概略
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1980年9月24日(40歳) | ||
出身地 | モルデ | ||
身長 | 185cm | ||
体重 | 77kg |
John Arne Riise
ポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ)。
利き足は左。
愛称は「ジンジャー」。
2000年代に活躍したノルウェー代表のサイドバック。
リヴァプールで活躍し、2004-2005シーズンUEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献した。
獲得タイトル
クラブ
- ASモナコ
- フランスリーグ・アン : 1 (1999-00)
- トロフェ・デ・シャンピオン : 1 (2000-01)
- リヴァプールFC
- FAカップ : 1 (2005-06)
- カーリングカップ : 1 (2002-03)
- UEFAチャンピオンズリーグ : 1 (2004-05)
- コミュニティーシールド : 2 (2001, 2005)
- UEFAスーパーカップ : 1 (2001, 2005)
アポエル
- キプロスファーストディビジョン:2014–15
- キプロスカップ:2014–15
個人
- ノルウェー最優秀選手賞 : 1 (2006)
経歴
クラブ
リーセは地元のプロクラブオーレスンFKでキャリアをスタートさせた。
デビュー2シーズン目からレギュラーの座を掴むと、1998年に自身のキャリアの土台となる時期を過ごすリーグ・アンのASモナコに引き抜かれた。
2005年4月、オーレスンFKが彼らの新スタジアムを開設した。
地元の経営者であったオラフ・ニルス・スンデは、スタジアム建設記念にリーセの銅像をクラブに寄付した。
現在もそのまま残っているこの銅像は、当時はリーセの知名度の低さから誰を称える銅像かを認識できない人が多かった。
2007年、UEFAチャンピオンズリーグ決勝の舞台に立ったリーセは試合後、母国ノルウェーのリポーターからこのことを尋ねられ、「俺がもっと有名になればいいだけの話。そうすれば、どいつも銅像を見ればすぐに俺だとわかるはずさ。」と返答した。
リーセはモナコで1999-2000シーズンのリーグ制覇をレギュラーとして経験したが、当時の監督クロード・ピュエルから完璧な信頼を得られておらず、シーズン終了後にモナコを退団することで両者合意した。
リーセにはプレミアリーグ、特にフラムFCやリーズ・ユナイテッドFCからの接触があり、両クラブは400万ポンドの移籍金を用意したが、モナコ側の要求は600万ポンドであったため、これらの移籍は実現しなかった。
リーセを換金したかったモナコは結局、リヴァプールFCに400万ポンドでリーセを売却した。
2001年8月24日、古巣モナコのホームスタジアムスタッド・ルイ・ドゥで行われたUEFAスーパーカップのFCバイエルン・ミュンヘン戦で移籍後公式戦初出場。
デビュー戦ながら3-2での勝利につながるゴールを決め、自身のリヴァプールにおける最初のタイトルを獲得した。
また、リーセはプレミアリーグでも度々重要なゴールを決めている(アーセナルFC戦やニューカッスル・ユナイテッドFC、さらにはマンチェスター・ユナイテッドFCなど)。
リーセは加入以降背番号18番を着用していたが、2004-05シーズンから6番を着用し始めた。
この6番は直前までマルクス・バッベルが身に着けていたものである。
2002-03、2003-04シーズンにおけるチームの評価は可もなく不可もなくであったが、2004年に監督がラファエル・ベニテスに代わるとすぐにレギュラーとして活躍。
2004-05シーズンには、ハリー・キューウェルの長期離脱のため左サイドハーフを任され、9ゴールを記録。
UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05決勝でも左サイドハーフとして先発出場。
決勝はACミランを相手に3点のビハインドを追いついての劇的なPK戦勝利で、この大会の優勝に貢献した。
2005年のリーグカップ決勝では、試合開始45秒でゴールを決めた。
これは大会史上最速のゴール記録樹立となったが、試合自体はチェルシーFCに延長戦の末2-3で敗戦した。
2006年1月、アンフィールドで3年間の契約延長をした。
また、2年後には現役引退までリヴァプールに留まることを発表した。
2005-06シーズンのFAカップ準決勝ではチェルシーと対戦し、この試合唯一のゴールを決めた。
決勝ではウェストハム・ユナイテッドFCを破り自身初のFAカップタイトルを獲得した。
2006年の秋、リヴァプールはアウェイゲームで勝ち点を落とす試合が増え始め、ホセ・マヌエル・レイナやジェイミー・キャラガーらがリーグ優勝を諦めたかのような発言をしたことにリーセが反応し、「俺たちは諦めない。しかし臆病者は諦める。」と発言した。
2008年1月15日、ルートン・タウンFCに先発フル出場したことで、リヴァプールにおける公式戦出場数で50位にランクインした。
この記録達成はわずか7年間の出来事である。UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08準決勝1stleg、ホームでのチェルシー戦では1-0とリードした後半ロスタイムに、相手のクロスをクリアしようとしてダイビングヘッドをするもオウンゴールとなってしまい、引き分けに終わる。
結局アウェーでは延長戦の末1点差で敗れ、リヴァプール敗退の戦犯となってしまった。
リヴァプールでの2007-08シーズンにバレンシアCFから移籍してきたブラジル人DFファビオ・アウレリオにポジションを奪われたことや先述のミスなどが原因で移籍を希望するようになったリーセは、2008年6月18日、セリエAのASローマに移籍した。
ローマはリヴァプールに対して500万ポンドを支払った。
また、移籍金は一括ではなく2年に分けて分割で支払われる。
