概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1960年12月14日(60歳) | ||
出身地 | ヘプワース | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 75kg |
Chris Waddle
ポジションはフォワード(右ウイング)、ミッドフィールダー(右サイドハーフ)。
利き足は左。
愛称は「マジック・クリス」。
1980年代から1990年代にかけて活躍したイングランドを代表するウインガー。
比較的大柄ながら、切り替えしの深いエレガントなドリブラーで、ガスコインと共に90年のイングランド中盤を支えた。
マルセイユ時代には、ストイコビッチを控えに追いやり、マークしたマルディーニを最も驚愕させたプレーヤーとして知られる。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- ディビジョン1:1989-1990、1990-1991、1991-1992
- ヨーロピアンカップ準優勝:1990–91
トッテナム・ホットスパー
- FAカップ準優勝:1986–87
シェフィールド・ウェンズデー
- FAカップ準優勝:1992–93
- サッカーリーグカップ準優勝:1992–93
代表
イングランド
- FIFAワールドカップ4位:1990
個人
- 年間最優秀第1部PFAチーム:1984–85、1988–89
- トッテナムホットスパープレーヤーオブザイヤー:1988
- Onze d’Argent:1991
- FIFA XI:1991
- FWA年間最優秀選手:1992–93(シェフィールド・ウェンズデー)
- 今月のプレミアリーグプレーヤー:1995年1月
- ドリームチームOMの110年:2010
経歴
クラブ
1980-81シーズン、 ニューカッスル・ユナイテッドに入団。
1983年 ニューカッスル・ユナイテッドは1部に昇格。
ニューカッスル・ユナイテッドには幸運にもポール・ガスコインが所属しており、豊かなイマジネーションを備える2人のコンビネーションは実に見事で美しいものだった。
そんな恵まれた環境の中でワドルはその能力を徐々に高めていき、やがてはイングランド代表にも選出されるようになる。
1985年8月、トッテナム・ホットスパー へ移籍、1986-87シーズン、 FAカップ準優勝。
1989-90シーズン、 ディエゴ・マラドーナの獲得に失敗し、それに代わる選手を探していたオリンピック・マルセイユ へ当時の史上3位での高額移籍金(425万ポンド)で移籍(イングランド人選手としては史上最高額)。
ワドルは、元マルセイユ選手のロジャー・マグナソンの後継者として期待されていました。
マルセイユでは移籍後数ヶ月はパパンの家に家族で滞在、そのパパンにはクロスで多くのゴールをアシストするなど、息の合うプレーでチームの躍進に貢献していた。
リーグ第3節のトゥールーズFC戦で移籍後初ゴールを決めるなど、リーグ戦では9ゴールを決めてリーグ優勝に貢献した。
1990-91シーズン、UEFAチャンピオンズカップでは、前シーズン王者のACミラン戦でゴールを決め勝利するなど(後にパオロ・マルディーニは、これまで最もマークするのに苦労した選手として、ディエゴ・マラドーナと共にワドルの名前を挙げている。)、チームを初の決勝に導いた。
決勝ではレッドスターにPK戦の末に敗れ、準優勝に終わったが、同シーズンリーグアンでは優勝をは果たした。
1991-92シーズン、 リーグアン3期連続優勝を果たした。
マルセイユでは数々の栄光を勝ち取り、マルセイユファンは彼に「マジック・クリス」というニックネームを付けました。
1992-93シーズン、シェフィールド・ウェンズデーへ移籍、 FWA年間最優秀選手賞を受賞。
FAカップ決勝のアーセナル戦でゴールを決めたが、1-2と敗れて準優勝。
フットボールリーグカップ準優勝。
1995年、ニューカッスル・ユナイテッドのケビン・キーガン監督が、当時35歳のワドルを獲得しようとしたが、シェフィールド・Wがオファーを拒否した。
1997年 バーンリーでは選手兼監督としてプレーした。
1998年に現役引退。
代表
1985年イングランド代表に選出、3月26日の北アイルランド戦でデビューを飾った。
1985年10月16日のワールドカップ予選、トルコ戦で代表初ゴールを決めた。
1986年メキシコW杯では4試合に出場(ベスト8)。
1988年ユーロ88では2試合に出場、グループリーグ敗退した。
1990年ワールドカップでは中盤のリーダーとして君臨し、低迷が続いていたイングランドを4位入賞に導く。
1990年イタリアW杯では7試合に出場、準決勝西ドイツ代表戦ではPKを失敗。
3位決定戦でイタリアに破れて4位。
準決勝の西ドイツ戦ではPKの失敗もあり、ローター・マテウスに慰められる姿だけが人々の脳裏に記憶されたが、ワドルが幾度となく見せたドリブル突破はイングランド・サッカーが古典的スタイルから脱皮した事を世界に印象付けた。
1991年10月16日のEURO 1992予選のトルコ戦で代表では最後の試合に出場した。
エピソード
オリンピック・マルセイユ20世紀最高の選手を決める投票では、パパンに次いで2位に選ばれた程の実力者。
1990年イタリアW杯では準決勝西ドイツ代表戦ではPKを失敗、このシーンが映画グッバイ、レーニン!で登場する。
プレースタイル
当時のイングランドにおいては数少い技巧派の選手で、スピードと切れのあるフェイントで相手を切り崩し、右サイドからのクロスや中央へ切り込んでのシュートを得意とした。
利き足は左だが主に右サイドでプレーし、攻撃を組み立てた。
イングランドを代表するNo.8。
独特のフェイントを駆使し魔法のようなドリブルで相手選手を抜き去り、パス能力にも非凡なセンスを持つ。
当時のイングランドでは非常に珍しいタイプのプレーヤーだった。
1980年代、イングランドではフィジカルに頼ったキック&ラッシュが隆盛を極めていた。
FWには走力が要求され、DFにはゴール前からボールを遠ざける体の強さが要求された。
当然、中盤を省いたサッカーなど同じようなパターンの連続で、なんの面白みもなく、ある一部のイングランドのクラブ以外は他の欧州各国のクラブのレベルから大きく遠ざかっていた。
そんな中で誕生したのが、クリス・ワドルという稀有な才能の持ち主だった。