ロベール・ピレス

概要

国籍 フランスの旗 フランス
ポルトガルの旗 ポルトガル
スペインの旗 スペイン
生年月日 1973年10月29日(48歳)
出身地 フランスの旗 フランス、マルヌ県ランス
身長 187cm
体重 80kg

 

Robert Pirès

 

ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ、オフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

90年代後半から2000年代前半に活躍したフランス代表のミッドフィールダー。

 

ピレスはアンリやベルカンプらとアーセナルで活躍し、02-03シーズンの無敗優勝メンバーでもあります。

 

アーセナルでは、クリエイティブとテクニックに長けたMFで、攻撃の潤滑油として6シーズンもプレーしていました。

 

獲得タイトル

クラブ

メス

  • クープ・ドゥ・ラ・リーグ: 1995–96

アーセナル

  • プレミアリーグ: 2001–02 , 2003–04
  • FAカップ: 2002–03 , 2004–05
  • UEFAチャンピオンズリーグ準優勝: 2005–06

代表

フランス代表

  • FIFA ワールドカップ: 1998
  • UEFA欧州選手権:2000
  • FIFAコンフェデレーションズカップ:2001年、2003年

個人

  • ディビジョン 1 ヤング プレーヤー オブ ザ イヤー: 1995–96
  • FWA年間最優秀サッカー選手: 2001–02
  • PFA チーム・オブ・ザ・イヤー: 2001–02 プレミアリーグ  2002–03 プレミアリーグ , 2003–04プレミアリーグ
  • 今月のプレミア リーグ選手: 2003 年 2 月
  • FIFAコンフェデレーションズカップ ゴールデンボール: 2001
  • FIFA コンフェデレーションズカップ ゴールデンシュー: 2001
  • FIFA 100
  • Équipe type spéciale 20 ans des trophées UNFP : 2011

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1993-1998 フランスの旗 メス 162 (43)
1998-2000 フランスの旗 マルセイユ 66 (8)
2000-2006 イングランドの旗 アーセナル 189 (62)
2006-2010 スペインの旗 ビジャレアル 103 (13)
2010-2011 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 9 (0)
2014-2015 インドの旗 ゴア 8 (1)
代表歴
1995-1996 フランスの旗 フランス U-21 12 (5)
1996-2004 フランスの旗 フランス 79 (14)

 

クラブ

 

8歳で入団した地元のクラブ・サンタンヌで1983年、11歳以下のジュニア全国大会で優勝し、人生最初の優勝カップを手にした。

 

その後スタッド・ランス=シャンパーニュのフォーメーションセンターを経て、1992年にFCメスとプロ選手契約。

 

1993年4月、デイヴィジョン1(現在のリーグ・アン)デビュー。

 

程なくクラブの中心選手として頭角を現し、フォワードのシリル・プジェとのコンビは当時「PPガンマンズ」と呼ばれた。

 

1996年にフランスリーグカップで優勝。

 

1997-98シーズンには最終節で優勝を逃したものの、国内リーグでのクラブ歴代最高成績の2位を記録。

 

1998年フランスワールドカップ後、フランスのマルセイユに移籍。

 

1998-99シーズンはUEFAカップで準優勝、国内リーグでも2位と好成績を残す。

 

翌シーズンはキャプテンに任命されるが成績は低迷し、一部の過激なサポーターが主要選手の車を襲う等問題が多発、このシーズン限りでフランスを離れた。

 

2000年にイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ移籍。

 

移籍当初は水が合わず思うような活躍が出来なかったが、2001-02シーズンにはフランス代表でも共にプレーするティエリ・アンリ、パトリック・ヴィエラらと共に主力として活躍し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成した。

 

またこのシーズンは記者選定による最優秀選手に選ばれるなど、代表とクラブ双方にとって不可欠な存在となった。

 

その後、クラブでは負傷や若手の台頭もあり、レギュラーの座を明け渡すようになった。

 

2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝で、GKのイェンス・レーマンがレッドカードで退場した際に、控えのGKマヌエル・アルムニアと交代させられた。

 

こうした事情もあり、2005-06シーズン終了後、長年プレーしたアーセナルに別れを告げ、スペインのビジャレアルに新天地を求めた。

 

その矢先の2006年8月、ラモン・デ・カランサ杯のカディスCF戦で左膝十字靭帯断裂の大怪我を負い、戦線を離脱。

 

なお、同大会ではゴンサロ・ロドリゲスも十字靭帯を負傷する大怪我を負った。

 

2007年3月には調子を取り戻すためにビジャレアルの下部チームでプレーすることを希望したが、スペインサッカー連盟に却下された。

 

2007年3月18日のソシエダ戦でようやく戦列復帰し、2007-08シーズンは主力として活躍した。

 

2010年6月、契約を満了してビジャレアルを退団した。

 

10月から古巣アーセナルの練習に参加し、11月17日にイングランド・プレミアリーグのアストン・ヴィラFCへの加入が発表されたが、9試合の出場に留まり、シーズン終了後に退団。

 

