マッシモ・ボニーニ

概略

 

国籍 サンマリノの旗 サンマリノ
生年月日 1959年10月13日(61歳)
出身地 サンマリノ
身長・体重 178cm、68kg

 

Massimo Bonini

 

ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

「プラティニの肺」の異名をとった。

 

サンマリノ代表のミッドフィールダー。

 

ユヴェントス時代、ミシェル・プラティニらを支えた縁の下の力持ち。

 

ユヴェントスでは3回のスクデット、1回のコッパ・イタリア獲得、1回のUEFAチャンピオンズカップ獲得、1回のUEFAカップウィナーズカップ獲得、1回のUEFAスーパーカップ獲得、1回のインターコンチネンタルカップ獲得に貢献した。

 

彼はビッグイヤーを掲げた唯一のサンマリノ人サッカー選手である。

 

また、世界的なスポーツ大会で優勝した経験があるサンマリノ人選手はボニーニとバイク競技のマヌエル・ポジアーリのみである。

 

獲得タイトル

クラブ

ユヴェントス
  • セリエA 1982, 1984, 1986
  • コッパ・イタリア 1983
  • UEFAチャンピオンズカップ 1985
  • UEFAカップウィナーズカップ 1984
  • UEFAスーパーカップ 1984
  • インターコンチネンタルカップ 1985

個人

  • UEFAジュビリーアウォーズ 2004 – 過去50年の最も偉大なサンマリノ人選手
  • ブラヴォー賞:1983

 

経歴

クラブ
チーム 出場 得点
1977–1978 ベッラーリア・イゲア 33 (1)
1978–1979 フォルリ 23 (1)
1979–1981 チェゼーナ 60 (5)
1981–1988 ユヴェントス 192 (5)
1988〜 1992年 ボローニャ 112 (5)
代表歴
1980〜 1983年 イタリアU-21 9 (0)
1990〜 1995年 サンマリノ 19 (0)

 

クラブ

 

ボニーニは1973年にジュベネス・ドガーナでキャリアをスタートさせたが、在籍した4年間はリーグ戦での出場機会がなかった。

 

1977年にジュベネス・ドガーナを退団してベラリアに移籍し、33試合に出場して1ゴールを記録した。

 

1978年にベラリアを退団した後は、フォルリに移籍し、23試合に出場して1ゴールを記録した。1

 

979年にフォルリを退団した後、チェゼーナに移籍し、60試合に出場して5ゴールを記録した。

 

1981年にチェゼーナを退団したボニーニは、1981年から1988年までユヴェントスでプレーし、296試合に出場して6ゴールを記録した。

 

スクデッティ3回、イタリアカップ1回、ヨーロッパカップ1回、カップウィナーズカップ1回、ヨーロピアンスーパーカップ1回、インターコンチネンタルカップ1回を獲得した。

 

また、国際的な公式タイトルを獲得した唯一のサンマリノ人サッカー選手でもある。

 

その活躍が認められ、1983年には欧州大会の最優秀U-23選手としてブラボー賞を受賞した。

 

1988年にユヴェントスを退団後、ボローニャに移籍し、112試合に出場、5ゴールを記録した。

 

ボニーニは1993年に引退した。

 

代表

 

1990年まではサンマリノサッカー連盟が欧州サッカー連盟(UEFA)から正式に認められていなかったため、サンマリノ出身の選手はイタリアの選手と同化していたのである。

 

このため、ボニーニはイタリアサッカー連盟でプレーする権利があり、実際にイタリアのU-21サッカーチームでプレーしていた。

 

ボニーニはサンマリノの市民権を放棄することを常に拒否していたため、サンマリノのトップチームでプレーするためには1990年まで待たなければならなかったが、1990年にサンマリノ代表デビュー。

 

1990年11月14日のスイス戦で、サンマリノ代表として初出場を果たした。

 

1995年に代表を引退した。

 

エピソード

 

ユヴェントス時代は当時の主力選手であるミシェル・プラティニに信頼されており、プラティニがクラブ会長から禁煙を言い渡された際には「ボニーニが吸わない限りは大丈夫だ。」と言い返したほどであった

 

プラティニやボニエクら攻撃陣が自由に攻撃に専念できたのは中盤で彼らの代わりに守備をするボニーニにがいたからこそである。

 

プレースタイル

 

豊富なスタミナを武器にピッチを走り回る労働者タイプの選手。

 

スキルやスピードなど突出したものはないものの、中盤の守備、オーバーラップしたサイドバック後方のスペースのカバー、攻撃時のリンクマンなだ一見目立たないがチームにとって重要な役割を担った。

 

ファンタジスタたちの代わりに走り回り守備などで気をはき縁の下の力持ちとしてチームにかかせない存在となった。

 

当時のユヴェントスは「将軍」プラティニ、「氷のGK」ゾフ、パオロロッシなどが在籍していた。

 

ボニーニに求められた役割は豪華な攻撃陣を陰で支えることだったがボニーニはその役割を見事にこなして見せる。

 

そのプレーからついたあだ名は「プラティニの肺」だった。

タイトルとURLをコピーしました