概要
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1988年7月16日(34歳) | ||
出身地 | ![]() |
||
身長 | 189cm | ||
体重 | 68kg |
Sergio Busquets
ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。
利き足は右。
派手さはないものの、「バルセロナの心臓」と称されるほどチームには欠かせないキープレイヤーであり、ポゼッションサッカーにおいて重要なビルドアップの場面で優れた戦術眼と高い技術を発揮している。
育成年代をFCバルセロナの下部組織(カンテラ)で育ち、トップチームに昇格後はバルセロナ不動のピボーテ(アンカー)として活躍。
シャビ、アンドレス・イニエスタと共に歴代最高とも言われる中盤を構成し、ラ・リーガ優勝8回、UEFAチャンピオンズリーグ3回、FIFAクラブワールドカップ2回とタイトルを総なめにし、バルセロナの黄金時代を支えた。
2021-22シーズンからはキャプテンを務めている。
スペイン代表としては2009年にデビューし、2010 FIFAワールドカップ、EURO2012優勝に貢献。
代表においても黄金時代の中心選手として活躍している。
獲得タイトル
クラブ
- FCバルセロナ
- プリメーラ・ディビシオン:8回 (2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16, 2017-18, 2018-19)
- コパ・デル・レイ:7回 (2008-09, 2011-12, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2020-21)
- UEFAチャンピオンズリーグ:3回 (2008-09, 2010-11, 2014-15)
- UEFAスーパーカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:6回 (2009, 2010, 2011, 2013, 2016, 2018)
- FIFAクラブワールドカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
代表
スペイン代表
- FIFAワールドカップ:1回 (2010)
- UEFA欧州選手権:1回 (2012)
個人
- LFPアワード:ブレイクスルー選手賞:1回 (2009)
- ブラヴォー賞:1回 (2009)
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15)
経歴
クラブ | |||
---|---|---|---|
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2006 | ![]() |
1 | (0) |
2007-2008 | ![]() |
32 | (1) |
2008- | ![]() |
451 | (11) |
代表歴 | |||
2008-2009 | ![]() |
3 | (1) |
2009- | ![]() |
124 | (2) |
2008- | ![]() |
7 | (0) |
クラブ
17歳となった2005年の夏に父親がキャリアの大半を過ごしたクラブでもあるFCバルセロナからスカウトをされ、下部組織(カンテラ)へ入団。
最初はフニベルA(U-19)に所属し、2006-07シーズンには26試合に出場し7得点を記録。
当時のチームにはボージャン・クルキッチやジョバニ・ドス・サントスといったスター候補生が在籍しており、当時のブスケツは彼らと比べると無名の存在であった。
2007-08シーズンになると、ジョゼップ・グアルディオラが監督を務めるバルセロナBでプレーする。チームの主力として32試合に出場し、テルセーラ・ディビジオン(4部)に所属していたチームをセグンダ・ディビジオンB(3部)に昇格させる。
そして、この1年間で現役時代に同じポジションだったグアルディオラから指導を受け、才能を認められたことが後のキャリアにおいての大きな転機となった。
2008-09シーズンも最初はバルセロナBの一員としてスタートするが、トップチームの監督となったグアルディオラから招集され、2008年9月13日のラシン・サンタンデール戦でプリメーラ・ディビジオン(1部)でのデビューを果たす。
