概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1955年8月8日(65歳) | ||
出身地 | ウィーン | ||
身長 | 180cm | ||
体重 | 76kg |
Herbert Prohaska
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
利き足は右。
愛称の「Schneckerl」は縮れた髪の毛を意味するウィーンの方言。
1970年代から1980年代かけて活躍したオーストリア代表のプレーメイカー。
オーストリア史上屈指のMFで、オーストリアサッカー協会から同国の20世紀最優秀選手に選出された。
獲得タイトル
クラブ
- オーストリア・ブンデスリーガ 優勝7回 (1976, 1978, 1979, 1980, 1984, 1985, 1986)
- オーストリア・カップ 優勝4回 (1974, 1977, 1980, 1986)
- オーストリア・スーパーカップ 優勝1回 (1997)
- イタリア・セリエA 優勝1回 (1983)
- コッパ・イタリア 優勝1回 (1982)
個人
- オーストリア年間最優秀選手賞 3回(1984, 1985, 1987)
経歴
クラブ | ||
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年 | チーム | 出場(得点) |
1970-1972 | 東部鉄道XI | ?(?) |
1972-1980 | FKアウストリア・ウィーン | 259(62) |
1980-1982 | インテル・ミラノ | 56 (8) |
1982-1983 | ASローマ | 26 (3) |
1983-1989 | FKアウストリア・ウィーン | 194(35) |
代表歴 | |||
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1974-1989 | ![]() |
83 | (10) |
クラブ
17歳でオーストリア・ウィーンに入り、3年後にトップリーグデビューを果たします。
そして瞬く間に中盤に君臨、リーグ優勝4回、カップ優勝3回とクラブに黄金期をもたらしました。
これによりセリエAインテルに引き抜かれます。
1980年にセリエAの名門インテルへ移籍。
ベルゴミ、ジョゼッペ・バレージ、アルトベリ、セレーナらといったイタリア代表勢と共にプレーし、2年目にコッパ・イタリアを制しました。
1982年には同リーグのASローマに移籍。
ローマには1シーズンしか在籍しなかったものの、ビエルコウッド、ファルカン、コンティ、ジャンニーニ、プルッツォなどといったメンバーと共に、クラブ41年ぶり2度目のスクデット獲得に貢献しました。
当時外国人に対して比較的閉鎖的であったセリエAでプロハスカが各クラブの主力選手として活躍したことは、以降イタリアへの移籍を希望する多くのオーストリア出身選手に影響を与えた。
イタリアで結果を残した後オーストリア・ウィーンに復帰すると、リーグ3連覇を達成します。
84/85シーズンにはキャリア初にして唯一の2ケタゴールをマークしました。
16年間最後までプレーの質を落とすことなく、88/89シーズンでのプレーを最後に現役を引退しました。
代表
1974年11月13日、トルコとの親善試合で代表デビュー。
1978年W杯予選は4試合、本戦でも6試合出場。
1978年大会、2次リーグ最終戦において前回優勝国の西ドイツを3-2で破り、コルドバの奇跡と賞賛された一員でもある。
翌1982年大会の予選は7試合、本戦では5試合戦って西ドイツの2次リーグ進出を許し、2大会連続で2次リーグ敗退となりました。
1982年大会、1次リーグ第3戦の西ドイツ戦(ヒホンの無気力試合。一部で八百長が噂され、ワールドカップ史上最も恥ずべき試合とも呼ばれている)でもピッチに立っている。
その後1986年W杯予選は6試合、1990年W杯予選は3試合出場しましたが、本大会を前に代表から引退しています。
エピソード
引退後
指導者としては1990年からFKアウストリア・ウィーンの監督に就任。
1993年からオーストリア代表監督に就任し、FIFAワールドカップ・フランス大会予選を突破し本大会出場に導き、翌1998年の本大会でも指揮を執った。
2003年11月のUEFAジュビリーアウォーズの際には、オーストリアサッカー協会から同国の20世紀最優秀選手に選出され、2005年にはオーストリアの国家勲章を与えられたプロハスカは、代表監督を辞任してから早々に監督業を引退。
現在はオーストリア国営放送(ORF)のコメンテーターとして活躍している。
プレースタイル
卓越した戦術眼とエレガントなパスワークで攻撃をつかさどるプレーメイカーです。
キックの精度が素晴らしく長短のパスは正確無比。
特にロングパスが素晴らしくピンポイントで味方を捉え、チャンスを演出した。
またダイレクトプレーも得意で、彼のパスワークはチームの生命線だった。
その卓越した戦術眼でゲームをコントロールする司令塔。