概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1965年1月30日(56歳) | ||
出身地 | ザールフェルデン | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 76kg |
Wolfgang Feiersinger
ポジションはディフェンダー(リベロ、センターバック)。
利き足は右。
1990年代のオーストリアを代表するワールドクスのリベロ。
ボルシア・ドルトムントのUEFAチャンピオンズリーグ優勝(1996‐97年シーズン)に貢献した。
獲得タイトル
クラブ
- オーストリア・ザルツブルク
- オーストリア・ブンデスリーガ:1993-1994、1994-1995
- オーストリア・スーパーカップ:1994、1995
- UEFAカップ準優勝:1994
- ボルシア・ドルトムント
- UEFAチャンピオンズリーグ:1996–97
- インターコンチネンタルカップ:1997
経歴
クラブ
21歳でオーストリア・ブンデスリーガに属するSVアウストリア・ザルツブルクでプロデビューを果たす。
しかし若い時から将来のスター選手として注目を浴びていたわけではなく、リーグでの経験を積みながら徐々に頭角を現してきた比較的遅咲きの選手であった。
攻撃的なリベロとしてオーストリア・ブンデスリーガ優勝3回、オーストリア・スーパーカップ優勝2回、UEFAカップ準優勝1回を果たすと、1996年の秋にオットマー・ヒッツフェルト監督率いるドイツ・ブンデスリーガの名門ボルシア・ドルトムントへ移籍。
マティアス・ザマーの負傷による長期離脱もあり、移籍後もすぐにスタメンに定着、1997年のUEFAチャンピオンズリーグ優勝とトヨタカップ優勝に貢献する。
その後はオーストリア・ブンデスリーガ、オーストリア3部、オーストリア4部でプレーを続け、2004年に現役引退を表明する。
代表
1990年8月のスイスとの親善試合でオーストリア代表にデビュー。
オーストリアA代表では1990年から1999年までプレー。
1998年FIFAワールドカップ・フランス大会に出場している。
最後の試合は、1999年4月のサンマリノとの欧州選手権予選の試合でした。
エピソード
娘のラウラ・ファイアージンガーもオーストリア女子代表のサッカー選手である。
引退後は2005年から3年間レッドブル・ザルツブルクの育成部門で指導していたが、2008年の夏で契約延長されないことが発表された。
その後はサッカー業界から身を引き、キッツビュールにあるホッホヴィルドアルムヒュッテ山小屋の経営に専念している。
プレースタイル
優れた戦術眼と正確なフィードで守備の要として活躍した国際レベルのリベロであった。