10月22日にはUEFAチャンピオンズリーグ グループステージ第3節バーゼル戦でトップチームでの初ゴールを記録。
当時チームのピボーテには実力者であるヤヤ・トゥーレがレギュラーを務めていたが、前年にブスケツを始動したグアルディオラは少しずつトップリーグの強度に慣らすように起用し、シーズン後半戦になるとブスケツを積極的に起用するようになる。
12月22日にはバルセロナとプロ契約を交わし、2009年3月7日のアスレティック・ビルバオ戦ではラ・リーガでの初ゴールを記録。
5月27日のCL決勝マンチェスター・ユナイテッド戦でもフル出場し、ビッグイヤー獲得に貢献。1年間で3部から一気に1部で欧州チャンピオンになる。
さらにはプロ1年目にしてラ・リーガ、コパ・デルレイ、CLの三冠獲得に貢献。
2009年の欧州若手最優秀選手賞に該当するブラヴォー賞を受賞する。
2009-10シーズンからは背番号が16になる。
すでにチームでの序列はヤヤ・トゥーレよりも上になっており、ピボーテのレギュラーを手中に収めていた。
シーズン前半はアンドレス・イニエスタの欠場が多かったこともあってIHで起用されたり、試合もあったが、高い技術で与えられた役割をこなし、もはやバルサの中盤の一角に名を連ねることに異論を挟むものはいなくなっていた。
CL準決勝2nd legのインテル戦ではチアゴ・モッタに顔を叩かれたことでモッタが退場となる。
しかし、その際に顔を覆った手の隙間から主審の判定を覗き見していたことが明らかになり、大げさに倒れたのではないかとして議論を醸す。
この試合でチームは敗れCL連覇は逃したが、ラ・リーガでは圧倒的な強さで連覇を達成している。
2010-11シーズンのバルセロナは、グアルディオラ体制3年目ということもあって完成度がさらに増し、特にカンテラの先輩でもあるシャビ、イニエスタと共に形成した中盤は史上最高レベルとまで評され、驚異的なポゼッション力を発揮して他チームを圧倒する。
この年チームにはハビエル・マスチェラーノが加入したが、ゲームメイクの面で差があったためファーストチョイスの座は揺るがず、マスチェラーノはCBとして起用されるようになる。
プロ3年目ながらも大ベテランのような落ち着いたプレーで攻撃型のチームを攻守両面で支え続け、ラ・リーガ3連覇とCL優勝に貢献。
世界最強と言われた当時のバルサにあって欠かせないプレイヤーとなっていた。
2011-12シーズンは、グアルディオラ監督が攻撃型の3-1-3-3を採用したことで守備の負担が増えるが、それでも粛々とタスクをこなす仕事人ぶりを発揮。
ジェラール・ピケが負傷離脱したラ・リーガのレアル・ソシエダ戦とCL準々決勝のACミラン戦ではセンターバックとしてプレーしている。
恩師グアルディオラの最後のシーズンとなった中、公式戦52試合に出場しクラブワールドカップとコパ・デルレイの優勝に貢献。
2012-13シーズンから就任したティト・ビラノバ監督の下でも変わらず大きな信頼を受け、ペップ時代よりも前目の位置取りをし、以前よりもゴールに近い場所でパスを捌くことを要求される。
全体的にも重心が前がかりになったバルサは、この年リーガ史上最多記録となる勝ち点100、115得点を記録し2シーズンぶりにラ・リーガのタイトルを取り戻している。
また、この年にバルセロナでの公式戦200試合出場を達成している。
2013-14シーズンあたりから、徐々にバルセロナのポゼッションの精度に陰りが見られるようになり、前線と最終ラインが間延びし、ゲームコントロールと守備力の低下を招く戦術面の課題を丸投げされる形になり、中盤の底に位置するブスケツへの依存度と負担がより増すようになる。
チームはシーズン終盤になって調子を落とし、自身にとってはキャリアで初となるシーズン無冠に終わる。
2014-15シーズンから引退したカルレス・プジョルの背番号を引き継ぐ形で5番を背負うことになる。
この年監督に就任したルイス・エンリケはシーズン途中からリオネル・メッシ、ネイマール、ルイス・スアレスのMSNトリオの爆発的な攻撃力を前面に出したスタイルに舵を切り、それによって前年と同じように全体が間延びしやすくなるという問題をチームは抱えていたが、イニエスタやイバン・ラキティッチと共にバランスを取り、前輪駆動のチームを縁の下で支える。
MSNトリオの問答無用の火力によってバルサはリーガ、CL、コパ・デルレイの三冠を獲得。
