ラバー・マジェール

概略

Rabah Madjer – Skills & Goals [legend of algeria]
国籍 アルジェリアの旗 アルジェリア
生年月日 1958年2月15日(63歳)
出身地 フセイン・デイ
身長 178kg
体重 69kg

 

Rabah Madjer

 

ポジションはフォワード(セカンドトップ、センターフォワード)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

ヒールキックが得意であったため、タロンナード(踵の魔術師)と呼ばれた。

 

アルジェリアサッカー史上最も偉大な選手とされる。

 

在籍したポルトでは欧州カップを制しヨーロッパの覇者となった。

 

獲得タイトル

クラブ

フセインデイ

  • アルジェリアカップ:1978–79
  • アフリカンカップウィナーズカップ:1978年準優勝

ポルト

  • プリメイラ・リーガ:1985-1986、1987-1988、1989-1990
  • タッサ・デ・ポルトガル:1987-1988、1990-1991
  • スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ:1986、1990
  • ヨーロピアンカップ:1986–87
  • インターコンチネンタルカップ:1987

代表

  • アフリカネイションズカップ:1990
  • アフロアジア選手権:1991年
  • アフリカ競技大会:1978

個人

  • 国連のアフリカカップ大会のチーム:1982、1990
  • アフリカ年間最優秀選手:1987年
  • インターコンチネンタルカップ:1987年の最優秀選手
  • ヨーロピアンカップ得点王:1987–88
  • アフリカネイションズカップベストプレーヤー:1990
  • IFFHSワールドプレーヤーオブザセンチュリー#62:2000
  • 20世紀のアラブサッカー選手:2004
  • 20世紀のアルジェリアのサッカー選手:2009年(ラフダル・ベルミ)
  • アルジェリア年間最優秀サッカー選手:
  • 20世紀のアフリカサッカー選手:5位
  • ゴールデンフットレジェンド賞:2011
  • IFFHSレジェンド:2016

 

経歴

A HISTÓRIA DE RABAH MADJER (رابح ماجر), O MAIOR CRAQUE DA HISTÓRIA DA ARGÉLIA
クラブ
チーム 出場 得点
1978–1983 NAフセインデイ 94 (58)
1983–1985 ラシン・パリ 50 (23)
1985年 →トゥール(ローン) 7 (2)
1985–1991 ポルト 108 (50)
1988年 →バレンシア(ローン) 14 (4)
1991–1992 カタールSC 9 (6)
合計 282 (143)
代表歴
1978–1992 アルジェリア 87 (28)

 

クラブ

 

アルジェのフセイン・デイ地区でカビール族(ティグジルト)の出身として生まれたマジェールは、1983年にヨーロッパでのキャリアをスタートさせ、地元のNAフセイン・デイからラシン・パリに移籍した。

 

1984年から85年にかけては、同じくフランスのトゥールFCにレンタル移籍で、1年半ほど在籍した。

 

1985-86年にFCポルトに移籍したマジェールは、翌年の欧州カップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦でクラブの歴史に名を刻んだ。

 

ヒールキックのゴールを決めて同点とし、直後にジュリアーニの決勝点をアシスト、1ゴール1アシストの活躍で優勝に貢献。

 

この活躍から同年のアフリカ年間最優秀選手賞に輝いている。

 

このゴールについて、ペレは「彼が振り返らなければ、私がこれまでに見た最高のゴールになっただろう」と語ったと言われている。

 

また、同年のインターコンチネンタルカップ制覇の際にもネットを揺らしている。

 

1987/88シーズン、トヨタカップのペニャロール戦では相手GKが前に出ているのを見て、巧みなループシュートで決勝ゴールを決め、優勝をもたらし、大会MVPを獲得、ポルトガルリーグでも優勝。

 

1987年以降、マジェールはバロンドール・アフリケーヌを受賞したが、ヨーロッパで生まれていないため、ヨーロッパ・ゴールデンボールへの出場は認められなかった。

 

1987-88年の前半は、わずか11試合に出場して10回の得点を記録した。

 

1988年夏にはインテル・ミラノに移籍したが、健康診断の結果、選手が過去に抱えていた太ももの筋肉の深刻な損傷が検出され、(当初の発表や公式写真はすでに撮影されていたにもかかわらず)正式な契約締結には至らなかった。

 

バイエルン・ミュンヘンへの移籍が危ぶまれたが、1988年1月にリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFと契約し、わずか数カ月で元のチームに戻り、さらに3シーズンを過ごした。

 

ヨハン・クライフは、1987年のヨーロッパ・スーパーカップでAFCアヤックスと対戦した際にも、マジェールとの契約を試みていた。

 

クライフは自分のクラブの理事会に不満を持ち、彼らが移籍の詳細を漏らしたためにポルトが契約を取りやめたと考えていた。

 

マジェールはカタールSCに短期間在籍した後、1992年に約34歳で現役を引退した。

 

代表

 

1978年アルジェリア代表デビュー。

 

マジェールはアルジェリア代表として19年間プレーし、1982年と1986年のFIFAワールドカップにも出場した。

 

マジェールの最も有名なゴールは、1982年のワールドカップでアルジェリアがドイツに2-1で勝利したときのもので、53分にゴールを決めた。

 

1990年のアフリカネイションズカップでは、ナイジェリアを開幕戦で5-1、決勝戦で1-0と2度破って優勝した。

 

