概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1969年6月28日(51歳) | ||
出身地 | ローザンヌ | ||
身長・体重 | 180cm、75kg |
Stéphane Chapuisat
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は左。
1990年代のスイス代表のエースストライカー。
ボルシア・ドルトムントで活躍し、1997年にはUEFAチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げている。
20年近くトップレベルでプレーした。
同国出身の格闘家、今は亡きアンディ・フグやテニス選手のヒンギスに並ぶスイスの国民的英雄の1人である。
獲得タイトル
クラブ
ボルシア・ドルトムント
- ブンデスリーガ:1994-1995、1995-1996
- DFB-スーパーカップ:1995、1996
- UEFAチャンピオンズリーグ:1996–97
- インターコンチネンタルカップ:1997
グラスホッパー
- スイススーパーリーグ:2000–01
個人
- バロンドール:1991年(13日)、1992年(9日)、1993年(9日)
- キッカーブンデスリーガチームオブザシーズン:1991–92
- スイススーパーリーグ得点王:2000–01、2003–04
- UEFAジュビリーアワード–過去50年間で最も偉大なスイスのサッカー選手:2003年
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1986–1987 | マレー | 32 | (16) |
1987–1990 | ローザンヌ | 104 | (36) |
1991 | バイエル・ユルティンゲン | 10 | (4) |
1991–1999 | ボルシア・ドルトムント | 218 | (102) |
1999–2002 | グラスホッパー | 61 | (39) |
2002〜2005 | ヤングボーイズ | 100 | (53) |
2005〜 2006年 | ローザンヌ | 32 | (16) |
合計 | 547 | (262) |
代表歴 | |||
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1989-2004 | ![]() |
103 | (21) |
クラブ
1985/86シーズンに、地元ローザンヌでプロ契約を交わすが、活躍の場はなく、翌1986/87シーズンにはマレーというクラブでプレーする。
そこで16ゴールを挙げる活躍を見せ、すぐにローザンヌに呼び戻される。
その後、着実に成績を残し、1990/91シーズンの途中にドイツのユルティンゲンに移籍する。
ユルティンゲンは低迷し、シャプイサも10試合で4ゴールという、決して満足のいく結果を残せなかった。
そして、チームは2部降格という最悪の結果となってしまう。
しかし、ストライカーとしての才能を見抜いた、ボルシア・ドルトムントにより引き抜かれる。
1991/92シーズン、シャプイサは開幕からレギュラーとして出場する。
サポーターはスイスでもそれほどずば抜けた成績を残しておらず、ドイツでも活躍していないストライカーに懐疑の目を向けていた。
しかし、シャプイサはシーズンが開幕すると抜群の決定力で、周囲を黙らす。
このシーズン20ゴールを挙げる大活躍を見せ、低迷していた名門を2位に導く。
翌シーズンからも、毎シーズンのようにゴールを量産し、リーグ屈指のストライカーとしての地位を確立する。
1994/95シーズンには、チームに復帰したメラーらと共に、ボルシア・ドルトムントに32年ぶりとなる優勝を果たした。
翌1995/96シーズンは、怪我やスランプがあり、チームはリーグ連覇を果たすも活躍はできなかったが、1996/97シーズンには、見事に復活し素晴らしいパフォーマンスを見せる。
ボルシア・ドルトムントはCLで順調に勝ち進み、決勝に進出。
決勝の相手は、イタリアのユヴェントス。
圧倒的にユヴェントス優位の予想を覆し、3対1で勝利し初めてヨーロッパの頂点に立った。
翌年のトヨタカップでも勝利し、世界1に輝く。
シャプイサは常に前線でチームを引っ張り、得点だけではなく、ボルシア・ドルトムント得意の2列目3列目のからの攻撃参加を引き出した。
1998/99シーズンまでの、8シーズン在籍し、102ゴールを挙げる活躍を見せ、ボルシア・ドルトムントに多くのタイトルをもたらした。
1999/00シーズンには、スイスリーグに復帰。
強豪グラスホッパーに加入すると、00/01シーズンには21ゴールを挙げ初の得点王に輝くと共に、チームに優勝をもたらした。
このシーズン、リーグの最優秀選手にも選ばれている。
2002/03シーズンからはヤングボーイズでプレー。
年齢を重ねても、得点感覚に陰りは見えることはなく、2003/04シーズンには23ゴールを挙げ、35歳で得点王に輝いている。
2004/05シーズン、現役最後のシーズンと決意をして、2部に所属していた古巣ローザンヌに移籍。
このシーズンも16ゴールを挙げるという、素晴らしい結果を残し、現役を引退した。
代表
代表デビューは1989年6月21日ブラジル戦。
ここでも不動のエースとして長年に渡って活躍、それまで低迷を続けたスイス代表であったが94年W杯欧州予選では予選グループ得点王となる6得点を挙げて28年振りの本大会出場に貢献。
本大会でも1得点を挙げるなどの活躍を見せて、ベスト16進出の原動力となった。
その後も中心的存在としてチームを牽引し、2004年ユーロ予選では全試合に出場。
母国を久しぶりとなる国際舞台出場に導くと、本大会でも2試合に出場している。
2004年6月2日ドイツ戦にて同国史上3人目の代表100キャップ達成。
代表通算103試合21得点。
エピソード
元スイス代表DFピエール・アルベールを父親に持ち、その影響から幼少時代よりサッカーを始める。
愛嬌のある笑顔で長年ドルトムントのアイドルとして愛された選手です。
若い頃から、アイドルというかおっさんみたいな顔なんですけどね。
プレースタイル
抜群のスピードを誇り、そのスピードを生かした突破から多くのゴールを挙げた左利きの点取屋。
素晴らしいスピードを駆使して強引なまでの突破力を誇り、左足から繰り出されるシュートも強烈かつ正確。
晩年はスピードではなく、嗅覚で勝負するストライカーに変身した。