概要
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1987年6月26日(35歳) | ||
出身地 | マルセイユ | ||
身長 | 177cm | ||
体重 | 75kg |
Samir Nasri
ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ、オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
ジダン2世とまで言われた天才MF。
2000年代から2010年代にかけて活躍したフランス代表のテクニシャン。
アーセナルやマンチェスター・シティで活躍したが、トラブルの絶えない選手でした。
“ジダン2世”と評された高いポテンシャルを誰もが認めていた一方で、“バッドボーイ”としてキャリアを通じてピッチ内外での問題行動が絶えなかったナスリ。
その影響もあって20代後半以降は思うようなキャリアを築くことができなかったことは、多くのサッカーファンにとって心残りだろう。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- UEFAインタートトカップ:2005
アーセナル
- フットボール リーグ カップ準優勝: 2010–11
マンチェスター・シティ
- プレミアリーグ: 2011–12 , 2013–14
- フットボール リーグ カップ: 2013–14
- FAコミュニティーシールド:2012年
- FAカップ準優勝: 2012–13
代表
フランス代表 U17
- UEFA U-17 欧州選手権: 2004
個人
- UNFP リーグアン 年間最優秀若手選手: 2006–07
- UNFP リーグアン チーム オブ ザ イヤー: 2006–07
- 今月のプレミアリーグ選手: 2010 年 12 月
- フランス年間最優秀選手賞: 2010
- PFA今月のファンの選手: 2010 年 10 月、2010 年 12 月、2011 年 1 月
- PFA 年間最優秀チーム: 2010–11 プレミアリーグ
- ブリティッシュ・ムスリム・アワードのベスト・アット・スポーツ賞ノミネート: 2013
- アラン・ハーダカー トロフィー: 2014
経歴
クラブ
2004年ユース期から所属していたオリンピック・マルセイユと3年間のプロ契約を結び、9月12日のFCソショー戦でリーグ・アンデビュー。
11月にフィリップ・トルシエが監督に就任するとレギュラーに抜擢される。
チームは不振を極め、トルシエも2005年5月に解任されるが、ナスリはその後もマルセイユの司令塔として4シーズンに渡ってプレーした。
2008年7月11日、1200万ポンドの移籍金でプレミアリーグのアーセナルに移籍。
8月16日の開幕戦ウェストブロムウィッチ・アルビオン戦でプレミアリーグデビューを果たし、開始わずか4分で初ゴールを記録。
このシーズンは主に左サイドハーフを務め、6ゴール2アシストを記録した。
2009-10シーズンは夏のキャンプ中に右腓骨を骨折しシーズン序盤戦を欠場したが、10月に復帰すると安定した活躍を見せ、34試合に出場した。
3年目の2010-11シーズンは自己最多の10得点を決めた。
2011年8月24日、4年契約でマンチェスター・シティへ移籍。
移籍金は2500万ポンド。
8月28日のトッテナム・ホットスパーFC戦では3アシストを決めた。
シティでは毎年のようにやってくる大物たちにポジションを脅かされ続け、時にはスタメンを失うこともあったが、シルバとの相性の良さやシルバ不在時には貴重な閃きを持った存在として存在感を示した。
13-14シーズンのプレミアリーグ最終節ウェストハム・ユナイテッド戦、この試合勝てば優勝が決まるという大一番では、先制となるミドルシュートを決めた。
14-15シーズンのCLグループリーグ最終節のASローマ戦では、点が入らなければ敗退という厳しい状況の後半、ドリブルでマークをずらし強烈なミドルシュートをたたき込み、大逆転での突破に導いた。
2016年8月31日、移籍期間最終日でセビージャにレンタル移籍が発表された。
セビージャ在籍中の2016年12月、滞在先のアメリカでビタミンを主原料とした栄養剤500mlの静脈注射を行ったが、世界アンチ・ドーピング機関は摂取量は6時間あたりで50mlと定めており、ナスリの使用理由も例外条項には当てはまらなかったことから、欧州サッカー連盟はセビージャの申請を却下して2年間の出場停止処分を決定したが、ナスリ側がスポーツ仲裁裁判所に提訴したため、2018年2月まで係争中となる。
シーズン終了後、セビージャは完全移籍に必要な移籍金2500万ユーロとナスリの高額な年俸を負担出来ず、完全移籍オプションを行使しなかったことから、マンチェスター・シティへ復帰した。
2017年8月21日、トルコのアンタルヤスポルに移籍。
しかし満足な出場機会を得られず、2018年1月31日に双方合意の上で契約解除、わずか5ヵ月で退団した。
新たな移籍先にはFCポルトやUDラス・パルマスが浮上していたが、2018年2月、係争中であったセビージャ在籍時代の静脈注射についてナスリ側が提訴していたスポーツ裁判所は当初、UEFAが提示した2年間の出場停止処分を軽減した6ヵ月間が妥当との見解を示し、これを受けたUEFAによってドーピング違反により6ヶ月間の出場停止処分を科された。
2018年12月31日、ウェストハム・ユナイテッドFCとシーズン終了までの契約を結んだ。
2019年7月5日、RSCアンデルレヒトと1年間の延長オプション付きの1年契約を結んだ。
選手兼任監督になったシティ時代のチームメイトのヴァンサン・コンパニからの勧誘が加入の決め手になったという。
2020年4月19日、コロナに関するクラブの規定を破ったとしてアンデルレヒトを解雇されたとベルギーメディア『Derniere Huere』が報じたが、ナスリ本人は誤報であると憤りを露わにした。
