概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1971年6月28日(51歳) | ||
出身地 | ラヴェラネー | ||
身長 | 178cm | ||
体重 | 76kg |
Fabien Barthez
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
スキンヘッドの風貌が彼をますます目立たせる。
その象徴的な坊主姿から、同胞からは「ディヴァン・ショーヴ(禿頭の神様)」というニックネームで呼ばれるようになった。
98年ワールドカップ、ユーロ2000、2003年のコンフェデ杯を制した輝かしいフランス代表の守護神として活躍していた。
マルセイユやモナコ、マンチェスター・ユナイテッドなどで活躍した。
マルセイユではチャンピオンズリーグ制覇もしている。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- UEFA チャンピオンズ リーグ: 1992–93
- ディビジョン 2 : 1994–95
ASモナコ
- ディビジョン1 : 1996–97 , 1999–2000
- トロフィー・デ・シャンピオン: 1997
マンチェスター・ユナイテッド
- プレミアリーグ: 2000–01 , 2002–03
代表
フランス代表
- FIFA ワールドカップ: 1998 ; 準優勝:2006年
- UEFA欧州選手権:2000年
- FIFAコンフェデレーションズカップ:2003年
個人
- FIFAワールドカップ ヤシン賞: 1998
- FIFAワールドカップオールスターチーム:1998
- リーグ・アン年間最優秀ゴールキーパー: 1998
- IFFHS 世界最高のゴールキーパー: 2000
- トーナメントのUEFAユーロ チーム: 2000
- PFA チーム・オブ・ザ・イヤー: 2000–01 プレミアリーグ
- Équipe type spéciale 20 ans des trophées UNFP : 2011
- ドリームチーム OM110周年: 2010
- プレミアリーグ最多クリーンシート: 2000–01
経歴
クラブ
1990年、リーグ・アンの新興勢力であり自らの故郷にも程近い街のクラブ、トゥールーズでキャリアをスタート。
すぐに若手の有力株として頭角を現したバルテズは程なくしてフランス南部のマルセイユに引き抜かれ、1992-93シーズンにはフランスのクラブ初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験する。
その後も安定したパフォーマンスを披露し続けた。
1995-96シーズンにASモナコへ移籍。モナコでの5シーズン中にリーグ優勝を2度成し遂げ、フランス屈指のGKとして評価を盤石のものとした。
EURO2000の活躍が認められて2000年にイングランドのマンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍し、リーグタイトルの奪取に貢献する。
その後ユナイテッドでもアレックス・ファーガソン監督を初めとする首脳陣との確執や、時折犯すイージーミスによる能力への疑問視、さらにアメリカ代表GKティム・ハワード、北アイルランド代表GKロイ・キャロルらのポジション争いなどで苦境に立たされる。
最終的に2003-04シーズン途中での退団を選択、古巣のマルセイユに復帰した。
マルセイユ復帰後も安定したプレーを続けていたが、2005年2月12日にモロッコのクラブチームとの親善試合中に主審の胸に唾を吐き、フランスサッカー連盟から6ヶ月の謹慎処分を受けてしまう。
既にベテランの域に達していたためそのまま引退するのではないかとも囁かれた。
しかし、謹慎の解けた後はマルセイユで再びスターティングメンバーに名を連ねた。
2006年W杯終了後にチームの若返りの方針によりマルセイユを解雇される。
バルテズは故郷で病床にある母と出来る限り生活を共にしたいとの思いから、故郷近郊のクラブであり自らのプロ生活の原点でもあるトゥールーズへの復帰を希望。
入団が取り沙汰されるが結局実現せず、2006-07シーズンから無所属となった。
2006年10月5日、現役引退を発表。
「まだ2年は出来るつもりだった」と本人が語ったように余力を残しながらの引退であり、12月17日に引退撤回を発表した。
新たな所属先は降格ゾーンに低迷するFCナントとなった。
パリ・サンジェルマンFCに移籍したミカエル・ランドローの穴を埋めることが期待されたが、チームの降格が決定したことがきっかけでファンとの揉めごとを起こし、シーズン終了を待たずに退団した。
代表
1994年5月26日の対オーストラリア戦でフランス代表デビュー。
フランス代表の守護神としても活躍を見せ、1998年、地元開催のフランスW杯では優勝に貢献しレフ・ヤシン賞を獲得。
続くEURO2000でもフランス代表を優勝に導き、フランスのみならずワールドクラスのゴールキーパーとしても名声を勝ち得ることとなった。
前回王者として臨んだ2002年日韓ワールドカップでは自身はウルグアイ戦で好セーブを見せるなどしたが、1分け2敗という成績でグループリーグ敗退に終わった。
2005年謹慎の解けた後はマルセイユで再びスターティングメンバーに名を連ね、代表にも再招集された。
彼の謹慎中に代表のゴールマウスを守り、高評価を得ていたグレゴリー・クーペと2006 FIFAワールドカップドイツ大会に向けて正GKの座を争うこととなった。
そしてレイモン・ドメネク代表監督は有力視されていたクーペではなくバルテズを正GKに抜擢。
本大会ではチームの失点を7試合中わずか3点に抑える活躍を見せ、フランスの準優勝に貢献した。
エピソード
試合前に、ディフェンダーのボスであるローラン・ブランがバルテズのスキンヘッドにキスをするというのが1998年のワールドカップのフランスチームの儀式となりました。
そして、この儀式をすると必ず勝つというジンクスを作り上げたのです。
事実、このキスがあった時は負けなかったです。
何と言っても彼の良さは底抜けの明るさでしょう。
ワールドカップの準々決勝でイタリアとのPK戦の前に、控えのキーパーと冗談を言い合って大笑いしていた姿には仰天しました。
心臓に毛でも生えているのかな?と。
相手方イタリアのキーパーはもう深刻そのものの顔をしていたのに、です。
プレッシャーがかかればかかるほど明るくなる、というのが本人の弁ですが、本当に大した心臓。
そんな彼が、優勝が決まった時は号泣して立ち上がれなかった姿を見てまたびっくり。
心臓に毛が生えていたのでは!?
