概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1984年7月14日(36歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 193cm | ||
体重 | 88kg |
Samir Handanovič
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
スロベニア代表でインテル・ミラノの守護神。
PKストッパーとして有名なセリエA屈指のゴールキーパー。
獲得タイトル
クラブ
インテルミラノ
- UEFAヨーロッパリーグ準優勝:2019–20
個人
- スロベニア年間最優秀サッカー選手:2009、2011、2012
- セリエA年間最優秀チーム:2010–11、 2012–13、 2018–19
- AIC セリエAゴールキーパーオブザイヤー:2011、2013、2019
- レガセリエAゴールキーパーオブザイヤー:2018–19
- UEFAヨーロッパリーグ今シーズンのチーム:2019–20
経歴
クラブ
スロベニア国内のクラブを経て、2004年7月1日にイタリアのウディネーゼへ移籍。
ただし当時はモルガン・デ・サンクティスが不動の守護神として君臨していたため出番は少なく、2005年7月1日にセリエAに昇格したトレヴィーゾへレンタル移籍した。
しかし、3試合しか出場できずに1年でセリエBに逆戻りとなってしまった。
2006年1月31日、マッテオ・セレーニと入れ替わる形で今度はラツィオへレンタル移籍した。
だが、アンジェロ・ペルッツィとマルコ・バロッタの両ベテランの前に1試合の出場にとどまった。
7月1日、セリエBのリミニにレンタル移籍。ようやくポジションを射止め、39試合に出場した。
2007年6月1日、ウディネーゼに復帰。ベテランのアントニオ・キメンティを抑えて、セビージャFCに移籍したデ・サンクティスの後継者として正GKの座を掴んだ。
復帰初年度は7位だったが、コッパ・イタリアの決勝戦が既にUEFAチャンピオンズリーグ出場権を手にしていた、リーグ優勝のインテルと準優勝のローマの組み合わせだったためUEFAカップ1回戦の出場権を手に入れた。
1回戦では、ドイツのボルシア・ドルトムントと対戦。
2008年9月18日に敵地ズィグナル・イドゥナ・パルクで行われた1stレグでは2-0で勝利したが、10月2日にホームスタディオ・フリウーリで行われた2ndレグでは逆に0-2で敗北。
トータルスコアで並んだため延長戦に縺れ込んだが、そこでも決着がつかずPK戦に持ち込まれた。
PK戦では1人目のハイナル・タマシュと4人目のヤクブ・ブワシュチコフスキのキックを止めて4-3で勝利。見事に本選進出を果たした。
本選ではイングランドの強豪トッテナム等と同じ組になったが、見事首位で決勝トーナメントに進出した。
ラウンド16では前年度優勝のゼニトを破ってベスト8に進出したが、準々決勝ではドイツのブレーメン戦は負傷の影響で欠場し、チームも敗北した。
2011年2月5日のサンプドリア戦から3月20日のカターニア戦まで7試合連続完封を記録。
この年は4位に躍進し、チームのチャンピオンズリーグ出場権獲得に寄与した。
これらの活躍を受けて、夏の移籍市場ではマンチェスター・ユナイテッドやバイエルン・ミュンヘン等のビッグクラブが関心を寄せたが、最終的には残留を決断。
6月30日にウディネーゼとの契約を2016年まで延長した。
2012年7月9日、インテルへの完全移籍が発表された。
移籍金は約1000万ユーロ(推定)。
ジュリオ・セザルに代わって背番号1を貰った。
リーグ戦開幕直前の8月17日、練習中に負傷した右膝半月板の内視鏡手術を受ける。
これによりセリエAの2試合を欠場するが、9月16日のトリノ戦で復帰しインテル移籍後のリーグ戦初出場を果たした。
2018-19シーズン、2019年2月13日、契約延長交渉が難航したマウロ・イカルディに代わって主将に就任した。
2019年4月のジェノア戦でセリエA150回目のクリーンシートを達成した。
またセリエA最多のリーグ戦17回のクリーンシートを記録するなど、同シーズンセリエA最優秀GK賞を受賞した。
2019-20シーズン、2019年9月25日のSSラツィオ戦でインテルでの公式戦300試合出場を達成した。
1月20日のアタランタ戦で相手のPKを止め、通算PKストップ回数を24回とし、ジャンルカ・パリューカの持つ最多記録に並んだ。
