概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1980年5月5日(40歳) | ||
出身地 | ディモナ | ||
身長 | 178cm | ||
体重 | 70kg |
Yossi Benayoun
ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(右ウイング、左ウイング)。
利き足は右。
「イスラエルの至宝」と評される同国随一のファンタジスタ。
長らくイスラエル代表のエースとして活躍した。
クラブレベルではリヴァプールやチェルシーなどで活躍した。
獲得タイトル
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クラブ
- マッカビ・ハイファFC
- イスラエル・プレミアリーグ :2000-01, 2001-02
- イスラエルステートカップ:2015–16
- チェルシーFC
- UEFAヨーロッパリーグ :2012-13
- クイーンズパークレンジャーズ
- イングリッシュフットボールリーグプレーオフ:2013–14
個人
- イスラエル年間最優秀選手賞:2000–01
- 今週のイスラエルプレミアリーグのサッカー選手:2017–18
経歴
クラブ
1997年、17歳で自国のハポエル・ベエルシェバFCにてプロキャリアをスタートさせる。
1年目にして15得点を記録するも、チームは2部に降格してしまう。
しかし、この活躍が認められ翌シーズンよりイスラエル・プレミアリーグの名門マッカビ・ハイファFCへ移籍。
2000-2001シーズンにはリーグ優勝を達成し、このシーズンのリーグ最優秀選手にも選出された。
さらに、2001-2002シーズンにはリーグ連覇を達成した。
2002年、リーガ・エスパニョーラのラシン・サンタンデールへ移籍。
バリャドリードとの開幕戦にてリーガデビューを果たす。
その後は毎年最終節まで残留争いを演じていたチームにおいて、3シーズンにわたりチームの1部残留に貢献した。
また、2004-2005シーズンの33節にはハットトリックも達成している。
リーガで3シーズンを過ごし、2005-2006シーズンからは活躍の場をプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCへ移す。
2005年8月13日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦にてプレミアデビュー、FAカップではチームを決勝にまで導いた。
2007年7月12日にリヴァプールFCに移籍。移籍金は推定500万ポンド (約12億5千万円) と見られている。
リヴァプールに移籍するにあたり、ベナユンの実力はビッグクラブに見合うものなのか否かという懐疑的な意見が少なからず見受けられた。
しかしチームの窮地を救うゴールを幾度も挙げるなど、リヴァプールでも攻撃にアクセントを付けられる貴重な存在として活躍している。
特に08/09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグのアウェーのレアル・マドリード戦では決勝点、4-4という劇的なスコアとなったプレミアリーグのアーセナル戦ではロスタイムでの同点弾を含む2ゴールなど、ビッグクラブを相手にした活躍が高い評価を得ている。
2010年7月2日にジョー・コールと入れ替わる形でチェルシーに移籍金550万ユーロの3年契約で移籍。
8月8日のコミュニティー・シールド、マンチェスター・ユナイテッドFC戦でチェルシーでのデビューを飾ると、プレミアリーグ第2節のウィガン・アスレティックFC戦で移籍後初得点を挙げた。
しかし、その後は故障に苦しんでわずか7試合の出場に留まり、ゴールも前述の得点が最初で最後のものとなってしまった。
2011年8月31日、レンタル移籍でアーセナルFCに加入した。
途中出場がメインだったものの、19試合で4得点を挙げた。
2012年9月1日、レンタル移籍でウェストハムに5年ぶりに復帰。
2013年6月30日、チェルシーはフロラン・マルダ、パウロ・フェレイラ、ロス・ターンブルとともにベナユンの契約満了による退団を発表、その後無所属の状態が続いたが、12月10日にフットボールリーグ・チャンピオンシップのクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに加入した。
2014年6月7日、古巣のマッカビ・ハイファFCへ復帰した。
その後イスラエル国内のクラブを渡り歩き、2019年4月に現役引退を表明した。
代表
ベナユンは、1996年のUEFA欧州U-16選手権で3位となったイスラエルU-16チームのメンバーだった。
1998年11月18日に行われたポルトガルとの親善試合でデビューし、2-0で敗れた。
1999年9月8日、ラマットガン・スタジアムで行われたUEFAユーロ2000予選のサンマリノ戦で、ベナユンは国際試合で初めてハットトリックを達成した。
