概要
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1987年5月4日(34歳) | ||
出身地 | アレニズ・ダ・マール | ||
身長 | 180cm | ||
体重 | 75kg |
Cesc Fàbregas
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ、オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
2000年代から2010年代に活躍したスペイン代表のミッドフィールダー。
アーセナルやバルセロナ、チェルシーなどで活躍した。
デビューはなんとセスクがまだ16歳の時。
翌シーズンから公式戦46試合に出場するなど若くしてアーセナルの中盤にスタメンとして名を連ねる事になります。
2008年には21歳にしてキャプテンマークを巻くなど「ヤング・ガナーズ」の象徴的存在でした。
スペイン代表として2008年、2012年のEUROで優勝。
2010年南アフリカワールドカップ優勝を経験した。
獲得タイトル
クラブ
- アーセナルFC
- FAカップ:1回 (2004-05)
- FAコミュニティ・シールド:1回 (2004)
- サッカーリーグカップ準優勝:2006–07
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:2005–06
- FCバルセロナ
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2011)
- UEFAスーパーカップ:1回 (2011)
- リーガ・エスパニョーラ:1回 (2012-13)
- コパ・デル・レイ:1回 (2011-12)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2回 (2011, 2013)
- チェルシーFC
- プレミアリーグ:2回 (2014-15, 2016-17)
- フットボールリーグカップ:1回 (2014-15)
- FAカップ:1回 (2017-18)
モナコ
- クープ・ドゥ・フランス準優勝:2020–21
代表
- スペイン代表
- UEFA欧州選手権:2回 (2008, 2012)
- FIFAワールドカップ:1回 (2010)
個人
- 2003年U-17世界選手権 – 得点王(5得点)・最優秀選手
- PFA年間最優秀若手選手賞 2007-2008
- UEFA EURO 2008 – 優秀
- UEFA European Under-17 Football Championshipゴールデンプレーヤー:2004
- ブラヴォー賞:2006年
- ゴールデンボーイ:2006
- UEFAチームオブザイヤー:2006、 2008
- 今月のプレミアリーグプレーヤー:2007年1月、2007年9月
- シーズンのアーセナルプレーヤー:2006-07、2007-08
- PFA年間ベストイレブン:2007–08プレミアリーグ、 2009–10プレミアリーグ
- 今年のESMチーム:2007-08、2009-10、2014から15
- トーナメントのUEFA欧州選手権チーム:2008、 2012
- FIFA FIFPro World XI第5チーム:2014
経歴
クラブ
FCバルセロナのカンテラで育つ。
ここでリオネル・メッシやジェラール・ピケらと共にプレーした。
2003年のU-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。
自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。
FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームにはシャビやイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。
その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。
アーセナルではパトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-06シーズンには、シーズン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ、それにつれチームも波に乗っていった。
UEFAチャンピオンズリーグのユヴェントス戦ではゲームを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。
前任者ヴィエラの眼前でその穴を埋めたことを示してみせた。
2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号4番を受け継ぐことになった。
シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。
また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。
また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。
2008年11月29日のFCディナモ・キエフ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。
アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。
2011年8月15日、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。
移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。
背番号はアーセナル時代から愛着のある4番。開幕から、本来のポジションとは違うセンターフォワードを任されながらも、3試合連続ゴール。
しかし、10月初めの練習中に負傷。3週間の離脱を余儀なくされた。
しかし、復帰後も離脱前と変わらない活躍を見せる。
