概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1981年11月8日(39歳) | ||
出身地 | ロンドン ウェストミンスター パディントン |
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身長 | 176cm | ||
体重 | 76kg |
Joe Cole
ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ、右サイドハーフ、オフェンシブハーフ)、フォワード(右ウイング)。
利き足は右。
ネクスト・ガッザの愛称で親しまれた。
2000年代に活躍したイングランド代表のファンタジスタ。
チェルシーで活躍しリーグやカップなどタイトル獲得に貢献した。
伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。
獲得タイトル
クラブ
ウェストハムユナイテッド
- UEFAインタートトカップ:1999
チェルシー
- プレミアリーグ:2004-05、2005-06、2009-10
- FAカップ:2006-07、2009-10
- フットボールリーグカップ:2004–05
- FAコミュニティシールド:2005
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:2007–08
個人
- ウェストハムユナイテッドハンマーオブザイヤー:2002–03
- 今月のプレミアリーグプレーヤー:2005年3月
- PFA年間最優秀チーム:2005–06プレミアリーグ
- チェルシー年間最優秀選手賞:2007–08
- NASLベストXI:2016
経歴
クラブ
ウェストハム・ユナイテッドFCの下部組織で育ち、1999年に17歳でトップデビューを果たした。
ウェストハムではキャプテンを努めるほどに成長したが、2002-03シーズンに自身の怪我もありチームは降格した。
これを機に2003年8月6日、CL出場と代表定着のために660万ポンドでチェルシーFCに移籍。
ロマン・アブラモヴィッチ体制初年度の注目選手の一人として背番号10を背負ったが、クラウディオ・ラニエリ監督の下ではフアン・セバスティアン・ベロンら他の新加入選手の存在もあり不遇のシーズンになった。
一方、ベロンからは、その技術の高さを絶賛された。
翌2004-05シーズンはジョゼ・モウリーニョの監督の就任に伴い、新たなポジションを得た。
シーズン当初はサブとして起用されていたが、左ウイングのアリエン・ロッベンの負傷で、モウリーニョはダミアン・ダフを左ウイングへ回し、コールを右ウイングで起用した。
この起用がはまり、持ち前のドリブルを生かしたプレーが増加。
モウリーニョの指導で守備も改善し、フィジカル面でも成長を見せた。
2009-10シーズン終了後に契約満了によりチェルシーを退団し、7月19日にヨッシ・ベナユンと入れ替わる形でリヴァプールFCに移籍。
移籍金なしの4年契約で、背番号はチェルシー在籍時と同じ10。
リヴァプールでは即戦力として期待されたものの、故障やロイ・ホジソン監督の戦術に適応できなかったこともあり思うような活躍は披露できなかった。
2011年8月31日、フランスのLOSCリール・メトロポールへレンタル移籍。
背番号はウェストハム在籍時と同じ26。
2013年1月4日、ウェストハム・ユナイテッドにフリートランスファーで加入し約10年ぶりに復帰した。
2014年5月に契約満了により退団し、同年7月にアストン・ヴィラFCに加入。
契約期間は2年間。
アストン・ヴィラでは出場機会に恵まれず、翌2015年10月16日にフットボールリーグ1(イングランド3部)のコヴェントリー・シティFCにレンタル移籍した。
当初は35日間という短期契約であったが、その後、1月まで契約期間を延長し、2016年1月7日にはアストン・ヴィラとの契約を解消、完全移籍したことが発表された。
契約期間は2015-16シーズン終了まで。
2016年5月4日、北米サッカーリーグ(アメリカ2部)のタンパベイ・ローディーズへの加入が発表された。
7月16日のノースカロライナFC戦でアメリカデビューを果たすと、シーズン途中加入ながら9得点をあげる活躍を見せ、2016年のNASL年間ベストイレブンに選出された。
2018年6月、選手兼任でアシスタントコーチに就任した。
2018年11月13日、現役引退を発表。
代表
2001年5月25日のメキシコ戦にてフル代表デビューを果たす。
2002年FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが途中出場のたった1度だけの出場に終わった。
UEFA EURO 2004のメンバーにも選ばれたが大会では出場機会に恵まれなかった。
なかなかスタメンに定着できなかったが、モウリーニョ監督の下で成長を遂げると、イングランド代表の課題であった左ミッドフィールダーのポジションで頭角をあらわし2006 FIFAワールドカップ予選でも活躍を見せた。
本戦においても、対スウェーデン戦でゴール前のこぼれ球から胸トラップし、ドライブ回転のかかったロングシュートを記録した。
ファビオ・カペッロ監督の下、2010 FIFAワールドカップで代表メンバー入りした。
エピソード
- 実家は果物屋。
- 一家揃ってチェルシーのファンで、自身も少年時代からの大ファン。
- テレビゲームが好きで、PS2ゲームのプロエボリューションサッカー(ウイニングイレブン)が得意。チェルシー時代にジョン・テリーが催したチーム内の大会で優勝し自前のトロフィーを獲得したという。
- ジョゼ・モウリーニョの手により才能をさらに開花させたが、モウリーニョの指導で最も大きかったのは、「食事改善」であったと語っている。
- ブラジルの英雄のジーコをアイドル視しており、パソコンのスクリーンセーバーをジーコにしているという。
- クロスがよく相手ディフェンダーの手に当たってPKになることから、「ハンド取りの名人」と呼ばれたことがある。
- また、解説者としても知的な側面を見せていた。
引退後
2018年11月13日、現役引退を発表。
同年12月28日、古巣チェルシーの下部組織のコーチとして復帰した。
2020年6月、退団していたことを明かした。
プレースタイル
“ネクスト・ガッザ”の愛称に相応しい卓越した足下の技術と攻撃センスが武器。
非凡なテクニックから繰り出される高速ドリブルが最大の武器。
また右利きだが左足からでも精度の高いクロスを入れることができる。
様々なポジションをこなせる器用なプレーヤーで、攻撃にアクセントをつけるファンタジスタ性もある。
ドリブルと縦パスのセンスは随一である。
現地では、イングランド人で数少ない違いを作れるプレーヤーとも言われており、テクニックは本当に素晴らしく、ジェラードも目を見張る。
ジェラード曰く、ゴルフボールをサッカーボールと全く同じように扱える。
モウリーニョ下のチェルシーではWG(ウイング)としても活躍しました。