ポール・インス

概要

国籍 イングランドの旗 イングランド
バルバドスの旗 バルバドス
トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
生年月日 1967年10月21日(54歳)
出身地 ロンドン レッドブリッジ区
身長 178cm
体重 77kg

 

Paul Ince

 

ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ、センターハーフ)。

 

利き足は右。

 

「イングランドの心臓」、「闘犬」などの異名を持つ。

 

1990年代のイングランドを代表するミッドフィールダー。

 

マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドプレイヤー。

 

インテル、リヴァプールなどでも活躍した。

 

獲得タイトル

クラブ

マンチェスター・ユナイテッド

  • プレミアリーグ:1992-1993、1993-1994
  • FAカップ:1989-1990、1993-1994
  • フットボールリーグカップ:1991–92
  • FAコミュニティシールド:1990、1993年、1994年
  • ヨーロピアンカップウィナーズカップ:1990–91
  • 欧州スーパーカップ:1991年

ウォルバーハンプトンワンダラーズ

  • フットボールリーグ第1部プレーオフ:2003年

個人

  • ウェストハムユナイテッドハンマーオブザイヤー:1988–89
  • サーマットバスビー年間最優秀選手賞:1992–93
  • 今月のプレミアリーグプレーヤー:1994年10月
  • PFAチームオブザイヤー:1992–93プレミアリーグ、1993–94プレミアリーグ、1994–95プレミアリーグ
  • 10年の国内チーム–プレミアリーグ10シーズンアワード(1992–93から2001–02)

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1984-1989 イングランドの旗 ウェストハム 72 (7)
1989-1995 イングランドの旗 マンチェスターU. 206 (25)
1995-1997 イタリアの旗 インテル 54 (10)
1997-1999 イングランドの旗 リヴァプール 65 (14)
1999-2002 イングランドの旗 ミドルズブラ 93 (7)
2002-2006 イングランドの旗 ウルヴァーハンプトン 115 (10)
2006 イングランドの旗 スウィンドン 3 (0)
2007 イングランドの旗 マクルズフィールド 1 (0)
通算 609 (73)
代表歴
1989 イングランドの旗 イングランド U-21 2 (0)
1992 イングランドの旗 イングランド B 1 (0)
1992-2000 イングランドの旗 イングランド 53 (2)

 

クラブ

 

少年時代に応援していたウェストハムに練習生として入団し、86/87シーズン、ウエスト・ハムでトップデビューすると87/88シーズンには、その強烈な個性で若くしてチームの中心選手となる。

 

この頃から、すでに強烈なプレースタイルは確立されており、激しいタックルと審判への激しい抗議などで、イングランドではかなり有名な存在となる。

 

88/89シーズン、ウエスト・ハムの成績は振るわず2部に降格してしまう。

 

そこに目を付けたのが、マンチェスター・Uのアレックス・ファーガソン監督であった。

 

当時のマンチェスター・Uはまだ常勝チームではなく、発展途上のチームであった。

 

マンチェスター・Uでも強烈なキャラクターを発揮し、チームメイトにも多くの激を飛ばし、プレーでチームを引っ張った。

 

そのプレーに引っ張られるようにして、マンチェスター・Uは徐々にチーム力を付けていく。

 

ブライアン・ロブソンと中盤でコンビを組み、90/91シーズンには、カップウイナーズ・カップでFCバルセロナを下し優勝。

 

92/93シーズンには、ギグズ、カントナ、ヒューズ、カンチェルスキスらの攻撃陣と、インス、ブルース、シュマイケルの守備陣ががっちり咬み合い、念願のリーグ優勝を果たした。

 

93/94シーズンにもリーグ優勝を果たし連覇を達成、ここからマンチェスター・Uの黄金時代が始まる。

 

そして、これらの活躍が評価され、95/96シーズンにはイタリアのインテルに引き抜かれることになる。

 

セリエAは多くのイングランド選手が苦戦を強いられたリーグである。

 

親友であるポール・ガスコインも、セリエAで十分に能力を発揮できたとは言い難い。

 

サモラーノ、カヌ、ジョルカエフといった豪華な攻撃陣らと支えます。

 

インスはこのシーズン多くの選手が入れ替わり、生まれ変わったチームで縦横無尽の活躍を見せる。

 

しかし、チームはやはり完成度が低かったため、序盤になかなか勝ち星を挙げる事ができず、上位に食い込むことはできなかった。

 

96/97シーズンは、ボスマン判決の影響でインテルは資金力にものを言わせ、多くの外国人選手を獲得する。

 

同じポジションにはシメオネ、ゼ・エリアス、スフォルツァ、ヴィンターが加入したが、それでも中盤の中心はインスであった。

 

インテルは最終的にパルマに競り負けCLの出場権は逃すも、3位という好成績を残し長年続いた低迷から脱した。

 

その後もインテルの中心選手として活躍が期待されたが、シーズン中に一部のサポーターから人種差別的な発言を受けたことによりインテル退団を決意。

 

再びイングランドに戻り、リヴァプールに活躍の場を移した。

 

