概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1957年2月20日(65歳) | ||
出身地 | エストレマドゥーラ州 |
身長・体重 | 179cm、76kg |
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Rafael Gordillo
ポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ)、フォワード(左ウイング)。
利き足は左。
1980年代のスペインを代表する左サイドのスペシャリスト。
攻撃的な左ウイングバックであるが、左サイド全般でプレーできる。
ベティスやレアル・マドリードで活躍した。
ソックスを下ろしたルーズなスタイルと独特の走り方でファンの人気者でもあった。
その才能とピッチ内外での献身的な姿勢、カリスマ性により誰からも愛された。
獲得タイトル
クラブ
- レアル・ベティス
- コパ・デル・レイ : 1976-1977
- レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ : 1985-1986, 1986-1987, 1987-1988, 1988-1989, 1989-1990
- コパ・デル・レイ : 1988-1989
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1988, 1989, 1990
- UEFAカップ : 1985-1986
代表
- スペイン
- UEFA欧州選手権 準優勝 : 1984
個人
- ドン・バロン・アワード 最優秀スペイン人選手賞 : 1979-1980
経歴
クラブ
エストレマドゥーラ州・バダホス県に生まれたが、生後数ヶ月の時に両親が生まれたセビージャに引っ越した。
1972年、15歳の時にレアル・ベティスの下部組織に入団し、1977年1月30日、ブルゴスCF戦でトップチームデビューした。
デビューシーズンの1976-77シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たし、1979-80シーズンにはドン・バロン紙が選出する最優秀スペイン人選手賞を受賞した。
1985年夏にレアル・マドリードに移籍し、ラモン・メンドーサ会長時代に獲得されたスター選手の一人。
28歳で“キンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)”を擁したレアル・マドリードに加入したのだが1年目はケガでほとんど出場できず、不遇の日々を送った。
1985-86シーズンのUEFAカップ優勝を経験。
1986-87シーズンに復帰すると、クラブ史上最高とも言えるチームでレギュラーに定着。
チームと共にリーガ5連覇を果たしてスペイン・サッカー界を支配した。
主に左サイドハーフとしてプレーし、4シーズンの間一緒にプレーした左ウイングのホセ・アントニオ・カマーチョとのコンビは相手に恐れられた。
1988-89シーズンのコパ・デル・レイ決勝・レアル・バリャドリード戦では決勝点を挙げた。
1992年、35歳のゴルディージョはレアル・ベティスに復帰し、1993-94シーズン終了後のプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を手助けした。
レアル・ベティスでの2度の在籍期間中に公式戦300試合以上に出場している。
1995-96シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に属する近隣のエシハ・バロンピエでプレーし、シーズン終了後に現役引退した。
代表
1978年3月29日にヒホンで行われたノルウェーとの親善試合(3-0)でスペイン代表デビューし、1988年までに75試合に出場して3得点を挙げた。
2度のFIFAワールドカップ(1982年大会と1986年大会)、3度のUEFA欧州選手権(1980年大会と1984年大会と1988年大会)に出場し、UEFA欧州選手権1984では準優勝した。
代表でのハイライトは1984年の欧州選手権フランス大会での準優勝と、同大会の予選でマルタに12-1と大勝を収めたことだろう。
エピソード
現役引退後はレアル・ベティスのインドアサッカーチームでプレーした。
2006 FIFAワールドカップの際にはLa Sextaの解説者を務めた。
エシハ・バロンピエで副会長を務めた後、レアル・ベティスのフロントに入閣した。
2010年12月13日、レアル・ベティス会長に選出された。
プレースタイル
豊富な運動量とスタミナで左サイドを駆け回る左サイドのスペシャリスト。
守備にも献身的に走り回り、攻撃においては左サイドを疾走しチャンスを作った。
クロス、ドリブル、スピードと3拍子揃った能力で左サイドを支配した。
突出した能力はないがハイレベルにすべてをこなせる総合的に能力の高い左サイドアタッカーだった。