概要
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1974年5月10日(48歳) | ||
出身地 | ヌイイ=シュル=マルヌ | ||
身長 | 174cm | ||
体重 | 74kg |
Sylvain Wiltord
ポジションはフォワード(右ウイング、セカンドトップ、センターフォワード)、ミッドフィールダー(右サイドハーフ)。
利き足は右。
2000年代に活躍したフランス代表のアタッカー。
アーセナルで活躍し2003-04シーズンの無敗優勝したインビンシブルズの一員。
当時のアーセナルではティエリ・アンリ、ピレス、ヴィエラ、ヴィルトールはフレンチ・コネクションと賞された。
獲得タイトル
クラブ
ボルドー
- ディビジョン 1 : 1998–99
アーセナル
- プレミアリーグ: 2001–02 , 2003–04
- FAカップ: 2001–02 , 2002–03
- FAコミュニティーシールド:2002年
リヨン
- リーグ・アン: 2004–05 , 2005–06 , 2006–07
代表
フランス代表
- UEFA欧州選手権:2000年
- FIFAコンフェデレーションズカップ:2001年、2003年
- FIFAワールドカップ準優勝:2006年
個人
- フランス年間最優秀選手賞: 1999
- 今月のプレミア リーグ選手: 2002 年 8 月
- UNFP リーグ 1 チーム オブ ザ イヤー: 2004–05、2005–06
経歴
クラブ
1991年にスタッド・レンヌでプロデビュー。
デポルティーボ・ラ・コルーニャが保有権を持ちながらレンタルという形で1997年にFCジロンダン・ボルドーへ移籍するとリーグ優勝に貢献すると共に得点王(22ゴール)に輝く。
その活躍が認められ2000年、プレミアリーグ・アーセナルFCへ移籍すると、鋭い得点感覚で活躍を見せてロベール・ピレスらと共にアーセナルの黄金時代を形成した。
ティエリ・アンリ、ピレス、ヴィエラ、ヴィルトールはフレンチ・コネクションと賞された。
アーセナルでは主に右サイドハーフをつとめ、デニス・ベルカンプ欠場の際はアンリと高速2トップを形成することもあった。
アーセナルでは通算49ゴールをあげている。
フレドリック・ユングベリや若手の台頭、自身の足首の怪我の影響もあって出場機会が減っていたため、新たなる新天地を求め、2004年にオリンピック・リヨンへ移籍し、リーグ優勝に貢献した。
移籍初年度は3得点3アシストと一見平凡な数字にも見えるが、その数字以上の仕事、シャドーストライカー的存在を十分に発揮した。
翌2005-06シーズンには12得点を挙げる活躍を見せ、チームの中核として活躍。
リヨンではセンターフォワード、ウイング、サイドハーフをこなした。
2007-08シーズンには古巣レンヌへ復帰した。
2011-12シーズン終了後、現役を引退した。
代表
フランス代表としては1999年2月、イングランドとの親善試合で代表デビュー。
UEFA EURO 2000では決勝のイタリア戦で終了間際の同点ゴールを挙げて優勝に貢献。
日韓W杯にも出場したが、チームは1次リーグ敗退という結果に終わった。
UEFA EURO 2004は故障もありメンバー入りを危ぶまれていたが、ギリギリの段階でメンバー入りした。
一方、チームは準々決勝でギリシャに敗れ、自身も不調に終わった。
2006年のドイツW杯では主力メンバーとして活躍し、準優勝に貢献した。
エピソード
アーセナル移籍前後はナイキ社のスパイクを履いていた。EURO2004前後からドイツワールドカップ前まではプーマ社。
ドイツワールドカップ以降はアディダス社のスパイクを履いている。
明るい性格で知られ、チームメイトと共にさまざまなパフォーマンスを見せる。
リヨン時代、リーグ優勝決定後、顔にペイント(銀色)をして試合に臨んだことがある。
その試合ではリヨンのメンバー全員がペイントをしていた。
プレースタイル
持ち前のスピードを生かしたプレーと、ゴール前の器用さ、シュート力を武器に勝利への執着心を前面に出してゴールを狙う。
センターフォワードからウィング、セカンドストライカーまでこなすユーティリティ性を備える。
スピードあふれるドリブル突破と力強く速い弾道のシュートが武器。