ラースロー・ベレニ

概略

国籍  ルーマニア
生年月日 1953年3月11日(68歳)
出身地 トゥルグ・ムレシュ
身長・体重 176cm、72kg

 

László Bölöni

 

ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ、オフェンシブハーフ)。

 

利き足は左。

 

1970年代から1980年代にかけて活躍したルーマニア代表の司令塔。

 

ルーマニアで初めて代表100キャップを記録した選手でハジ以前のルーマニアサッカーのカリスマ的存在。

 

獲得タイトル

クラブ

FCステアウア・ブカレスト
  • リーガ1: 1984-85, 1985-86, 1986-87
  • クパ・ロムニエイ: 1984-85, 1986-87
  • UEFAチャンピオンズリーグ: 1985-86
  • UEFAスーパーカップ: 1986
  • インターコンチネンタルカップ準優勝:1986

個人

  • ルーマニア年間最優秀サッカー選手賞: 1977, 1983

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1970-1984 ルーマニアの旗 トゥルグ・ムレシュ 406 (64)
1984-1987 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 97 (24)
1987-1988 ベルギーの旗 ラシン・ジェ・ワーヴル 16 (0)
1988-1989 フランスの旗 クレテイユ=リュシタノ 11 (2)
1989-1992 フランスの旗 オルレアン 77 (4)
代表歴
1975-1988 ルーマニアの旗 ルーマニア 102 (23)

 

クラブ

 

14歳でディビジョンCのキミカに入団した頃にはすでに広く知られるような将来を約束された選手であり、期待に応えるように成長していった。

 

そのキミカ・トゥルナヴェニでサッカーを始め、17歳の時にASAトゥルグ・ムレシュに加入した。

 

その後20代の全盛期に14シーズンに渡り活躍。

 

1971年8月にディヴィジアAでデビューをして以来、チームをルーマニア国内で上位に押し上げる原動力となり、1977年と1983年には年間最優秀選手賞に選ばれた。

 

また、サッカー選手としての活動と並行して大学に通い、歯科医師の免許を取得して卒業した。

 

1984年、30代になってからステアウア・ブカレストへ移籍すると国内では3度のディヴィジアA優勝、2度のクパ・ロムニエイに貢献、国際舞台では1986年にUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たした。

 

ようやく栄冠を得ることができた。

 

1987年からは国外に活躍の場を求め、ベルギーのラシン・ジェ・ワーヴルフランスのUSクレテイユ=リュシタノやUSオルレアンでプレーをした後に現役を引退した。

 

代表

 

ルーマニア代表としては、1975年9月24日に行われたバルカン・カップのギリシャ代表戦でデビュー。

 

代表では不可欠の存在であり、84年欧州選手権予選では最多の8試合に出場し、堅守のチームにあって2試合で決勝ゴールを決めて、最終戦でギリギリ1ポイント差でスウェーデンを振り切り、14年ぶりの国際舞台本選出場に多大な貢献を見せた。

 

この活躍で83年に自身2度目となるルーマニア最優秀選手に選ばれる。

 

1984年にフランスで開催されたUEFA欧州選手権1984本選では、3試合に出場した。

 

その後、1988年6月1日に行われたオランダ代表との国際親善試合を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ102試合に出場し23得点を挙げた。

 

エピソード

 

17歳にはティルナベニのスタジアムで試合観戦中だった父親が心臓発作で急死するという悲劇が起きた。

 

落ちついた性格で信頼が厚く、サッカー以外に歯科医としても有名である。

 

引退後はフランスのナンシーの監督を経て、2000年欧州選手権で身を引いたイエネイ監督の後を継いで代表監督になったが、協会の体制に嫌気がさして2002年ワールドカップ日韓大会予選途中に辞任している。

 

その後ポルトガルのスポルティング・リスボン、フランスのレンヌで監督をしている。

 

スポルティング監督時に見出した現在のポルトガル若手スターのC・ロナウドやR・カレスマなどからは今も師と仰ぐほど尊敬されている。

 

プレースタイル

 

プレースタイルは左足のエレガントなテクニックと正確なロングパス攻撃をリードするレジスタ。

 

その左足から繰り出される高精度のパスで攻撃を組み立てた。

 

また同時に強力なロケットシュートを武器とするシューターでもある。

 

特に77年のギリシャとの代表戦で見せたハーフラインからの超ロングシュートは圧巻。

 

またスタミナも豊富でチームワークにも優れており、ピッチを駆け回るチームにはかかせない存在であった。

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