概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1955年2月3日 | ||
出身地 | フォアアールベルク州ラウテラッハ | ||
没年月日 | 1994年12月31日(39歳没) | ||
身長 | 188cm | ||
体重 | 84kg |
Bruno Pezzey
ポジションはディフェンダー(リベロ、センターバック)。
利き足は左。
「アルプスのベッケンバウアー」の異名をとった。
1970年代後半から1980年代初頭のオーストリア代表の躍進を支えた世界トップクラスのリベロ。
1979年から1982年までは4年連続でバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)の候補に挙がり、いずれもベスト10まで残っていた。
獲得タイトル
- UEFAカップ優勝1回 (1980)
- オーストリア・ブンデスリーガ優勝4回 (1975,1977,1989,1990)
- オーストリア・カップ優勝2回 (1975,1989)
- ドイツ・ブンデスリーガ準優勝2回 (1985,1986)
- ドイツ・カップ優勝1回 (1981)
経歴
クラブ | ||
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年 | チーム | 出場(得点) |
1973-1974 | FCフォアアールベルク | 28 (3) |
1974-1988 | SSWインスブルック | 129(19) |
1978-1983 | アイントラハト・フランクフルト | 141(27) |
1983-1987 | ヴェルダー・ブレーメン | 114(18) |
1987-1990 | FCスヴァロフスキ・チロル | 86 (6) |
代表歴 | |||
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1975-1990 | ![]() |
84 (9) |
クラブ
18歳でプロデビューを果たし、1974年にはオーストリア・ブンデスリーガの名門FCヴァッカー・インスブルックへ移籍。
同クラブの主力選手としてオーストリア・ブンデスリーガ優勝やオーストリア・カップ優勝等多くのタイトルを獲得、UEFAチャンピオンズカップでも準々決勝進出を果たす。
1978年にはドイツ・ブンデスリーガの名門アイントラハト・フランクフルトへ移籍。
守備の要としてUEFAカップ優勝やドイツ・カップ優勝に貢献する。
1979年にはFIFA世界選抜に、1982年にはUEFAヨーロッパ選抜に選出されるなど、ワールドクラスのディフェンダーとして高い評価を得ていた。
1979年から1982年までは4年連続でバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)の候補に挙がり、いずれもベスト10まで残っていた。
これはディフェンダーというポジションを考えれば快挙である。
1983年にはヴェルダー・ブレーメンに移籍。
4年に渡り守備の要として実力を発揮、「オーストリアにペッツァイあり」と高く評価され、ドイツ・ブンデスリーガのベストイレブンにも幾度も選出される。
2年連続ドイツ・ブンデスリーガでの準優勝を飾り、1987年に古巣のFCヴァッカー・インスブルックに復帰。
エルンスト・ハッペル監督の下再びリーグ戦やカップ戦で優勝を果たし、1990年に引退を表明した。
代表
オーストリア代表デビューは20歳の頃。
以降は15年に渡りオーストリア代表の中心選手として、そして守備陣のリーダーとして活躍する。
ロベルト・サラと強力なディフェンス・デュオを組み、オーストリアでは1978年のワールドカップ出場権を獲得した。
この大会でオーストリアは、ブラジル、スペイン、スウェーデンとのグループを勝ち抜き、話題を呼んだ。
しかし、最大の成功は、オーストリアが第8回決勝でタイトルホルダーの西ドイツを退けたことです。
宿敵を3-2で破った歴史的な勝利は、「コルドバの奇跡」として歴史に刻まれました。
その4年後、オーストリアは再びスペインで開催された1982年ワールドカップに出場し、再び準々決勝に進出した。
また、1982年スペイン大会では、2次リーグの北アイルランド戦において後半5分にヒールキックから得点を決めている(試合は2-2の引分け)。
1988年にヨーゼフ・ヒッカースベルガーが代表チームを引き継いだ後、キャプテンのペッツァイの国際的なキャリアは終わった。
1987年に最後の出場をした後、1990年に再び出場しました。
オーストリア人選手として初めて国際試合100試合に出場するという夢は叶わなかった。
エピソード
オーストリアの20世紀ベストイレブンにも選出されたペッツァイは、引退後にオーストリアサッカー協会より新しい育成コンセプトの作成を依頼されるが、1994年12月31日にアイスホッケーの試合に参加している最中に心臓麻痺により死去、39歳没。
「ペッツァイは第2次世界大戦後のオーストリア最優秀ディフェンダーである」と現在でも高く評価されている。
プレースタイル
「アルプスのベッケンバウアー」とも呼ばれていてポジションはリベロだが、長身を生かし空中戦、激しいタックル、フィジカルの強さは群を抜いており圧倒的な守備力でチームを支えた。
守備だけでなく、積極的な攻撃参加を得意とし、188cmの長身を生かしたヘディングは脅威の対象となった。
足元の技術もあり、ゲームの組み立てにも貢献したワールドクラスのリベロ。