代表
2004年11月7日のスロバキア戦でスロベニア代表デビュー。
2007年から正GKとなり、EURO2008予選においてはホームでのオランダ戦を1失点に抑えたが、予選突破はならなかった。
南アフリカW杯予選ではスロベニアを欧州全体で2番目に少ない4失点(最少は2失点のオランダだが、2試合少ない)にとどめる原動力となり、ロシアとのプレーオフでも2戦合計1失点に抑え、スロベニアを本戦に導いた。
2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループリーグ全3試合で先発フル出場したが、グループステージで敗退した。
EURO2012予選でも正GKを務め、2011年10月11日のセルビア戦ではネマニャ・ヴィディッチのPKを止め勝利に貢献。
しかし、グループ4位に終わり本大会出場を逃した。
EURO2016年予選は11試合ゴールを守っています。
EURO2016出場権をかけたウクライナとのプレーオフで敗れ、代表からの引退を宣言した。
エピソード
両親はボスニア系の移民。
従兄弟のヤスミン・ハンダノビッチも同じくスロベニア代表GKで、イタリアの下部リーグを経て現在は母国のNKマリボルでプレーする。
若手時代に手本とし憧れたキーパーとしてピーター・シュマイケルとジャンルイジ・ブッフォンの名前を挙げている。
長友との関係
長友は2011年冬にチェゼーナからインテルに加入。
2012年夏にウディネーゼから移籍してきた守護神ハンダノビッチとは5年半の付き合いになる。
これまで長友自身も同僚のベテランGKについて、「トレーニングや、食事にもストイックなので話しが合います」とツイッターでコメントするなど、仲の良い選手であることを明かしていた。
今回は、ハンダノビッチが合宿で相部屋となる長友について語っている。
「僕はナガトモと相部屋なんだけど、彼はいろんなことをしているよ。ネットを見たり、11時にはストレッチをしたりする。それに日本語で歌を歌うんだ。僕は全然分からないけど、すごく上手いし、いい声をしている」
長友は2017年末、インテルの企画で行われたクリスマスソングの合唱でソロパートを担当。
美声を披露し、好評を得たが、同僚のハンダノビッチも長友の歌唱力に太鼓判を押す形となった。
続いて守護神は、長友が気の合う仲間であることを強調したほか、就寝中のいびきを否定している。
「彼は良いチームメートで、いろんなことでいつも意見が合う。いつでも“ああ、いいよ”と言ってくれるので、彼とは何でも一緒にできる。いびきをかくか? いや、僕の方がかいているかもね。いつも僕の方が彼より先に目を覚ますんだ」
長友は元同僚であるハンダノビッチについて「彼は試合になると非常に集中していて、常に本気なんですけど…同じ部屋にいるとちょっとした問題があるんですよね。いいやつなんですけど、彼は8時に寝てしまうんですよ」と、ピッチ外でのウラ話も明らかにした。
プレースタイル
状況判断に優れ、長身を生かしたハイボールの処理能力と俊敏性を兼ね備える。
長身ながら俊敏で守備範囲が広く、鋭いクロスや近距離シュートの対応も難なく処理する安定感に加え、PKストップにも自信を持つのGKです。
ブッフォンにも実力を認められるなどセリエAで評価を高めていますが、スローイングやキックといった攻撃面に改善の余地があります。
特筆すべきはペナルティーキックに対する無類の強さで、2010-11シーズンには8本のうち6本を止めてセリエAのシーズン記録を樹立した。
2008-09シーズンからの4シーズンで32本のうち15本を止めており、ストップ率は約46.9%である。
2012年のインテル移籍後も高い阻止率を誇り、2014-15シーズンは5本中4本を止め、PKストップ率80%を記録。
2015年4月11日のエラス・ヴェローナではルカ・トニのPKを止め、セリエA歴代2位となる通算21本目のPKセーブを記録。
2020年1月20日のアタランタBC戦でPKを止めたことで、ジャンルカ・パリュウカの持つリーグ歴代1位タイとなる24本に並んだ。
ウィークポイントは足元が下手です。
CBから帰ってきたボールをワンタッチで蹴ろうとしてカスるみたいな光景は、たまに見かけます。
あとは、近くの味方にパスしようとして、相手に渡しちゃうみたいなのも割とあります。
なので、ハンダノビッチにボールが渡り、敵が猛プレスをかけてくるとドキドキしながら見ることになります。
ハンダノビッチも敵を引き付けて、パスを出そうとする時があるので怖いです。