きっと、彼は度胸はあるけれど、案外繊細で純粋なのかもしれません。
引退においやられた事件
2007年、レンヌに0-2と完敗を喫した後、一部のサポーターがバルテズに暴力行為を働いた。
ナントのルディ・ルシオン会長は会見で、「バルテズはもう戻ってこないかもしれない。彼は家族と共に安全な場所に行ってしまった。彼はとても傷ついていて、家族に会わせてくれるように頼んできた。私は彼が戻ってくる事を願っているが、もし彼がそれを望まないのなら、私はあきらめるしかない」と話した。
かつてオリンピック・マルセイユやイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドで活躍したバルテズは、既に管理人に別れを告げ、フランス南部までの片道チケットを手にナントを去っていった。
事件は、降格が決まったレンヌ戦が終了してから起きた。
サポーターからの批難の対象となっていたバルテズが車で駐車場を出ようとしたところに5人のサポーターが声を掛け、彼を罵り、暴力を加えようとした。
バルテズは彼らから逃れようとしたが、襲撃者の一人が彼を運転席から引きずり出そうとしたためにバルテズも反撃しなければならなくなった。
バルテズは1月にチームに加入して14試合に出場。
23ゴールを許しており、不安定な時を過ごしていて、練習を休む為に怪我をしたふりをしていると非難され続けていた。
これを機にバルテズはサッカー選手を引退する。
引退後
トゥールーズにゴールキーパーの養成学校を設立した。
またフランス代表監督に就任したローラン・ブランからGKコーチとして代表スタッフ入りを打診されたが、固辞している。
その後はモータースポーツ活動をしており、2013年のフランスGT選手権王者になった。
ル・マン24時間レースにもレーサーとして参戦をしており、2016年はLMP2クラス8位、総合12位の好成績を収めている。
プレースタイル
セービング技術は勿論の事、ポジショニングの良さ、飛び出しのタイミングの良さ、更には足元の技術も持ち合わせており、新時代のGKと言うに相応しい選手である。
GKとして小柄なバルテズの最大の魅力はボールへの反応の良さだと思います。
至近距離からの強烈なシュートや一対一のシュートにも素早く反応し、とにかくボールをはじきまくる。
バルテズって結構前に出てシュートを受けるんですよね。
この場合確かにシュートコースは狭まるわけですが、そのぶん相手と自分の距離も近くなるわけですから通常よりも素早く反応しなければならない。
でも彼はそういうシュートをバンバン止める。
きっと自分の反応のよさを頭に入れた上でのポジショニングだったんでしょう。
また見た目は派手ですが、実はしっかりとはじいて点を入れさせないことを第一に考える安定重視のGKだったなというのが僕の印象です。
割と正面に近いようなボールでもまず弾くっていうスタンスだったような気がします。
下手にキャッチに行くよりもその方が安全ですからね。
見た目に反して安全性を考えていたGKだったのかな?なんて思います。
バルテズはあまりゴールラインに張り付いているキーパーではなく、ディフェンスラインの裏へのスルーパスなどに積極的に飛び出していくGKでした。
ここまで出て良いの?と心配になるくらい時には思い切った飛び出しをしてボールをキープする。
それが成功する確率が多かったのもフランスのラッキーだったでしょう。
そして、キック力も強くて、バルテズからのゴールキックを受けて飛び出したフォワードの選手がそのままゴールを決めるというシーンもありました。
相手の足元にも勇敢に飛び出していました。
かなりきわどいボールでも身体を投げ出してセーブしていました。
彼とかカンポスとかやっぱり小さいGKっていうのは小回りを活かしてどんどん飛び出していくスタイルの選手が多い気がします。
スルーパスや裏へのパスに対してガンガン飛び出しシュートコースを狭めて体に当てていく、あるいは未然にクリアしていく。
ゴールライン付近で守ってるよりもその方がリスクもあるけど、ゴールを守れる可能性も高くなるのかななんて思います。
小さいGKで反応に自信がある選手は彼のプレーも参考になるんじゃないかななんて思います。
安定感という点ではやや不安視されていた部分もありましたが、このプレースタイルでマルセイユではチャンピオンズリーグ優勝を果たし、ワールドカップ、ユーロを制したわけですから実績に関しては本物です。