1992年、28歳という若さでで引退した。

 

エピソード

Rabah Madjer ● FC Porto & Algeria ● Goals & Skills | رابح ماجر ● بورتو & الجزائر ● اهداف & مهارات

 

ラバー・マジェールの人生で最も有名なゴールは、ポルトがバイエルン・ミュンヘンを下して欧州王者となるのを助けた、4ヤードの距離からの大胆なバックヒールだった。

 

もう随分昔のことだ。

 

「今でも誰かがバックヒールでゴールを決めると、”マジェール”と呼ばれることがある。そのことを心から誇りに思っているよ」とかつての偉大なアルジェリア人FWはGOALのインタビューに語った。

 

「考える時間もなかった。あの位置からゴールを決められる唯一の方法がヒールキックだと分かっていたんだ。それを実行しただけだ」

 

一方、彼のキャリアで最も奇妙なゴールはその6カ月後、1987年12月に生まれた。

 

吹雪の中、彼が35ヤードからGKの頭上を抜くシュートを放つと、ボールは雪の上で減速しながらゆっくりとゴールラインを越えていった。

 

「時間が止まったかのようだったよ」とマジェール。

 

ボールがゴールに収まると彼は喜びを爆発させた。

 

このゴールがポルトを世界の頂点へ導くことになった。

 

東京で開催されたこの年のトヨタカップは、延長戦の末ポルトが2-1でペニャロールに勝利。

 

ビッグマッチとしては記憶に残る限り最悪のコンディションでの試合だった。

 

ピッチ上の大半が2インチの積雪で覆われ、ピッチ中央とゴール前は足首まで浸かるような泥でぬかるむ。

 

強い雪はまだ降り続いていた。

 

スライディングタックルをすれば、選手はそりに乗ったように滑っていったかもしれない。

 

視界は極度に制限され、黄色いボールはまったくバウンドせず、普通どおりのトラップやパスは不可能だった。

 

喜劇のようですらあった。

 

驚くべきことに4万5千人ものファンが吹雪を物ともせず観戦にかけつけていた。

「スポンサーやテレビのための義務があったので、試合は開催されなければならなかった」とマジェールは振り返る。

 

「ひどいコンディションではあったが、人生に一度限りの体験でもあった。我々はプレーしたいと思ったよ。あの試合を戦うことは私にとって大きな名誉だった。当時は全盛期でもあったし、本当に気持ちが燃え上がっていた」

 

「監督の指示に従うのはほとんど不可能なことだったので、本能と情熱でプレーするしかなかった。気温は下がる一方だが、私は試合の激しさに熱くなっていた。本当に気持ちが試合に入っていた。あのチームの我々は全員が兄弟のように一致団結していて、熱いハートを持っていたんだ」

 

試合は延長戦に突入し、ポルトは極限まで戦い抜いた。

 

マジェールの110分のシュートが最終的にラインを越えると、選手たちは彼に走り寄ってゴールを祝った。

 

ポルトの1点目も彼の生み出したものだった。

 

決勝ゴールに関しての彼の記憶には、文字通り霧がかかっているようだ。

 

「雪が強かったので、はっきりとは見えなかった。形やシルエットが見える程度だが、GKがラインを離れて飛び出しているのが感じられた。だから遠い位置から打ちにいったんだ」

 

ボールはGKエドゥアルド・ペレイラの頭上を大きく越え、ゴールから数ヤードの位置に落下。

 

雪がボールの勢いを殺し、ゴールラインを越えないようにも見えた。

 

「時間が止まったかのようだった」とマジェール。

 

「その数分前に、私はゴールからほんの数センチ外れるシュートを打っていた。今度はチーム全体が凍りついて、緊張感に包まれていた。誰もが凍えるような寒さからの救いを求めていたんだ。全員でボールをラインの向こうに押し込みたいような思いだった。ゆっくりと、ゆっくりと転がって、ゴールイン! 本当に興奮したよ」

 

引退後

 

引退後1993年、マジェールは代表チームの監督に就任したが、1994年のワールドカップとCANという2つの主要大会の出場権を得られなかったため辞任し、ポルトに戻ってユース・コーディネーターを務めた。

 

1999年に短期間で復帰したマジェールは、2年後の2002年夏にアグラをかいて辞任した。

 

ルーカス・アルカラスが2018年FIFAワールドカップにチームを連れて行けなかったため、2017年10月に10年以上ぶりの監督業として復帰し、物議を醸した。

 

翌年6月には、親善試合などで7試合で2勝したが、解任された。

 

カタールでは、アル・サッドSC、アル・ワクラ・スポーツクラブ、アル・ライヤンSCの監督も務めた。

 

2011年に彼はユネスコ親善大使になりました。

 

プレースタイル

Rabah Madjer Best Goals And Skills(The Magical)

テクニックに優れ、抜群の存在感を示した。

 

ヒールキックの上手さから「踵(かかと)の魔術師」の異名を持つ。

 

マジェールは、もちろん踵だけの人ではなく、FWとして得点能力の高さ、攻撃的MFとしての能力も兼ね備えている選手でした。

 

テクニックも高いんですけど、意外性のあるプレーを好む傾向はあったかも知れません。

 

とくにドリブルが素晴らしく華麗なタッチで相手を抜き去ります。

 

FWとしての得点能力と攻撃的MFとしてのチャンスメイカーとしての能力が高かった。

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