12月10日のレアル・マドリードとのクラシコでは、素早いカウンターからダニエウ・アウベスのピンポイントクロスをダイビングヘッドで押し込み、試合を決定づける3点目を決めた。
12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝でも混戦の中からこぼれ球を押しこみ3点目をマークしている。
この時、カメラに向かって指を7本立てるパフォーマンスを披露し、準決勝のアル・サッド戦で左足脛骨を骨折し戦線離脱したチームメイトのダビド・ビジャ(背番号7)にゴールを捧げた。
2014年6月13日に古巣アーセナルのライバルであるチェルシーFCへの移籍が発表された。
背番号はアーセナル、バルセロナ時代に続き4番となった。
開幕戦からボランチとしてレギュラーに定着すると、ともにリーグ最多の18アシスト、2236本のパス成功を記録。
移籍初年度からプレミアリーグの優勝を飾った。
2016年12月31日のストーク戦にてプレミアリーグでの100アシストを達成した。
2017年2月4日には古巣のアーセナル相手に得点した一方、セレブレーションは控えた。
25日のスウォンジー戦でプレミアリーグ300試合出場を達成、またこの時点で、プレミアリーグでのアシスト数102回で歴代リーグ2位タイに並んだ(もう一人はフランク・ランパード)。
2019年1月11日、ASモナコに2022年6月までの3年半契約で移籍。
2月2日のトゥールーズFC戦にて移籍後リーグ戦初ゴールを決めている。
代表
2006年3月1日にバリャドリードで行われたコートジボワール戦でスペイン代表デビュー。
1アシストを記録した。
代表デビュー以降、リオネル・メッシ(2005年のFIFAワールドユース選手権準々決勝で対戦)と同い年のティーンエイジャーという話題性も手伝って、「超新星」などと称してマスメディアに取り上げられ、2006年ワールドカップドイツ大会にも出場を果たした。
また、EURO2008でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤はシャビ、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバらと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。
EURO2008本大会グループステージ1戦目のロシア戦で、代表初ゴール。
シャビやマルコス・セナの控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。
準々決勝のイタリア戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンの動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。
準決勝のロシア戦では、セルヒオ・ラモスからのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込むダニエル・グイサの胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。
さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。
これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。
2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。
決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍し優勝に貢献した。
2012年EURO、セスクは、スペインのグループC開幕戦のイタリア戦で、4-3-3フォーメーションのフロント3人の中央に入り、実質的に偽の9番として機能した。
61分にイタリアが先制した後、64分に同点ゴールを決め、試合は1-1の引き分けに終わった。
その後、グループステージの次のアイルランド戦で大会2点目を決め、4-0でスペインの勝利に終わった。
準決勝のポルトガル戦では、延長戦を終えてもスコアレスのままだったが、シュートアウトでセスクが勝利のPKを決め、スペインが4-2で勝利した。
イタリアとの決勝戦では、先発出場し、ダビド・シルバの試合開始のゴールをアシストして、4-0でスペインが勝利し優勝を果たした。
2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1戦、消化試合となった第3戦にそれぞれ途中出場したのみとなり、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった。
2015年10月12日のUEFA EURO 2016予選、ウクライナ戦で代表通算100試合出場を達成した。
エピソード
- マイケル・ジャクソンのファンである。
- 利き足は右足だが、利き手は左手である。
- カルレス・プジョルやバルセロナのカンテラで同期だったジェラール・ピケとは仲がいい。また、シャビは彼を「未来型フットボーラーのプロトタイプ」と表現している。
- ユニホームに「セスク」ではなく「ファブレガス」とネームを入れた理由について、プレミアリーグでは姓を入れる規定があったことを挙げている。また、スペイン代表では当初の「セスク」から「ファブレガス」に変更した後、チームはユーロ2008、2010 FIFAワールドカップを制覇している。このことから本人は「本当はセスクの名でユニホームを作りたかったけど、ファブレガスの方が運を運んでくれるのなら、この名前でより多くのタイトルを獲得したい」と語っている。
- スペイン代表ではこれまで試合中に4回PKを蹴っているが、4回全てで失敗している。4度のPK失敗は14回中5回失敗したダビド・ビジャに次ぎ、スペイン代表史上2番目の記録である。ただし先述のEURO 2008の準々決勝イタリア戦、EURO 2012の準決勝ポルトガル戦でのPK戦ではそれぞれ成功させている。
- 2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、54位に選出された。サッカー選手としては21位。