MSNが脚光を浴びたが、この年の栄冠にブスケツの力は必要不可欠なものとなっていった。
そして、この年を境にバルサの黄金時代は終焉へと向かうのだった。
2015-16シーズンもMSNトリオが爆発的な攻撃力でチームに勝ち点をもたらす中、ボールだけでなく、スペース、時間配分など、ゲームの全てをコントロールできる世界NO.1のピボーテとして中盤で簡単にパスカットし、より磨きがかかった展開力で分厚い攻撃を後方から演出。
彼がピッチの中央にいるかいないかでチームのパフォーマンスが大きく変わることが、存在の大きさを物語っていた。
チームはシーズン終盤に突然調子を落としたが、最後は逃げ切りでラ・リーガ連覇を達成。
2016-17シーズンは、MSNトリオに依存したチーム作りが一気に噴出したかのようなシーズンとなり、イニエスタが負傷離脱を繰り返してシーズンの半分ほどしか稼働できなかったことで中盤の構成力の低下に拍車がかかってしまう。
流石のブスケツも負担の大きさと過密日程による疲労によってコンディションを落とし、本来のパフォーマンスがなかなか発揮できなくなっていた。
2017-18シーズンは、新監督のエルネスト・バルベルデが自身への過剰な負担を減らすように中盤のバランスを考えたチーム構成を採用したことで本来のパフォーマンスが発揮できるようになる。
ネイマールが退団しMSNトリオは崩壊したが、中盤をフラットにした4-4-2が基本フォーメーションとなったことで微妙に役割は変化したが、安定したゲームコントロールと中盤での守備力によってバルセロナの心臓たる所以を発揮。
熟練度を増した玄人好みのプレーで2シーズンぶりのリーガ優勝に貢献。
一方、CL準々決勝2nd legではASローマの激しいプレッシングによって思ったようなゲームメイクができず、大逆転を許してしまっている。
2018-19シーズンは2015年のシャビに続いてイニエスタがチームを去り、黄金期を支えた中盤の最後の一人となる。
2018年9月27日に契約を2023年まで延長し、契約解除金は5億ユーロに設定される。
12月11日のCLグループステージ第6節トッテナム戦ではCL100試合出場を達成。
よりメッシへの依存度が高くなったバルセロナにあって、この年大車輪の活躍を見せたメッシを中盤からサポートし、ラ・リーガ連覇に貢献。CLでも4シーズンぶりにベスト4まで勝ち抜くが、準決勝のリヴァプール戦では前年と同じく相手のプレッシングによる包囲網によって苦しみ、チームは1st legの3点のリードをひっくり返されてまたも大逆転を許しての敗戦となる。
2019-20シーズンは、開幕前に負傷したことに加え、長年の勤続疲労や年齢によるスピードの低下もあって以前よりもパフォーマンスレベルの低下が見られ、早い時間帯に交代になったり、スタメンを外れる試合が増えてくる。
特に2019年12月19日のレアル・マドリードとのエル・クラシコでスタメンを外れたのは印象的なものとなった。
シーズン後半戦はやや持ち直したものの、以前のような抜群の安定感が失われたことは否めなかった。
2020-21シーズンは、さらに不調が著しくなり失点に絡むミスも目立ったことでいよいよアンタッチャブルだった不動のピボーテの立場が揺らぐようになる
。この年監督に就任したロナルド・クーマンがビルドアップを重視せず、縦への意識を持たせようとしたことがさらに存在感を薄める結果に繋がっていた。
また、クーマンもブスケツより同じオランダ人のフレンキー・デ・ヨングや17歳のペドリを重宝しており、メディアからも限界説が囁かれるようになる。
代えの効かない存在として出場機会が劇的に減ることは無かったが、それでも不要論や批判を払拭するだけのパフォーマンスは見せられなかった。
2021-22シーズンの開幕前にチームの顔だったメッシが退団したことでキャプテンに任命される。
夏のEURO2020で再評価されたが、11節のラージョ・バジェカーノ戦で失点に絡むミスを犯すなど、衰えを指摘する声は絶えなかった。
しかし、クーマンが解任となり11月6日にかつてチームメイトだったシャビが監督に就任すると、輝きを取り戻すようになり、再びブスケツの重要性がクローズアップされるようになる。
重鎮として中盤の底に構え、若いペドリやガビを後方からリードし、チームの復調に貢献。
リーガ第34節のマジョルカ戦では、チームのホームでの公式戦連敗を止める貴重なゴラッソを決める。
代表
