概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1970年9月22日(51歳) | ||
出身地 | ディエップ | ||
身長 | 185cm | ||
体重 | 79kg |
Emmanuel Petit
ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ、センターハーフ)。
利き足は左。
愛称は「マニュ」。
1990年代から2000年代にかけて活躍したフランス代表のミッドフィールダー。
ピッチに揺れるブロンドのポニーテールがとても美しいフランス代表きってのフォトジェニックな選手です。
でも、彼は決してルックスだけではありません。
98年W杯フランス優勝の陰の立て役者とも言われている大変力のある選手です。
クラブではアーセナルやバルセロナ、チェルシーで活躍しました。
獲得タイトル
クラブ
モナコ
- ディビジョン 1 : 1996–97
- クープ・ド・フランス: 1990–91
アーセナル
- プレミアリーグ: 1997–98
- FA カップ: 1997–98
- FA チャリティー シールド: 1998 年, 1999 年
代表
フランス代表
- FIFA ワールド カップ: 1998
- UEFA 欧州選手権: 2000
個人
- ディビジョン 1 新人王: 1990
- 今月のプレミア リーグ選手: 1998 年 4 月
- Onze de Bronze : 1998
- PFA プレミア リーグ チーム オブ ザ イヤー: 1998–99
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1985-1997 | ![]() |
222 | (4) |
1997-2000 | ![]() |
85 | (9) |
2000-2001 | ![]() |
23 | (1) |
2001-2004 | ![]() |
55 | (2) |
代表歴 | |||
1990-2003 | ![]() |
63 | (6) |
クラブ
1985年にフランスの名門モナコでキャリアをスタート。
89-90シーズンにはフランスの名門でDFとしてレギュラーに定着し活躍していまいしたがベンゲルによりセンターハーフにコンバートされ一気に才能を開花させフランスを代表する選手へと成長していきました。
96-97シーズンのリーグ優勝を置き土産に97-98シーズンから恩師ベンゲルが率いるアーセナルへ移籍。
激しいコンタクトのあるイングランドのリーグでも185㎝79㎏の屈強な体を活かし高いパフォーマンスを見せチームをリーグ優勝とFAカップ優勝の2冠に導きました。
その後もチームの核となり、アーセナルとフランスを代表する選手へと成長しました。
2000-01シーズンにはチームメートのマルク・オーフェルマルスと共にスペインの名門FCバルセロナへ移籍。
1年目から活躍を見せたオーフェルマルスとは反対に、様々なポジションでの出場を強いられフォームを崩してしまう。
当時低迷期にあったバルセロナでロレンソ・セラ・フェレール監督の構想にも合わず、またフィジカルよりもテクニックや戦術を中心としたスペインのサッカーで輝くことが出来ず、1シーズンでスペインを去ることとなりました。
翌シーズンよりチェルシーFCへ活躍の場を移し1年目は中盤でダイナミックなパフォーマンスを披露しチームを牽引。
しかしロマン・アブラモビッチオーナーに買収されたチームは選手層も厚く、常時出場まではいかず、故障も重なり2005年1月に引退を表明しました。
代表
1990年にはフランス代表に召集された。
フランス代表のミシェル・プラティニ監督にその才能を見込まれ招集され、EURO92のメンバーにも入った。
ただ、そのまますんなりレ・ブルーのレギュラーに定着したわけではない。
1994年ワールドカップ予選では悲劇的なブルガリア戦の敗戦も経験し、その後に就任したエメ・ジャケ監督に新チームのスタートだったキリンカップで招集されながら、そこから2年間は音沙汰なし。
EURO96も選外だった。
脚光を浴びたのは1996-97シーズン。
モナコがリーグ優勝を果たし、プティは中心選手として活躍した。
翌シーズンはアーセナルへ移籍し、モナコ時代の監督だったアーセン・ヴェンゲルの下でプレミアリーグとFAカップの2冠に貢献。
この一連の活躍で98年ワールドカップメンバーに選出されている。
以降は代表の中心選手として活躍しました。
その後、前人未到の1998年のワールドカップとEURO2000の制覇に貢献した。
特に1998年ワールドカップでの活躍は素晴らしく、決勝のブラジル戦では1ゴール、1アシストの大活躍を見せ、影のMVPと称された。
1998年ワールドカップ決勝ではブラジルを突き放す3点目を決めた選手でもあります。
2000年の欧州選手権を制覇したもののサンティ監督との確執から代表引退を表明。
エピソード
現在はTVでサッカーの解説などを務めている。
兄の死
彼が10代後半でフランスでサッカー選手としてデビューした頃、5歳上のお兄さんも選手として活躍していました。
しかし、ある日突然そのお兄さんがピッチ上で帰らぬ人になったのです。
彼の受けたショックは大変なもので、サッカーをやめようとまで思い詰めたそうです。
そんな彼を叱咤激励してピッチに戻したのが、アーセン・ヴェンゲル監督でした。
現アーセナル監督で、以前は名古屋グランパスで指揮を執り、グランパスを一躍躍進させたあの人です。
そして、ヴェンゲル監督の下、マニュ(プティの愛称)は段々頭角を現して来ました。
代表にも入りましたが、「パリの悲劇」と言われる伝説的な94年W杯予選敗退の屈辱を味わい、それでもまた思い直してのサッカー人生でした。
モテ男
当時フランスでは女性に人気No1。
但し、一定の(多分大人の)年齢層以上の女性に人気があるようです。
美しくて華麗だけれど、どこか母性本能を刺激するような繊細さと可愛さを合わせもっているところが大人の女性にモテるのでしょう。
ちなみにシラク大統領夫人も彼のファンと聞きます。
印象深いメモリアルゴール
1998年ワールドカップ決勝、フランスの3点目はエマニュエル・プティの左足のシュートだった。
フィールドを斜めに疾走してパトリック・ビエラからのパスを受け、GKの出ぎわを冷静に外したシュートがサイドネットへ転がっていく。
フランスサッカー連盟の1000点目であり、20世紀最後のワールドカップでの得点でもあった。
プレースタイル
優雅な動き方、冷静さと力強さを兼ね備え容姿端麗、頭もキレる。
強靭なフィジカルと高い技術力を誇るフランス代表のエレガントなMF。
ポニーテールがトレードマークの選手で、強靭なフィジカルと豊富なスタミナだけでなく、中盤の底から堅実なゲームメイクを行う選手となります。
金髪のポニーテールをなびかせピッチを躍動するダイナモは屈強な肉体だけでなく、しっかりとしたテクニックやピッチを広く使える視野も持ち合わせており、中盤の底でチームを支えるMFとなります。
ショートパスとロングパスをミックスして組み立てるゲームメイクと空中戦でもしっかりと勝てるなど守備時のフィルターもこなせる非常に大きな戦力だったと思います。
攻撃の芽を摘み取り、攻撃参加もするという派手で華麗なルックスからは想像もできないような渋く堅実な選手だったのかと思います。
特別に速いわけではないがスピードはある。
左足のフィードは的確で、ゲーム展開を読む賢さがあった。
特筆するほどではないがCBとしてプレーできるほどで空中戦もそれなりに強い。
ワールドカップ優勝や欧州選手権を制覇する栄光もありますが1994年のワールドカップではまさかの予選敗退という「パリの悲劇」を経験するなど非常に浮沈の激しいサッカー人生だったのかと思います。
また「マニュはデリケートで扱いに気を付けなければならない」という言葉もあり、繊細な気質でもあったこともうかがえます。