概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1977年2月15日(44歳) | ||
出身地 | ![]() クラニスカ地方リュブリャナ |
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身長 | 186cm | ||
体重 | 76kg |
Milenko Acimovic
ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ、左サイドハーフ)。
利き足は右。
1990年代から2000年代にかけて活躍したスロベニア代表のミッドフィールダー。
小国スロベニアがEURO2000と2002ワールドカップ出場に貢献。
中心選手の一人として活躍した。
獲得タイトル
リール
- UEFAインタートトカップ:2004
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1994–1996 | FKゼレズニチャル・リュブリャナ | 29 | (8) |
1996–1998 | オリンピア・リュブリャナ | 36 | (7) |
1998〜 2002年 | レッドスター・ベオグラード | 102 | (34) |
2002〜 2004年 | トッテナム・ホットスパー | 17 | (0) |
2004年 | →リール(ローン) | 16 | (6) |
2004〜 2006年 | リール | 31 | (6) |
2006〜 2007年 | アル・イテハド | ||
2007〜 2010年 | オーストリア・ウィーン | 101 | (30) |
代表歴 | |||
1997年 | スロベニアU20 | 1 | (1) |
1995〜1997 | スロベニアU-21 | 9 | (0) |
1998〜 2007年 | スロベニア | 74 | (13) |
2003年 | スロベニアB | 2 | (0) |
クラブ
ゼレズニチャル・リュブリャナのユースでキャリアをスタートさせた。
18歳のときに1部リーグで4試合に出場した。
1996年から1998年まで、オリンピア・リュブリャナで36試合に出場し、リーグ戦で7ゴールを挙げた。
その後、レッドスター・ベオグラードに移籍し、4年半プレーした。
ユーロ2000やワールドカップ2002でスロベニア代表として活躍した後、ヨーロッパのいくつかのビッグクラブが彼に興味を示した。
2002年の夏、彼はトッテナム・ホットスパーに移籍した。
ロンドンでの最初のシーズン、彼はいくつかの試合に出場したが、トップチームに定着することはなかった。
2年目のシーズンでは、フリンジプレーヤーとして活躍した。
2004年1月には、フランスのリールにシーズン終了までのレンタル移籍で加入した。
到着時、クラブはリーグ1で14位に沈んでいたが、アチモビッチは最終的にチャンピオンズリーグ出場権を獲得するのに十分な2位の成績に貢献した。
また、リールでの1年目には、UEFAカップにも参加し、ベスト16に進出したが敗退した。
翌年には、チャンピオンズリーグの予選3回戦に出場し、グループステージに進出した。
アチモビッチは、パリで行われたマンチェスター・ユナイテッド戦で、リールの唯一のゴールを決め、1-0で勝利した。
リールでの2シーズン半の後、彼は人気を失い、2006-07年のシーズンにアル・イテハドに移籍した。
しかし、サウジアラビアでの生活に馴染めず、契約を打ち切ることで合意し、その後、ヨーロッパに戻り、オーストリア・ウィーンに移籍した。
2010年9月15日、右ひざを痛めてしまい、サッカー人生を終えた。
代表
1998年4月22日、ムルスカ・ソボタで行われたチェコ戦で、スロベニア代表としてデビューした。
UEFAユーロ2000予選のウクライナ戦1stレグでは、ハーフウェイライン付近から勝ち越しゴールを決め、チームの初のメジャー大会出場に貢献した。
2002年のFIFAワールドカップでは、西帰浦でパラグアイに3-1で敗れた際にゴールを決めた。
2007年3月28日にツェリエで行われたユーロ2008の予選で、ホームでオランダに1-0で敗れたのが最後の代表出場となった。
同年8月に国際サッカーからの引退を発表した。
エピソード
引退後、2011年1月、スロベニアに戻ったアチモビッチは、オリンピア・リュブリャナのサッカーディレクターに任命され、2012年9月まで在籍したが、リーグでのチームの成績が悪かったため、辞任した。
プレースタイル
リーチの長さを活かしたボールコントロールと正確なキックが持ち味。
キックの精度が素晴らしく、フリーキッカーとしても優秀。
旧ユーゴの選手らしくテクニックに秀でた選手だった。