- 2020年11月、カタルーニャのラジオ番組のインタビューで、チェルシー時代の監督ジョゼ・モウリーニョを絶賛する一方で、バルセロナ時代の監督ジョゼップ・グアルディオラとは 「上手くいっていなかった」 ことを明かした。
賭けで高級車をプレゼントするハメに
モナコの前にチェルシーに所属していたセスクは、トレーニング中にチームメイトのGKウィリー・カバジェロとちょっとした賭けをしていたとのことだ。
2018年のある日、トレーニング中に行われるPKの練習において、自信過剰となっていたセスクはカバジェロとの賭けを行うことを決定。
トレーニングにちょっとした“スパイス”を加えるつもりで、「PKをストップしたら車(レンジローバー)をプレゼントする」とカバジェロと約束したようだ。
しかし、セスクはこの賭けに敗れ、まさかのPKを失敗。
チームメイト全員の前でやっていたこともあり、あえなくレンジローバーをプレゼントせざるを得ない状況となってしまった。
セスクは自身のインスタグラム(cescf4bregas)で、「僕は最も自信を持っていたと感じていたが、地球上で最も愚かな男だと感じるようになった」と当時の心境を明かしており、チームメイトからは「誰もが、僕が借金を返さないとと、大声で笑っていた」と当時の状況を明かした。
しかし、セスクはここで閃いたとのこと。
賭けの際にレンジローバーをプレゼントするとは言ったものの、新車であるとは言っていなかったため、「スクラップヤード(くず鉄置き場)へ行き、壊れたレンジローバーを見つけた」とのこと。
その値段は、「たったの950ポンド(約12万5000円)であり、全く使用できるものではなかった」とのことだ。
セスクは、インスタグラムにカバジェロへレンジローバーをプレゼントした瞬間の動画を投稿。
練習場の駐車場に置かれたレンジローバーを披露するため、カバジェロはタオルを頭にかけて目隠し状態に。
ペドロ・ロドリゲスやマルコス・アロンソなどは動画をスマートフォンで撮影している姿が見られる。
そして、カバジェロのタオルをセスクがとると、リボンがついたレンジローバーを目の前にしたカバジェロはガッツポーズ。
しかし、セスクが種明かしをすると、大笑いし、割れたフロントガラスを見つけるなど仲睦まじい姿を見ることができる。
セスクは当時の教訓として「いかなる犠牲を払っても、決して賭けてはいけない」というものだった。
プレースタイル
セスク・ファブレガスの主なポジションはトップ下やインサイドハーフ、ボランチといった中央のミッドフィルダーです。
スペイン代表ではゼロトップ気味のフォーメーションにおいてワントップもやっていました。
セスクはショート〜ロングパスの精度が素晴らしく、とくにミドル〜ロングパスのセンスは抜群でした。
ショートパスでリズムを作り、チャンスがあれば積極的に相手DFライン裏へボールを送り込みます。
アーセナルやチェルシーでは、前に早い攻撃を展開する中で、セスクのパスが良いアクセントになっていました。
セスクはジェラードやシャビ・アロンソのような鋭いロングパスというよりは、ピルロのような柔らかいロングパスを出します。
味方の走り出すタイミングやスピードに合わせて蹴られたボールは、美しい軌道を描いて味方の元へ届けられます。
このパスはまさにセスクらしい技術であり、見ていても惚れ惚れしてしまうパスです。
セスクはロングパスで決定的なチャンスを作り出すことはもちろん、PA付近からのスルーパスセンスも抜群の選手です。
視野が広く、空間認識能力にも優れているため、いとも簡単に狭いスペースへパスを通してしまいます。
セスクは判断力にも優れているため、無駄なプレーが少なく、的確なタイミングでパスを出せるMFです。
セスク・ファブレガスのプレースタイルにおいて最も特徴的なのは類まれな「パスの精度」とすぐにゴールへの最短距離を見つける事ができる「広い視野」です。
スペインの選手らしくショートパスももちろん巧いのですが、セスク最大の武器はピッチのどんなところにいても確実にアタッカー(もしくはその前方のスペース)の元にボールを送り届けるロングパスの精度にあります。
常に首を振って周囲の状況を細かく確認しているので相手ディフェンスラインの高さも見えています。
逆サイドに自チームのウイングやサイドバックが走っていることも、相手のチームで誰が守備に戻ってきていないのかも常に見ています。
なのでセスクは下がり目の位置にいても一発でゴールに直結するロングパスを通すことができるのです。
チェルシーでもセスクのパス一発で局面が大きく有利になるシーンはもうお馴染みです。
同じくスペイン人でサイドでのプレーを得意とするマルコス・アロンソと長い距離のパスを交換することもあるように本当にピッチ全体を広く見えています。
そして通常こういった司令塔タイプのパサーは得点力に欠けることも多いですが、セスクはそこそこ得点も取れる選手です。
バルセロナではシーズン二桁ゴールを決めたこともありますし、プレミアリーグでは通算49ゴールを記録しています。
セスクはパスの能力と共通しますが、相手のフォーメーションに空いたスペースを見つけるのが早いため、簡単に相手のボックス内に侵入することができるのです。
コースを狙ったシュートも正確です。
セスクが時折トップ下で起用されるのはこの得点力があるためです。
バルセロナでは正直期待されたほど活躍していませんでしたが、それは適性の違いでしょう。
バルセロナは基本的に相手の素早いカウンターを防ぐため選手同士の距離を近くして細かくパスを交換しつつゆっくり攻めるポゼッションタイプのチームです。
セスクだってショートパスの交換は巧いのですが、上記の通りセスクは比較的中盤から一発で局面を決めるパスを主体としたプレースタイルです。
どちらかという速攻やカウンターのパス出し屋としてのプレーの方が向いているのです。
そういうセスクの長所と当時のバルセロナの哲学に若干乖離があったのは否めないでしょう。
実際セスクがチェルシーに移籍した当初の監督ジョゼ・モウリーニョは「バルセロナはセスクの使い方を分かっていなかった」と公言しています。
確かにセスクはアーセナルでもそうですしチェルシーでもそうですが、プレミアリーグのようによりダイレクトなスピードとパワーを求められるチームの方が輝いて見えます。
皮肉にもセスクが離れた後の現在のバルセロナはラキティッチのようにダイレクトなパスができる中盤が活躍しているだけに少し移籍が早かったかなとは思いますけど・・・