概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1965年5月23日(57歳) | ||
出身地 | マドリード | ||
身長・体重 | 177cm、72kg |
Manuel Sanchís
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
レアル・マドリード一筋でキャリアを全うした選手。
1983年から2001年までのレアル・マドリードでセンターバックを務めた。
ブラゲーニョやミチェル、バスケスらと共にキンタ・デル・ブイトレの一角として黄金時代を築いた。
父親もまたレアル・マドリードやスペイン代表でプレーしたマヌエル・サンチス・マルティネスであり、チェーザレ・マルディーニ、パオロ・マルディーニ親子に続いて2組目となる親子2代で欧州王者を経験した。
獲得タイトル
クラブ
レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ 1985–86, 1986–87, 1987–88, 1988–89, 1989–90, 1994–95, 1996–97, 2000–01
- コパ・デル・レイ 1988–89, 1992–93
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 1988, 1989, 1990, 1993, 1997
- コパ・デ・ラ・リーガ 1984–85
- UEFAチャンピオンズリーグ 1997–98, 1999–00
- UEFAカップ 1984–85, 1985–86
- コパ・イベロアメリカーナ 1994
- トヨタカップ 1998
代表
スペイン代表
- UEFA U-21欧州選手権 1986
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1983-1984 | ![]() |
10 | (2) |
1983-2001 | ![]() |
523 | (33) |
通算 | 533 | (35) | |
代表歴 | |||
1983 | ![]() |
6 | (1) |
1983-1986 | ![]() |
16 | (0) |
1986-1987 | ![]() |
2 | (0) |
1986-1992 | ![]() |
48 | (1) |
クラブ
レアル・マドリードのカンテラ出身。
幼い頃からレアル・マドリードとは身近な関係にあり、エル・ブランコの一員だった父親がプレーする姿を見てサッカーの楽しさを学ぶ。
12歳にしてカンテラのトライアルを受け、その直後に“ラ・ファブリカ”と呼ばれたユースチームのメンバーに抜擢。
U-14、U-19チームで卓越したテクニックを披露すると、リザーブのカスティージャへ引き上げられた。
アマンシオの指導で2部リーグに昇格したチームは、のちに“キンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)”の異名を取ることになる。
そしてディ・ステファノ監督の下、マルティン・バスケスと共にファーストチームにデビューをすると、その試合唯一となる得点も記録。
1986年に自身初のリーガ優勝を経験。
その後18年間マドリード一筋でプレーした。
エミリオ・ブトラゲーニョやミチェル、ウーゴ・サンチェスらと共に1985-86シーズンからリーグ5連覇に貢献。
また、1986年のU-21欧州選手権にも出場すると、大会最優秀選手に選ばれる活躍でスペインの初優勝に貢献した。
当時のレアル・マドリードはその5年間に欧州全土を驚かせたが、欧州チャンピオンズカップを獲得するという悲願は達成できなかった。
その夢が実現したのは1998年。
ミヤトビッチのゴールにより、クラブは32年ぶりに欧州の覇権を奪い返す。
さらにその2年後には、自身2度目、クラブ史上8回目の欧州チャンピオンズカップ優勝を果たした。
通算ではリーグ8回、コパ・デル・レイ2回、UEFAチャンピオンズリーグ2回、UEFAカップ2回等、数々のタイトル獲得に貢献。
公式戦710試合に出場し、ラウール・ゴンサレスが塗り替えるまでレアル・マドリードの最多出場記録を保持していた。
また、1993-94シーズンからはキャプテンも務めていた。
一方で、ジョン・トシャックは1991年に退任する際、チーム内における多大な権力を持ったサンチスについて「不運にも出会ってしまった最悪の人物」と批判した。
2000-01シーズンに現役を引退。
キンタ・デル・ブイトレの中では最も長く現役を続け、唯一レアル・マドリードで引退した。
代表
スペイン代表としても1986年のルーマニア代表戦でデビューし、1988年の欧州選手権と1990年のワールドカップに出場した。
しかし、1992年にハビエル・クレメンテが監督に就任してからはキンタ・デル・ブイトレのメンバーは代表から遠ざかるようになり、3月11日のアメリカ代表との親善試合がサンチスにとって代表最終戦となった。
プレースタイル
冷静な判断力と粘り強い守備に加え、ポジショニングと俊敏性に優れたセンターバック。
サッカー選手としてのクオリティーと高いプロ意識により、チーム内に新風を吹き込んだこのディフェンダー。
特筆すべきはその鋭い読みを生かした守備だった。
戦術的な知性とポジションセンスにも定評があり、通常スイーパーとしてプレーしていた。
また攻撃能力にも優れ、攻撃の起点にもなれた。