概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1963年2月12日(58歳) | ||
出身地 | ソフィア | ||
身長・体重 | 186cm、79kg |
Borislav Mikhailov
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
1980年代から1990年代にかけて活躍したブルガリア代表のゴールキーパー。
1994年ワールカップ4位入賞時の守護神。
ブルガリア史上最高のゴールキーパーとの呼び声が高い。
獲得タイトル
レフスキ・ソフィア
- ブルガリアチャンピオン:1984、1985、1988
- ブルガリアカップ優勝:1982、1984、1986
- ソビエト軍カップ:1984年、1987年、1988年
- ブルガリア年間最優秀サッカー選手:1986年
経歴
クラブ
1981年にソフィアを本拠地とするレフスキ・ソフィアへ入団。
ブルガリアリーグ、ブルガリアカップをそれぞれ3度制したほか、1986年にはミハイロフはブルガリア人年間最優秀選手にも選ばれた。
その後も国内外のいくつかのクラブに所属し、1995年にはシャカ・ヒスロップの後釜としてクラブ史上最高額となる8万ポンドの移籍金でレディングFCに加入した。
代表
ブルガリア代表としては1983年5月4日に行われたキューバ代表戦でデビュー。
1986年メキシコ・ワールドカップ、1994年アメリカ・ワールドカップでゴールマウスを守った。
1994年の本大会ではブルガリアの前線にはフリスト・ストイチコフ、エミル・コスタディノフ、クラシミル・バラコフなどのタレントを揃えて、切れ味鋭いカウンター攻撃で旋風を巻き起こしたが、ミハイロフが起点となったカウンター攻撃も度々見られた。
1994年ワールドカップはベスト4に進出し躍進した。
1990年からの6年間、1994 FIFAワールドカップやUEFA EURO ’96などの大会で代表キャプテンを務めた。
1998年9月5日のアルジェリア代表戦が最後の試合出場となった。
代表102キャップは同国の最多出場記録であったが、2011年にスティリアン・ペトロフによって更新された。
エピソード
妻は新体操の選手であったマリア・ペトロバ。
息子のニコライ・ミハイロフもサッカー選手であり、イングランドのリヴァプールFCや、オランダのFCトゥウェンテなどに所属している。
選手時代は頭頂部の禿げ上がった頭が特徴だったが、フランス2部リーグのFCミュルーズに所属していた当時、1万ポンド以上を費やして頭髪の植毛を行っている。
引退後
2005年からはブルガリアサッカー連合の会長を務め、2011年からはUEFA実行委員会のメンバーとなった。
2019年10月14日、ホームゲームとして行われたUEFA EURO 2020予選のイングランド代表戦において、サポーターによる人種差別事件が発生し、2度に渡り試合が中断された。
この事件を受けて首相のボイコ・ボリソフはサポーターの行動を非難するとともに、ミハイロフの即時辞任を勧告すると、翌15日に会長職を辞任した。
プレースタイル
ゴールキーパーとしてはオーソドックスなスタイルで非常に安定感があり的確な状況判断でDFに指示を出し、チームを統率する能力に優れていた。
その堅実なプレーはどのチームでも評価が高くチーム内での信頼は高かった。