この試合は、8-0でイスラエルが勝利した。
2006年のFIFAワールドカップ予選では、ホームのキプロス戦で同点に追いつき(試合結果は2-1でイスラエルが勝利)、スイス戦では2得点を挙げ、イスラエル代表の主力選手となった。
アウェーのキプロス戦では、ニル・ダビドヴィッチが決定的なゴールをセーブした後、ベナユンが勝利のゴールをアシストした。
ベナユンの活躍により、イスラエルはワールドカップ出場のチャンスを得たが、得失点差で出場を逃した。
UEFAユーロ2008予選の直前、ベナユンはイスラエル代表チームのキャプテンを任された。
予選では8試合に出場し、ベナユンは2ゴールを記録した。
2010年9月2日のマルタ戦では、3-1で勝利し、ベナユンは自身の国際試合での2度目のハットトリックを達成した。
ベナユンは、イスラエル代表の歴代最多となる102キャップを誇り、国際試合で24ゴールを挙げ、得点王としても歴代2位となっている。
エピソード
元イングランド代表MFジョーイ・バートンは自身のツイッターでイスラエルによるガザ地区への攻撃を激しく批判。
罪のない子供たちが殺されていることを問題視し、戦争ではなく民族浄化だと主張した。
それに対して、元イスラエル代表選手で、QPRで同僚でもあったヨッシ・ベナユンが反論(と言えるのかどうかは微妙だが)。
バートンはさらに彼に対しても言葉を続け、「宗教の名の下に人を殺す人間に問題がある」と話した。
ジョーイ・バートン
「ベイト・ハヌーンの学校に対して行われた攻撃は嘆かわしい。もし、これがイスラエル以外のどこかで行われていたら、西側諸国が介入するはずだ。それを続けてはいけない。虐殺されているのは罪もない子供たちだ。止めなければいけない。
こんなものは戦争ではない。彼らは戦闘員ではないんだ。ただの子供たちではないか。これは民族浄化である」
ヨッシ・ベナユン
「君は何も変えられないな。君は愚かだったし、この後の人生でも愚かであり続けるのだろう。恥ずかしいことだ」
ジョーイ・バートン
「まず最初に。そんな悪文で誰かを愚かだと呼んではいけない。第二に、罪のない子供たちを殺すべきではないし、殺してはいけない。第三に、数千年前に書かれたフィクションの本の教えであっても、その土地に住んでいる人々を消し去ることはできない。
私は宗教家になりたい人間に問題があるとは思わない。しかしながら、宗教の名の下に誰かを殺す人間には問題がある」
引退後
古巣ベイタル・エルサレムのスポーツディレクターに就任した。
プレースタイル
キレのあるドリブルで観客を魅了するファンタジスタ。
きめ細かで繊細なボールタッチを基調とした柔らかくもキレのあるドリブルが持ち味で、パス・ドリブルともにプレミアリーグの中でトップレベルにあると評される。
中でもドリブルのコース取りは一級品である。
爆発的なスピードや複雑なフェイントは無いものの、キレと読みが抜群に優れており、相手の動きを読んで相手選手の間をするりするりと抜けていくドリブルはある意味衝撃的である。
もとは司令塔タイプの選手だったが、リバプール移籍後は主に3トップの一角としてFWの役割を任されている。
最大の武器はやはりドリブルのスキル。
ひらひらと舞うように相手を躱していくドリブルは華麗で非常にエンタメ性の高い選手でした。
また、キックフェイントが異様に上手く、相手陣深くやエリア内では面白いように相手DFがひっかかっていました。
サイドでボールを持った時等はキックフェイントを連発し、相手を弄ぶようなプレーを見せる事があり、ちょくちょくやり過ぎて取られてしまう事もありましたが、観ている側としては凄く楽しかったのを覚えています。
また、非常に滑らかなドリブルから繰り出すスルーパスの精度も高く、チャンスメーカーとして素晴らしい能力を持っていました。
この手のタイプとしては珍しく、フィニッシュ時の落ち着きも持ち合わせており、エリア内では相手をかわしてグラウンダーで対角線に蹴りこむシュートパターンを何度も見せてくれました。
ファンタジスタ的な色が強い選手ですが、豊富な運動量で守備にも走り回る献身的な選手でした。
見たまんまですが、体格的にフィジカルバトルはかなり苦手としており、対人守備の能力には問題を抱える選手でした。
長所に書いたように運動量は豊富なので、そこまで守備時に穴になるような事はなかったですが、試合終盤にチームが守備にシフトする時には真っ先に途中交代させられる事が多かったです。
また、テクニカルなドリブラーなので仕方ない部分もありますが、球離れの悪さが目立つ事もあり、それいらなかったんじゃないか?という切り返しやキックフェイントでチャンスを逸する場面もありました。
大きな欠点ではありませんが、キック力がない為サイドチェンジ等ロングレンジのキックは山なりで遅く、質がよくありませんでした。
ミドルシュートもダイレクトで蹴れる状況以外は大きくカーブをかけてゴール上隅を狙う難易度が高いシュートを選択する事が多く、コースが甘くなるとキーパーに直接キャッチされる事も多かったです。
あと故障が多いのが残念です。