アストン・ヴィラ退団後、3年近く所属クラブがない状態が続いていたが、2014年7月インディアン・スーパーリーグ参戦を表明。

 

9月20日、FCゴアへの加入が発表された。

 

翌2015年3月に退団。

 

それから1年間近く無所属が続いていたが、2016年2月25日にメディアのインタビューにて現役引退を表明した。

 

ちなみにピレスの引退により1998年のワールドカップ・フランス大会のフランス代表メンバー全員が現役引退したこととなった。

 

代表

 

1996年8月31日のメキシコ戦で代表デビューを果たした。

 

また同年開催のアトランタオリンピック代表メンバーにも選ばれ、準々決勝まで進出した。

 

1998年ワールドカップ・フランス大会の決勝トーナメント1回戦・パラグアイ戦では、ゴールデンゴールとなったローラン・ブランのゴールをアシストし、優勝への過程に貢献した。

 

UEFA EURO 2000に臨むフランス代表に選出され、決勝戦ではダヴィド・トレゼゲのゴールデンゴールをアシスト。

 

フランス代表の優勝に貢献した。

 

2002年のワールドカップ・日韓大会でもフランス代表の主力メンバーとして期待されていたが、大会前に右膝の靭帯断裂という大怪我を負い選考から外れた。

 

2004年、レイモン・ドメネクがフランス代表監督に就任すると、同監督との確執が生じ2004年10月頃から代表に招集されなくなった。

 

エピソード

 

髪の毛はシャンプーメーカーとの契約で勝手に切ることができないことが明らかになっている。

 

2016年5月21日、SNSで7歳になった息子のテオ・ピレスが古巣アーセナルの下部組織に入団したことを明かした。

 

ピレス本人はベジタリアンで魚だけは食すが肉は食さない。

 

髭はニコラ・アネルカの薦めで伸ばした。

 

ポルトガル出身の父親とスペイン・オビエド出身の母親の間に生まれたが、本人は生まれも育ちもフランスなため、両親と自身の母国語の計3か国語を自在に操る。

 

引退後

古巣アーセナルの大使を経て、2017年現在、アーセナルのトップチームのコーチに就任している。

 

ドメネク監督はタブー

代表に呼ばなくなったドメネク監督は、ピレスにとって最悪の監督。

 

ピレスはドメネク監督就任早々に采配を批判したりするなど、ドメネク監督のサッカーに疑問を抱いていました。ピレスの「ドメネクが無能なだけ」は有名な発言です。

 

どんなに活躍してもピレスは代表に呼ばれることがなく、溝が深まり、ピレスの前ではドメネクはタブーとさえなりました。

 

プレースタイル

 

高いキープ力を持つ巧みなドリブルと、得点感覚に優れたサイドアタッカー。

 

派手さはあまりないが一つ一つのプレーを正確に行い、シュートやパスの精度も高い。

 

左右問わずにプレーできるほか、中央(センターハーフ)もこなすユーティリティー性も持ち合わせる。

 

ピレスは、スピードやアジリティで相手を抜くのではなく、緩急やタイミングをずらして抜くドリブルに長けた選手でした。

 

近しいイメージであれば、フィーゴのようなドリブラーです。

 

ピレスのドリブル力は、推進力があり、当時の速くて鋭いサッカーをするアーセナルにフィットしていました。

 

ドリブル突破したあとは、自身でゴールを狙いつつも、ベルカンプやアンリにラストパスを供給して多くのチャンスを作り出しました。

 

また、ランパードやジェラードのように、1.5列目や2列目からの飛び出しにも優れ、アーセナルでは189試合に出場して62ゴールを挙げています。

 

時にはFWとしてプレーする事もあるほど得点能力に優れ、サイドを突破してから放たれる強烈なミドルシュートは圧巻の一言。

 

時にはループシュートでエレガントさを魅せつつも、弾丸ミドルシュートも武器としていたピレス。

 

ペナルティエリア外から、コースを突いた強烈なシュートはファンを魅了させてくれました。

 

ドリブルや連携だけではなく、飛び道具も兼ね備えていた選手です。

 

同じく左サイドを好んでいたティエリ・アンリ。

 

ピレスが加入した当初は、アンリとポジションが被るため機能しないのではないかと言われていました。

 

しかし、ピレスには卓越した戦術眼がありました。

 

アンリが外に動けば中に切り込み、逆にアンリが中に絞ればピレスは外から打開していきます。

 

これが非常に噛み合い、アンリの「最高のパートナー」としての地位を確立。

 

もちろん、アンリだけではなくベルカンプやヴィエラとの相性も良く、攻撃の潤滑油として機能していました。

 

アーセナルでは、アンリやベルカンプに注目されがちですが、ロベール・ピレスがいたからこそ最強の一時代を築いたと思います。

 

代表でもクラブでも、ピレスの存在有無ではチーム全体がガラリと変わってしまう。

 

プレーヤーとして最も成熟した時期に向かえた2002年ワールドカップだったが、怪我により出場は叶わず、ピレスを失ったフランス代表は1次リーグで敗れ去る。

 

皮肉にもピレスの偉大さを示す結果となった。

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