アドリアン・イリエ

概略

Adrian Ilie – Skills and Goals
国籍  ルーマニア
生年月日 1974年4月22日(46歳)
出身地 ブラショフ
身長 180cm
体重 74kg

 

Adrian Ilie

 

ポジションはフォワード(セカンドトップ、センターフォワード、左ウイング、右ウイング)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ、右サイドハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「コブラ」。

 

1990年代から2000年代にかけて活躍したルーマニア代表のアタッカー。

 

スペインの強豪バレンシアで活躍した。

 

獲得タイトル

クラブ

ステアウア・ブカレスト

  • ルーマニアリーグ:1993-1994、1994-1995、1995-1996
  • ルーマニアカップ:1995–96
  • ルーマニアスーパーカップ:1994、1995

ガラタサライ

  • トルコリーグ:1996-1997、 1997-1998
  • トルコスーパーカップ:1997

バレンシア

  • リーガ:2001–02
  • スパニッシュカップ:1998–99
  • スーペルコパデエスパーニャ:1999
  • UEFAインタートトカップ:1998
  • UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:1999-2000、2000-01

チューリッヒ

  • スイスカップ:2004–05

個人

  • ルーマニア年間最優秀選手:1998年

 

経歴

All Adrian Ilie goals with Romania
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1991-1993 ルーマニアの旗 エレクトロプテレ・クラヨーヴァ 31 (12)
1993-1996 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 85 (28)
1996-1998 トルコの旗 ガラタサライ 30 (12)
1998-2002 スペインの旗 バレンシア 84 (29)
2002-2003 スペインの旗 アラベス 22 (6)
2003-2004 トルコの旗 ベシクタシュ 13 (6)
2004-2005 スイスの旗 チューリッヒ 23 (7)
通算 287 (100)
代表歴
1993-2005 ルーマニアの旗 ルーマニア 55 (13)

 

クラブ

 

1991年にFCエレクトロプテレ・クラヨーヴァで選手キャリアをスタートすると直ぐに頭角を現し、1992年には30試合出場12得点を記録した。

 

翌1993年にはステアウア・ブカレストへ移籍、同年にはルーマニア代表入りを果たした。

 

ステアウア・ブカレストの国内リーグ4連覇に貢献すると、母国の英雄であるゲオルゲ・ハジ率いるガラタサライSKへ移籍。

 

そこでの活躍により1997-98シーズン途中にはスペインのバレンシアCFへと当時のルーマニア選手の移籍金最高額で引き抜かれた。

 

スペインではシーズン途中からの加入にも関わらず、ゴールを量産。

 

アルゼンチンのクラウディオ・ロペスやアリエル・オルテガと共にカウンターアタックの一翼を担った。

 

加入後、いきなり12得点を決める活躍でスペインメディアの評価も得た。

 

この年のルーマニア最優秀選手にも選ばれる。

 

翌年にもリーグで11ゴール、スペイン国王杯獲得に貢献するなどしたが、徐々に慢性的なケガに苦しみ欠場と復帰を繰り返すようになる。

 

バレンシアのチャンピオンズリーグ快進撃の99/00シーズンには12試合出場してファイナルにも途中出場している。

 

バレンシアでは監督との確執、2000年問題に備えての練習不参加などの不可解な行動や、新戦力の補強により出場機会も減って行ったがサポーターと地元メディアはイリエを起用しない首脳陣に対し才能の買い殺しであるとイリエへの賛辞を送った。

 

怪我がちなことも重なりクラブ然り代表然りと出場機会が減っていたが、不運は続いた。

 

2001-02シーズンの優勝がかかった大事なレアル・マドリードとの一戦でイリエのゴールがオフサイドと判定されたことがあった。

 

後にこのゴールは誤審であったと審判団も認めたが、時既に遅くこの一戦に敗れたバレンシアはシーズン優勝をレアル・マドリードに奪われた。

 

そしてイリエ自身もバレンシアとの契約延長はなかった。

 

バレンシア最後のシーズンには10試合2得点の寂しい記録ながらも念願のリーグ制覇を経験した。

 

中心選手として期待され、デポルティーボ・アラベスと契約するが怪我の再発などによりトップコンディションを維持する事は出来なかった。

 

そしてクラブも2部へと降格。

 

翌シーズンは所属クラブすら失い、28歳の若さにして浪人となる。

 

長期のブランクを経てトルコのベシクタシュへ移籍すると、2003年UEFA杯での古巣バレンシア戦では健在ぶりをみせた。

 

しかし薬物使用により2004年11月に所属クラブを解雇され7ヶ月間の浪人となっていた。

 

2004年、アドリアン・イリエはスイス・スーパーリーグのFCチューリッヒで背番号10を背負い活躍をしたが、長年苦しんできた怪我が慢性化したことも繋がり、2005-06シーズン前に31歳で引退という結果となった。

 

2009年2月25日チェチェンのクラブFCテレク・グロズヌイで現役復帰を果たす予定だったが、メディカルテストに引っ掛かり、入団は取り消しになった。

 

代表

 

1993年に代表デビュー。

 

96年欧州選手権で全3試合に出場。

 

98年フランスワールドカップ欧州予選には8試合出場し、本選のW杯グループリーグ初戦のコロンビア戦ではベストゴールの一つとも言われるチップキックシュートを決め、1-0の勝利に貢献した。

 

このあざ笑うかのような芸術的ループシュートで世界の注目を浴びた。

 

第2戦のイングランド戦では、前半の半ばに右サイドのペナルティエリア外、ゴールまで約30m〜40mの距離からループシュートを放ち、イングランドゴールを脅かした。

 

2000年欧州選手権予選で6試合5得点。

 

本戦のEURO2000でもルーマニア代表のエースとして活躍したがドイツ戦での不可解なイエローカード等があり、ベスト4を賭けたイタリア戦には出場出来なかった。

 

薬物使用等の問題でルーマニア代表からは遠ざかっていたが、2005年2月国際親善試合スロヴァキア戦で復帰を果たした。

 

プレースタイル

Adrian Ilie "Cobra"

俊足でテクニックを兼ね備え、緩急自在で変化に富んだドリブルで相手DFを混乱に陥れるストライカー。

 

MFでもプレーできる幅広さで、どこからでもゴールを決められる素晴らしい得点感覚から“コブラ”と呼ばれている。

 

鋭いドリブルやスルーパス、予測不能のタイミングでのシュートなどを得意とした。

 

スピード感溢れるドリブルをしたかと思えば、小刻みなドリブルも得意とし、シュートは強烈なものからテクニカルなものまで両足から放つことができる。

 

チャンスメーカーとしての才能も非凡で、サイドに流れるプレーを得意としていたし、スルーパスも出す事ができる。

 

しかし怪我に泣かされることが多かった。

 

好不調の波が激しかったが、左右どちらの足からも得点が奪え、フォワードに必要な能力を全て兼ね備えてた天才肌のストライカーだった。

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