧州予選ではチームの不振もあって本大会出場は逃した。
2006年9月2日に行われたユーロ2008予選のハンガリー戦(4-1)で、最初で最後のゴールを決め、フル出場を果たした。
このゴールが代表チームでの最後のゴールとなり、彼の通算ゴール数は23に達した。
2007年2月7日、スールシャールはクロアチア戦で2-1の敗戦を喫し、ノルウェー代表としての最後の出場となったが、通算67試合に出場した。
エピソード
98/99シーズン、チャンピオンズリーグ決勝。
バイエルン・ミュンヘンにリードを許していた、ユナイテッド。
後半ロスタイム、シェリンガムのゴールで同点に追いつくと、試合終了間際、一人の男が劇的な勝ち越しゴールをあげた。
そしてそのゴールは多くの人々の記憶に深く刻まれた。
そのゴールを決めた男こそがオレ=グンナー・スールシャールだった。
そんなエピソードを持つ彼の特徴は試合途中にピッチに現れて、すぐに結果を出せるという決定力だ。
当時、世界一のスーパーサブと評された。
以降のサッカー界でスーパーサブとして最も成功を収めた人物と言えます。
まあ、どこのチームに行ってもエースになれる実力があったので、もったいないと言えばもったいないのですが。
引退後
引退後、2008年から2010年までマンチェスター・ユナイテッドのリザーブチームの監督を務める。
2011年シーズンより、古巣であるノルウェー・モルデFKの監督に就任。
初年にリーグ初優勝に導き、翌シーズンも連覇を果たす。
2013年シーズンはノルウェーカップも制した。
また、サッカー支援組織「マンチェスター・ユナイテッド・サポーターズ・トラスト」の後援者となり、故郷のクリスチャンセンで若い選手たちのトレーニングアカデミー監督も務めた。
2014年1月2日、カーディフ・シティFCの監督に就任。
だがクラブは低迷し2部へ降格。
2014-15シーズンも引き続き指揮を執ったが17位と結果を残すことはできず、9月18日に解任された。
2015年10月21日、モルデFKの監督に復帰。
2017年、2018年シーズンにて2位の成績を残す。
2018年末、マンチェスター・ユナイテッドの監督を解任されたジョゼ・モウリーニョに代わり、モルデFKからエリテセリエンのオフの期間を利用したローンの形で同クラブの暫定監督に就任した。
2019年3月28日、正式に監督に就任し、3年契約を締結した。
プレースタイル
洗練されたテクニックとバランス感覚に加え、左右両足から繰り出される強烈なシュートから数多くの貴重な得点を記録したアタッカー。
足元の技術には定評があり、絶妙のトラップからシュートを放つ。
シュートは右左関係なく放つことができ、長身ではないが空中戦にも強さを見せる。
非常に高いキープ力を持ち、2,3人のDFに囲まれてもなかなかボールを失わない。
そして、なによりも特筆すべき点は、驚異的な集中力の持ち主で、わずかな時間で決定的な仕事をこなしてしまう。
しかし、それゆえ、スタメンに名を連ねる実力を持ちながら、スーパーサブとしてベンチを温めることが多かった。
プレミア強豪マンチェスター・ユナイテッドの頼れるスーパーサブとして断固たる地位を築いた事でも知られる。