ヤーン・ポプルハール

概略

国籍 スロバキアの旗 スロバキア
生年月日 1935年8月12日
出身地 チェコスロヴァキアの旗 チェコスロヴァキア ベルノラーコヴォ
没年月日 2011年3月6日(75歳没)
身長・体重 182cm、81kg

 

Ján Popluhár

 

ポジションはディフェンダー(センターバック)。

 

利き足は右。

 

愛称は「ビンボ」。

 

1960年代を代表するワールドクラスのセンターバック。

 

チェコスロバキア代表で活躍したスロバキア人。

 

獲得タイトル

クラブ

スロヴァン・ブラティスラヴァ

  • チェスコスロヴェクカップ(3):1962、1963、1968

代表

チェコスロバキア

  • 1958 FIFAワールドカップ:グループステージ
  • 1960年欧州選手権カップ:銅メダル
  • 1962 FIFAワールドカップ:銀メダル

個人

  • ワールドサッカーワールドXI(3):1964、1967、1968
  • チェコスロバキアの年間最優秀選手賞:1965年
  • 20世紀の最高のスロバキアのサッカー選手:2000
  • UEFAスロバキアゴールデンプレーヤー:2003
  • 世界フェアプレー賞(1997年)
  • UEFAジュビリーアウォーズ(2003年)

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1954-1955 チェコスロバキアの旗 スロヴァン・ブラチスラヴァ
1955-1958 チェコスロバキアの旗 ルダー・フヴェズダ・ブルノ
1958-1969 チェコスロバキアの旗 スロヴァン・ブラチスラヴァ
1969-1970 フランスの旗 オリンピック・リヨン
1970-1972 チェコスロバキアの旗 ズブロヨフカ・ブルノ
1972-1979 オーストリアの旗 スロヴァン・ウィーン
代表歴
1957-1969 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 62 (1)

 

クラブ

 

ポプルハールは、ユース時代をディナモ・ベルノラーコヴォで過ごした後、1954年にŠKスロヴァン・ブラチスラヴァで選手経歴を開始した。

 

2年間の兵役のため、ルダー・フヴェズダ・ブルノで過ごした後は、再びブラチスラヴァへ復帰し10数年間に渡ってプレーを続け、リーグ優勝2回(1962年、1963年)に貢献した。

 

1963年にはアルフレッド・ディ・ステファノやフェレンツ・プスカシュ、エウゼビオらと共に世界選抜に選出され、FA創立100周年記念試合に出場した。

 

1965年にはチェコスロバキア年間最優秀選手賞を受賞した。

 

1971年に長年過ごしたブラチスラヴァを離れ、フランスのオリンピック・リヨンへ移籍したが、1シーズン限りでチェコスロバキアへ帰国しズブロヨフカ・ブルノへ移籍。

 

2年後の1972年からはオーストリアのスロヴァン・ウィーンへ移籍し、選手兼任監督を務めた。

 

そして1979年に37歳で現役を引退した。

 

代表

 

チェコスロバキア代表ではスヴァトプルク・プルスカルと共に強力な守備陣を形成し、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1960年の1960 欧州ネイションズカップ3位、1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会準優勝に貢献した。

 

ポプルハールは1957年から1967年の間に国際Aマッチ62試合に出場した。

 

代表で唯一となった得点は1966年6月に敵地のエスタジオ・ド・マラカナンで行われたブラジルとの親善試合において、フリーキックから記録した(試合は2-1でチェコスロバキアの勝利)。

 

エピソード

 

スロヴァン・ブラチスラヴァ時代の監督Leopold Šťastnýは選手にあだ名を付けることで知られていたが、ポプルハールは温厚な性格からビンボ(サーカスや動物園の象によくつける名前、英俗語で”うすのろ”の意)の愛称で呼ばれた。

 

この逸話はチェコスロバキアのサッカー界で広く知られていた。

 

引退後の1997年にポプルハールは世界フェアプレー賞を受賞した。

 

また2003年には欧州サッカー連盟創立50周年を祝うUEFAジュビリーアウォーズの式典に際して、スロバキアの過去50年間の最優秀選手に選出された。

 

2011年3月6日にブラチスラヴァの病院で死去したことを、スロバキアサッカー連盟が発表した。

 

75歳没。

 

プレースタイル

 

圧倒的な存在感でディフェンスを統率したワールドクラスのセンターバック。

 

状況判断や危険察知能力に優れており、完璧なディフェンスをした。

 

また上背はそこまでないが持ち前のジャンプ力とフィジカルを活かした空中戦でも強さを発揮。

 

そのヘディングは貴重な得点源になった。

 

カバーリングもマンマークも完璧にこなす守備能力もさることながら、足元の技術にも優れ、そのパスはチームの攻撃の起点になった。

 

その右足から放たれるキックも威力抜群。

 

またリーダーシップもあり、チームをまとめる存在感はディフェンスの統率にも発揮された。

 

闘志溢れるプレーでチームを支え続けた偉大な選手だった。

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