ウィリー・サニョル

概要

国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1977年3月18日(45歳)
出身地 サン=テティエンヌ
身長 182cm
体重 82kg

 

Willy Sagnol

 

ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。

 

利き足は右。

 

2000年代に活躍したフランス代表の右サイドバック。

 

ジダンやアンリたちと同じ世代のフランス代表の右サイドバックであり、クラブと代表の両方で多くの舞台で活躍した。

 

バイエルンで活躍し、2000-01シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグを制覇した。

 

獲得タイトル

クラブ

モナコ

  • ディビジョン1 : 1999–2000
  • トロフィー・デ・シャンピオン1997

バイエルン・ミュンヘン

  • ブンデスリーガ2000–01 , 2002–03 , 2004–05 , 2005–06 , 2007–08
  • DFB-ポカール2002–03 , 2004–05 , 2005–06 , 2007–08
  • DFL リーガポカール2000
  • UEFA チャンピオンズ リーグ2000–01
  • インターコンチネンタルカップ2001

代表

フランス代表

  • FIFAコンフェデレーションズカップ2001年2003年
  • FIFAワールドカップ準優勝:2006年

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 フランスの旗 サンテティエンヌ 46 (1)
1997-2000 モナコの旗 モナコ 71 (0)
2000-2009 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 184 (7)
2003-2008 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 3 (0)
通算 304 (8)
代表歴
2000-2008 フランスの旗 フランス 58 (0)

 

クラブ

 

ASサンテティエンヌで1995-96シーズンに18歳でリーグ・アンにデビュー。

 

翌年には19歳ながらもキャプテンに任命された。

 

ちなみにこの時は右サイドハーフやボランチでプレーしていた。右サイドバックはASモナコ移籍後にコンバートされたもので、これにより一気に才能を開花させ、1999-2000シーズンのリーグ優勝に貢献した。

 

2000-01シーズンからはバイエルン・ミュンヘンでプレー。

 

左サイドバックだった同胞のビセンテ・リザラズと共に多くのタイトル獲得に寄与した。

 

堅実なディフェンスと正確なクロスボールを武器に出場機会を得ると、2000/01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは14試合に出場し優勝に大きく貢献。

 

2006年冬には契約満了と共にユヴェントスFC移籍の噂が流れたが結局は契約延長した。

 

2007年はアキレス腱の怪我からの復帰のためにリハビリ中であったが、復帰のメドが経たずその間にクリスティアン・レルやフィリップ・ラーム等にポジションを奪われたため2009年2月22日をもって現役を引退した。

 

代表

 

代表としてはユースを経てA代表に招集され、2000年のトルコ戦にてデビューした。

 

長年の間、名手リリアン・テュラムの陰に隠れた存在だったが、EURO2004でのテュラムの代表引退後は不動のレギュラーとなる。

 

2005年にテュラムは代表復帰したが、センターバック専任のためポジションは安泰であった。

 

初めて代表レギュラーとして臨んだ大舞台である2006年W杯では、全試合にフル出場し、母国の準優勝に貢献した。

 

その後はアントニー・レヴェイエールやフランソワ・クレール、バカリ・サニャらが台頭したがポジションは守った。

 

エピソード

 

引退後

 

現役引退後は指導者に転向し、2013年にU-21フランス代表の監督に就任した。

 

2014年5月23日、U-21フランス代表の監督を退任し、FCジロンダン・ボルドーの監督に就任した。

 

初年度の2014-15シーズンは前年より1つ上位のリーグ6位で終え、翌年のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。

 

EL予選3次ラウンドのAEKラルナカ戦で2試合合計4-0と完勝し2015-16シーズンのスタートを切ったが、リーグ開幕戦ではスタッド・ランス相手に敗戦。

 

そのままクラブはリーグ下位に低迷し、ELでもグループリーグ突破はならなかった。

 

トゥールーズFCとのダービーマッチに4-0の大敗を喫した2日後の2016年3月14日に解任された。

 

2017年6月、古巣バイエルン・ミュンヘンのアシスタントコーチに就任。

 

同年9月に監督のカルロ・アンチェロッティが成績不振を理由に解任されるとバイエルンの暫定監督として指揮を執った。

 

同年10月、後任としてユップ・ハインケスが監督に就任すると、ペーター・ヘルマンをはじめハインケスの旧知のスタッフが入閣したため、アシスタントコーチを退任した。

 

2021年2月、ジョージア代表の監督に就任した。

 

プレースタイル

 

中央に切れ込んでの決定力には不満が残るが、高質なパス技術を持ちセンタリングに能力を発揮。

 

スピードではなく技術で抜き去るドリブルにも定評がある。

 

当時の右サイドバックとしてはとても優秀で、安定したドリブルと精度の高いパスで攻撃にも貢献し、しっかりアタッカーに食らいつく頼もしいディフェンスがなによりの武器だった。

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