加入してからもハードワークを続けたことでローマファンからの支持を集め、上位陣撃破に貢献するプレーを見せた。
実際、リーセのローマ移籍後初ゴールは前年度チャンピオンのインテル戦である。
2か月後のACミランとの重要な一戦ではゴール右上に突き刺したフリーキックと1つのアシストで3-2での勝利に貢献。
この試合のMVPに選出されている。
そのほかユヴェントスFC戦などでもヘディングによるゴールを挙げている。
2009年3月11日のUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09決勝トーナメント1回戦のアーセナルFC戦では負傷したフアンの代わりに急遽CBに入り穴を埋めて見せるなど攻守に活躍し、この試合のマンオブザマッチに選ばれた(ただしローマはPK戦の末敗退)。
2011年7月6日に3年契約でフラムFCに移籍。
イングランドには3シーズンぶりの復帰となる。
なお、これによって弟ビヨルンと同じチームに所属することとなった。
7月21日のUEFAヨーロッパリーグクルセイダーズFC戦でデビューした。
2014年5月23日、クラブから放出された。
その後、様々なクラブを転々とした後、2017年に現役を引退した。
代表
2000年1月31日、アイスランド戦でノルウェー代表デビュー。
2月23日、親善試合のトルコ戦で初ゴールを挙げ、2-0で勝利した。
同年末、UEFAユーロ2000で自身唯一の国際大会出場を果たしたが、 グループCの3試合すべてで交代要員として出場しなかった。
これ以降、ノルウェー代表としてメジャー大会に出場することは叶わなかった。
その後の10年間、リーセはノルウェーのファーストチョイスの左サイドバックとして活躍し、2011年11月12日、ノルウェーがウェールズに4-1で敗れた際に、100回目の国際試合に出場した。
2012年8月15日、リーセはノルウェー代表として104回目の試合に出場し、トルビョルン・スヴェンセンの持つノルウェーの最多キャップ記録に並び、最終的にはそれを超えて2013年に国際サッカーから引退した。
エピソード
UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05の準決勝でチェルシーを破った試合終了後、興奮の絶頂にあったリーセは、突然着ていたユニフォームを脱ぎだし、パンツまで脱ごうとしていたところをリヴァプールの関係者に取り押さえられた。
冷静さを取り戻した本人はこの出来事を「危なかった。」と振り返っている。
ただし、この試合に限らず、自らがゴールするとユニホームを脱いで喜びを露わにする癖がある。
赤毛のため、リヴァプール移籍直後は「ジンジャー」というニックネームを付けられたが、本人曰く「ノルウェーではこれくらいの赤毛は全く珍しくないので、何故自分が『ジンジャー』と呼ばれているのか分からなかった」とのこと。
UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07、2月のFCバルセロナ戦前日に、1週間ほど前の合宿の打ち上げパーティで「カラオケを歌わなかった」という理由で、元チームメイトのクレイグ・ベラミーにゴルフクラブで足を殴られたとイギリス各紙で報道された。
しかしその翌日の試合で、殴った張本人のベラミーからのパスを受け、2点目のゴール決め、勝利に貢献している。
UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08準決勝のホームでのチェルシー戦では1-0とリードした後半ロスタイムに、相手のクロスをクリアしようとしてダイビングヘッドをするもオウンゴールとなってしまい、引き分けに終わる。
結局アウェーでは延長戦の末1点差で敗れ、リヴァプール敗退の戦犯となってしまった。
リヴァプールでのチームメイトであった、同クラブのキャプテンであるスティーヴン・ジェラードを尊敬している。
2009年10月22日のUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのフラム戦では弟のビヨルン・ヘルゲ・リーセとともに揃って先発出場を果たした。
リーセは幼馴染でモデルのグリ・ハヴネヴィクと2003年に結婚している。
しかし、1年で離婚した。
彼らの間には1人の女の子がおり、名前はアリアナである。
リーセは彼女の名前を自身の右腕にタトゥーとして入れている。
2007年、マリア・エルヴェガルドと再婚。
2008年夏に挙式予定だったが、リーセのASローマ移籍の影響で1年延期され、1年後に近親者のみでニューヨークにて行われた。
二人の間には1男1女がいる。
リーセの左腕には息子のパトリックという名前が彫られている。
しかし、2012年7月にまたも離婚。
2014年5月、ルイス・アンジェリカと再婚した。
プレースタイル
主に左SBもしくは左MFでプレーするレフティ。
強烈な左足を持っており、ミドルシュートも得意。
優れたボディバランスとスタミナを武器に、左サイドを主戦場とする。
サンダーボルト (稲妻) とも呼ばれる左足の強烈なミドルシュートを武器とし、その威力は世界屈指である。
ゴールが見えるとシュートを打つ傾向にあるものの、枠内に飛べば強烈なシュート力故に、直接入らずとも二次的なチャンスに繋がる可能性も高い。
また、スピードに乗った状態でのクロスボールは確かな精度を伴う。
さらにゴール前まで届くロングスローを持つ。
怪我にも非常に強く、悪質なタックルを受けても平然としていることが度々見られる。
左足に備える大砲は脅威以外の何者でもない。
セットプレーを非常に得意としていて頻繁に上がってきては果敢にシュートを放ちリーセらしい一面を見せてくれる。
ちなみにダイレクトプレーも得意としている。
運動量も豊富で攻めあがった後の帰還するスピードは素晴らしい。
攻撃参加も頻繁に行い、FWより高い位置にいることもあるが、守備を疎かにすることは少ないが、守備には少々不安を抱えている。
前述のように本職は左サイドバックで左サイドハーフでもプレーできるが、緊急時にはセンターバックも無難にこなす。