リヴァプールでも絶対的存在として君臨し、闘争心剥き出しで激しいプレーでチームを活性化させた。

 

しかし、その激しい性格はリヴァプールではなかなか受け入れられなかった。

 

ウリエ監督が若いジェラードを起用するため構想から外れ、チームのスター、オーウェンや他の選手から煙たがられるようになり、98/99シーズン終了後にはウリエにより戦力外の扱いを受け追い出されるように退団。

 

その頃には、かなり発言力の大きな選手となっており、多くのチームは彼をやっかいな人物として見るようになっていた。

 

そのため移籍先はなかなか決まらなかったが、ミドルスブラの監督と勤めていたマンチェスター・U時代のチームメイトのブライアン・ロブソンにより雇われることとなった。

 

かつての僚友ロブソン監督の下、ガスコインと中盤でコンビを形成。

 

ミドルスブラでは3シーズン主力として活躍。

 

キャプテンとしてもチームをプレミア残留に導きます。

 

しかし、年齢のためかかつてのような驚異的なプレーは徐々に消えていった。

 

それでも、ピッチ上での存在感は圧倒的なものがあったが、ブライアン・ロブソンが監督の座を退くと共にチームを去った。

 

その後、現役にこだわり2部に所属するウォルバーハンプトンに移籍。

 

そこではベテランでありながら、シーズンのほとんどの試合に出場し1部昇格に大きく貢献した。

 

03/04シーズン、プレミア復帰を果たしたが、チームはインスの孤軍奮闘も実らず再び降格。

 

現役を続行しウォルバーハンプトンでその後2シーズンプレーしたが、プレミアに復帰することはできなかった。

 

06/07シーズン、Swindon Townというチームでのプレーを最後に現役を引退した。

 

代表

 

1992年9月9日スペイン戦で代表デビュー。

 

翌年6月9日アメリカ戦ではプラットやアダムスの欠場により黒人初のイングランド代表キャプテンになるなど不動の地位を確立させます。

 

しかし1994年W杯予選は8試合出場しますが、まさかの敗退となりました。

 

2年後の欧州選手権で4試合に出場。

 

1998年W杯予選では6試合に出場し、最終節ポーランド戦で流血するもののピッチに立ち続け、治療後も止血できない中ユニフォームを赤く染めながらも終了までプレーする気迫を見せました。

 

本大会でも全4試合に出場し、アルゼンチン戦でのベッカム退場後の奮闘は、メディアから母国の名誉を守ったと報じられました。

 

2000年欧州選手権でも3試合プレーしています。

 

エピソード

 

闘将

 

98年のW杯予選では、鬼神の如く凄まじいプレーを見せ、チームを牽引。

 

ホドル監督も絶大な信頼を寄せており、インスがどんなに疲れ果てていても、彼がピッチから交代を命じられることはなかった。

 

最終戦では頭部に裂傷を負い、頭に包帯をグルグル巻いてピッチに戻る。

 

しかし、それでも流血は止まらなかったようで、包帯もユニフォームを血まみれになりながら最後までプレーし、念願のW杯出場を決めた。

 

W杯でも、中盤を駆け巡り決勝トーナメント進出に大きく貢献。

 

ベスト8を掛けたアルゼンチン戦では、退場になったベッカムの穴を埋めるべく、120分間鬼気迫るプレーを見せる。

 

PK戦では自らもPKを外しアルゼンチンに敗れるが、そのプレーは大きく評価された。

 

引退後

 

2008-2009シーズン開幕前、マンチェスター・Cへ移ったヒューズ監督の後任としてブラックバーンの監督に就任。

 

インスはプレミアリーグで指揮を執るのに必要なUEFAプロライセンスを取得していないが、ブラックバーン側の申請によりプレミアリーグ協会は、2年以内にライセンスを取得するのを前提に特例を認めていた。

 

イングランド人の黒人監督がプレミアリーグのチームを率いるのは史上初めてのことであり、その躍進が期待されていたが、2008年12月16日、成績不振を理由にブラックバーンから解雇された。

 

プレースタイル

 

高い身体能力とすさまじい運動量を武器に、執拗なマンマークと流血さえいとわない荒々しいボディコンタクトでボールを奪取、時折見せる強力なミドルでゴールを狙うこともあります。

 

力強いプレーと共に強烈なキャラクターとキャプテンシーの持ち主でもあり、「イングランドの心臓」と呼ばれるほど、中盤で絶大なる存在感を発揮します。

 

凄まじい運動量と、抜群の身体能力でボールを奪う姿は、まさしく「闘犬」と言える。

 

プレースタイルだけではなく性格も「闘犬」、敵や審判に食って掛かりカードをもらうことも多かった。

 

決してクリエイティブなボランチではなかったが、高い得点能力も兼ね備え、ミドルレンジからの強烈インサイドキックでのシュートで多くのゴールを挙げた。

 

また、驚異的な瞬発力の持ち主でもあり、マンチェスター・U時代のオーバーヘッドキックは今でも語り草となっている。

 

その強烈なプレースタイルは有名で、激しいタックルと審判への激しい抗議などで、イングランドではかなり有名な存在となる。

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