2008年10月11日、UEFA U-21欧州選手権のプレーオフ第1戦、スイス戦でU-21スペイン代表デビューし、17分には得点も記録。
しかしその後すぐにフル代表に呼ばれるようになったためU-21代表でのプレーは3試合にとどまった。
2009年2月に初めてスペイン代表に招集され、4月1日の2010 FIFAワールドカップ欧州予選のトルコ戦でダビド・シルバとの交代で出場し、フル代表でのデビューを飾る。
当時最強のチームだったバルセロナで評価を高めていたこともあり、次第に出場機会を増やしレギュラーに定着するようになる。
当時の中盤の主軸がシャビ、アンドレス・イニエスタとバルセロナでコンビを組んでいる選手であることが追い風となり、代表でもすんなりと力を発揮できていた。
2010年6月には、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。
グループリーグ3試合ではバルセロナと同じくピボーテの位置を任され、決勝トーナメントに入ってからはシャビ・アロンソとのドブレピボーテとしてプレー。
バルセロナのときと同じようにシャビ、イニエスタ、ダビド・シルバ、シャビ・アロンソと共に圧倒的なポゼッションを記録した最強の中盤を構成し、全試合にスタメンで出場。
スペインのワールドカップ初優勝に貢献し、21歳にしてCL優勝とワールドカップ優勝を経験することになる。
ワールドカップ優勝をもたらしたこともあり、スペイン代表でも不動のピボーテとしての地位を築くようになる。
2012年6月には、UEFA EURO2012に出場。
ダビド・ビジャが怪我で欠場したこともあって引いた相手を崩すのに苦戦することもあったが、ワールドカップのときと同じように中盤での圧倒的なポゼッション力で試合を支配する。
結局、決勝までの全6試合にフル出場を果たし、スペインのEURO連覇に貢献。
大会の優秀選手にも選ばれている。
2014年6月、ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場。
しかし、グループリーグ初戦のオランダ戦、第2戦のチリ戦ともに相手のスペイン包囲網ともいえる厳しいマークに苦しめられ、まさかの連敗。
2試合でグループリーグ敗退が決まる屈辱的な結果に終わり、第3戦のオーストラリア戦では出場機会が無かった。
大会後、シャビが代表引退を表明し、スペイン代表の黄金期は終焉を遂げるのであった。
2014年9月8日のEURO2016予選マケドニア戦で代表初ゴールを記録。
また、クラブと同じように代表での背番号も5を付けるようになる。
今予選では11月15日のベラルーシ戦でもゴールを決めており、ワールドカップで失意を味わったスペインは圧倒的な強さで予選突破を決めている。
2016年6月にはフランスで開催されたUEFA EURO2016に出場。
グループリーグでは2連勝と好スタートを切るが、ラウンド16のイタリア戦では守備に追われて攻撃をオーガナイズできないまま完敗。
4試合全てにフル出場したが、不完全燃焼のまま3連覇を逃した。
EURO2016後にビセンテ・デルボスケ監督が退任するが、引き続き不動のピボーテとして君臨。
2017年10月9日の2018 FIFAワールドカップ欧州予選のイスラエル戦で代表通算100試合出場を果たす。
2018年6月には、ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるが、大会前にフレン・ロペテギ監督が突然退任になる緊急事態が起こり、チームは混乱。
百戦錬磨のベテランとしてチームを牽引し、グループリーグは何とか突破するが、ラウンド16で開催国のロシアにPK戦で敗れる。
全4試合にフル出場したが、チームコンセプトが不明確になったチームの中で持ち味を十分に出せなかった。
大会後、長年栄光の時代を築いたイニエスタとダビド・シルバが代表を引退。
新たなサイクルに入った代表に残るが、バルセロナで不調に陥っていたこととロドリの台頭もあり不要論が聞かれるようにもなっていた。
それでも、バルセロナ時代に共に戦ったルイス・エンリケ監督は若手を多く抜擢しながらも経験豊富なブスケツを代表に選び続けていた。
2021年6月に開催されたUEFA EURO2020のメンバーに選出され、キャプテンにも任命される。
しかし、大会直前に新型コロナウィルスに感染したこともあり最初の2試合を欠場。
グループリーグ第3戦のスロバキア戦でようやく出場すると、高い技術と戦術眼でチームをオーガナイズムし、中盤のクオリティを蘇らせる。
