概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1924年6月4日 | ||
出身地 | バルセロナ | ||
没年月日 | 2013年7月30日(89歳没) |
身長・体重 | 181cm、79kg |
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Antonio Ramallets
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右利き。
愛称は「マラカナの猫」。
1947年から1962年の16年間FCバルセロナに所属し、通算5度のサモラ賞を受賞した往年の名GKの一人である。
スペイン代表としては1950年から1961年の間に国際Aマッチ35試合に出場。
獲得タイトル
クラブ
- リーガ・エスパニョーラ 5回(1948-49、1951-52、1952-53、1958-59、1959-60)
- コパ・デル・レイ 4回(1950-51、1951-52、1952-53、1956-57)
- ラテン・カップ 1回(1952)
- フェアーズ・カップ(現UEFAカップ) 2回(1958、1960)
個人
- サモラ賞 5回(1952年, 1956年, 1957年, 1959年, 1960年)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1942-1944 | ![]() |
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1944-1945 | ![]() |
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1946-1962 | ![]() |
288 | (0) |
1946-1947 | →![]() |
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代表歴 | |||
1950-1961 | ![]() |
35 | (0) |
1948-1960 | ![]() |
7 | (0) |
クラブ
1946年に、23歳で最初にFCバルセロナへ入団するが1946-47シーズンはレアル・バリャドリードへレンタル移籍した。
翌シーズンからはバルセロナに復帰し、ベラスコに次ぐ第2GKとなった。
そして1948年11月28日のセビージャFC戦でリーガ・エスパニョーラデビューを果たした(試合は2-1でバルセロナの勝利)。
この試合が1948-49シーズンに出場した唯一の試合となったが、これ以降は正GKの座を掴み、クラブを代表する優秀なGKとしての名声を確立した。
第一線のGKのベラスコが重傷を負ったため、彼にプレーする機会が与えられたのだ。
ラマレッツがスタメンで出場していた時代は、クラブが青と白で最も輝いていた時代と重なり、5冠時代(1951-53)とヘレニオ・エレーラ監督時代(1958-60)の両方で、多くのタイトルを獲得した。
サモラのトロフィー獲得数は、ビクトール・バルデスと並んで合計5つと絶対記録を持っている。
ラディスラオ・クバラ、シャンドール・コチシュ、エヴァリスト、ルイス・スアレス、ゾルダン・チボールらと共に1950年代のFCバルセロナを代表する選手であった。
彼の最悪の思い出は、ベルンでの不運なヨーロッパカップ決勝戦(1961年)であることは間違いない。
バルサはベンフィカと対戦し、チャンスを逃し、ラマレッツがオウンゴールを決めるなどして、3-2で敗れた。
それが、引退を決意させる条件となったのだろう。
1962年3月6日、バルサとハンブルクの試合(5-1)で、ラマレッツはバルサファンから感動的な賛辞を受けた。
この試合で「スポーツ功労賞」を受賞した。
クラブレベルにおいて現役通算538試合に出場、リーグ通算288試合に出場した。
代表
スペイン代表としては1950年から1961年の間に国際Aマッチ35試合に出場、1950 FIFAワールドカップ・ブラジル大会代表メンバーにも選出された。
1950年6月29日のブラジル大会1次リーグ初戦のチリ戦で代表デビューを飾ると決勝リーグ進出に貢献。
大会期間中に「マラカナの猫」の愛称で呼ばれた。
またカタルーニャ選抜として7試合にも出場した。
エピソード
バルデスとラマレッツ
ビクトール・バルデスは2002年の9月1日のアトレティコ・マドリー戦でリーガデビューを果たして以来、着実に試合出場を重ね、昨シーズンにはサドゥルニの持つ247試合出場記録を越えてきた。
そして今季、彼がもうひとりの伝説であるアントニ・ラマレッツの記録、288試合をも抜き去るのも時間の問題となっている。
これにラマレッツはこう語る。
「記録は破るためにあるんだ。ビクトールのような子に抜かれるのであれば、私は幸せだよ」
ラマレッツは言う。
「彼への信頼は、間違いではなかった。安定性を得るためには、試合に出続けるしかないんだ。私は彼が不運なプレーに耐える姿を見て、必ずやバルサのキーパーになると確信したよ。彼は実に上手く逆境に対処してきた。その向上本能こそが、彼の持つなによりの長所だね」
バルデス は語る。
「僕にとって、スビやラマレッツ、サドゥルニは歴史的な目標なんだ。彼らは何年もの間僕たちのユニフォームを守ってきた人たちだし、ものすごく尊敬しているよ」
「アントニ(ラマレッツ)とは何度か一緒になったことはあるんだけど、彼はいつも僕のことを信頼しているぞって言ってくれるんだ。初めて顔を合わせたときからね。彼が僕に賭けてくれたことにはすごく感謝してる。どんな時も彼にそう応援してもらえる僕は、本当に恵まれているよ」
プレースタイル
素早く機敏、そして何よりも非常に賢いGKだった。
ポジショニングの良さと俊敏性を兼ね備え、驚異の反応力を持っていた。
これらは、大まかに言って、アントニ・ラマレッツの最高の資質であり、同時に地味で華やかであることも心得ていたのだ。
スペイン史上で3本の指に入るであろう名GKだ。