試合のMOMにも選出され、グループリーグ突破に貢献。
決勝トーナメントに入ってからもペドリと共に中盤を掌握し、スペインのパスワークを支える。
準決勝で惜しくもイタリアにPK戦で敗れるが、大会前の限界説を払拭するパフォーマンスを見せた。
エピソード
- 2014年にエレナ・ガレラ・モロンと結婚。2人の男の子を授かっている。エレナ夫人は結婚後に始めたSNSのフォロワー数が49万人を超えるインフルエンサーでもある。
- 2011年3月に、出身地であるバディア・デル・バジェスのムニシパル・スタジアムに、ブスケツの名が冠されることが発表された。発表セレモニーに出席し喜びを語っている。
- ペップサッカーの申し子とも言われ、自らのキャリアを見出してくれたペップ・グアルディオラのことを尊敬しており、「自分の決断を変えられる人物は妻とペップ・グアルディオラだ」と語るほど。
- グアルディオラからは「1タッチなら、君は世界一だ。2タッチなら、素晴らしい選手。3タッチした場合、凡庸な選手に成り下がる」という言葉を贈られている。またブスケツについては「もし生まれ変われるなら彼のような選手になりたい」と評している。
- 2008年にトップチームに引き上げられたとき、2,3日トレーニングを共にしたリオネル・メッシが「ブスケツが好きだ。彼は苦しい場面に顔を出してくれる」とペップに語っている。
プレースタイル
「バルセロナの心臓」と称され、ピッチの幅と奥行きを常に把握できる世界最高のピボーテ(アンカー)。
シャビ、イニエスタと共にバルセロナとスペイン代表の黄金期に欠かせなかったプレイヤーであり、中盤の底でパスを的確に散らして数的優位をつくり、ときにはDFラインまで下がってビルドアップをサポートする攻守の要。
その最高レベルのポジショニングによってバルサらしさを演出している。
ビルドアップ時はセンターポジションに構えながら、ポジショニングによってビルドアップスペースを確保する。
相手のプレッシング時の枚数によってバックラインに入って3バックを形成するのか、最終ラインと2列目の間に位置するのかを的確に判断する。
相手チームがバルセロナと対戦するときはまずブスケツをいかに封じるかが重要となっているが、自らがマークされているときはポジションをずらすことで相手を動かし、後方から別の選手へのパスコースを作り出す。
中盤の底でパスを的確に散らして数的優位をつくり、ときにはDFラインまで下がってビルドアップをサポートする攻守の要である。
細身ながら球際に強く激しいチャージで敵からボールを奪い取る。
セカンドボールからの攻撃も素早い。
ビルドアップ時には2人のセンターバックの間に入って3バックを形成し両サイドバックに高い位置を保たせる。
またセンターバックとインサイドハーフの間で攻撃の起点ともなりチームトップのボールタッチ数を記録することもある。
UEFAチャンピオンズリーグ 2018-19シーズンでは全選手中最多の927本のパスとパス成功率93%を記録した。
「ボールを受け、出す」という単純なプレーにおいて、そのスピードと精度に高い評価を得ている。
プレッシング戦術が浸透し、ビルドアップに使われる時間と空間が削られる中、ブスケツは他の追随を許さないパス出しの速さと優れたビジョンによってそれを掻い潜り、味方を輝かせる事ができる。
派手なテクニックを使うわけではないが、「ボールを受け、出す」という単純なプレーにおいて、そのスピードと精度は世界最高レベルにあり、プレッシングによって時間とスペースが削られた状況であっても他の追随を許さないパス出しの速さと優れたビジョンによってそれを掻い潜り、味方を輝かせる事ができる。
また、狭いエリアで囲まれてもターンによって相手をいなす技術に優れているため、味方は安心してブスケツにボールを預けることができる。
スピードはさほどなく、長身であるものの細身であるため特別フィジカルレベルが高いわけでもないが、守備時には読みとポジショニング、そして技術によって相手からボールを奪うことができる。
危機察知能力も高く、危険なスペースをすぐに見つけてカバーに入る。
DFラインの戻りが遅れているときや引っ張り出されたときには自らバックラインまで下がって穴を埋める。
いわば第3センターバック的な役割もこなしている。
中村憲剛はブスケツを現代最高のボランチと評する。
攻撃守備共にポジショニングの上手さとパスコースを読む力の凄さを挙げている。