アンデルレヒト退団以降フリーの状態が続いていたが、2021-22シーズンよりフランスのTV局『カナル・プリュス』が放送するUEFAチャンピオンズリーグの解説を務めることが発表された。
2021年9月26日、フランスメディア『Le Journal du Dmanche』のインタビューにて現役引退を発表した。
代表
2004年、UEFA U-17欧州選手権にフランス代表として出場。
決勝では勝ち越しゴールをあげるなど、優勝に貢献し脚光を浴びる。
2007年3月28日の国際親善試合オーストリア戦でフランスA代表デビュー。
フリーキックからカリム・ベンゼマの決勝点をアシストし勝利に貢献した。
同年6月6日のジョージア戦で代表初得点を記録。
同年、リーグ・アン若手年間最優秀賞を受賞した。
EURO2008では最年少メンバー(20歳)として代表入りするが、途中交代での2試合出場にとどまった。
クラブでの活躍から2010 FIFAワールドカップも代表入りが期待されたが、予選からほとんど起用されることがなく、本戦の代表候補30人にも選出されなかった。
これはナスリにEURO2008においてチームの和を乱した過去があったことから、レイモン・ドメネク監督の信頼を得られなかったためといわれている。
2010年にローラン・ブランが代表監督に就任すると、再び代表に呼ばれるようになる。
EURO2012では予選からレギュラーの位置を確保。
本戦においてもグループリーグ初戦のイングランド戦で同点ゴールを決める活躍を見せたが、決勝トーナメント1回戦でスペインに敗退。試合後には記者に対して暴言を吐くという騒動を起こした。
2014 FIFAワールドカップではメンバーに漏れ、8月9日に代表引退を表明した。
その際、フランスサッカー連盟とディディエ・デシャンフランス代表監督を批判した。
デシャンはワールドカップのメンバーにナスリを選ばなかった理由について、ナスリが控えに回ると不満を漏らす事によって、チームの雰囲気が乱れる事を懸念したためだと明かしている。
エピソード
ジダンの後継者と評される一方で、ピッチ内外で批判を受ける行動を見せることも少なくない。
2008年8月30日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦ではジョーイ・バートンから強烈なスライディングタックルを受けたことに憤り、報復するような形でバートンを後ろから倒してイエローカードを受けた。
この試合を最後にニューカッスルの監督を辞任したケヴィン・キーガンは、ナスリの行為を痛烈に批判した。
また、EURO2012においては初戦のイングランド戦でゴールを決めた際にレキップ誌の記者に対して「黙れ」というジェスチャーをして物議を醸したうえ、スペイン戦でチームが敗退した後にも記者に暴言を吐き、フランスサッカー連盟の会長から苦言を呈された。
この問題はメディアに大きく取り上げられ、事件後にレキップ誌が行った読者アンケートでは、56%がナスリのフランス代表からの追放を望んでいるという結果が出た。
「午前0時以降のセックスは禁止だった」
ナスリは一方、これまでバルセロナおよびバイエルンを率いたグアルディオラ監督が、両チームのエースであるアルゼンチン代表FWリオネル・メッシとポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキにも授けたという“夜の生活指導”を受けたことを告白した。
「グアルディオラ監督は選手にとてつもなく多くの食事制限を課すが、本当に凄い逸話はそんな程度のものではない。ある休みの日、彼は僕達にこう言ったんだ。『もし誰かと性的関係を持ちたければ、午前0時までに済ませなければならない。たとえ次の日が休みであったとしてもだ。なぜなら、選手には良質な睡眠を取る必要があるからだ。これはメッシに対しても行ったことで、それからの彼は筋肉系の負傷をしなくなった。また、レヴァンドフスキも、罰則としてベンチスタートにして以降、理解してくれるようになった』とね」
松井大輔のナスリ評
松井大輔はフランス時代に衝撃を受けたアタッカーの1人として、マルセイユなどでプレーした元フランス代表のサミル・ナスリを挙げた。
「口の悪い選手でして……壁に入った時に『お前くたばれ』って言う選手いますか?笑 なかなかいないですよね」など、今では笑い話となっている仰天エピソードを語っている。
自己評価
30歳の誕生日を迎えたナスリは、スペイン『Canal+』で自身のキャリアについて次のように振り返った。
「キャリアのある段階でプロ意識を欠いていなければ、もっと良い選手になっていただろうね。ピッチ上でいつも仕事に集中してきたけど、私生活のスタイルが良くなかった。それが僕のステップアップを妨げていたのかもしれない。タレント性は確かだったのにね」
プレースタイル
天才的なテクニックを持つMF.
パス精度・ドリブル技術が非常に高く、一試合に数回しかボールを奪われないほどキープ力に優れている。
ボールコントロール、テクニックに優れ、ハードワークを厭わないプレースタイルはアーセン・ベンゲルから高い評価を得た。
相手の殺気を柔らかくいなすテクニックは健在で、密集もハイプレッシャーの中もかいくぐり守備網を切り拓いてしまう。
ここぞという時に力を抜けるということ。
ひとりのディフェンダーにとらわれないということ。
プレッシャーがかかったときにこそ即興を楽しまなければならないということをナスリのプレーは思い出させてくれる。
ピッチで自由自在に動き回るナスリ。
ファーストタッチの方向、場所を決して読ませない。
相手守備網のスキマへボールを運び、仲間とゴールへのルートを創造する。
そしてシンプルにバイタルエリアまでボールを運べば、相手ディフェンダーはゴールをさせてはならないという強い気持ちが先行しシュートブロックに行く。
その気持を利用してシュートフェイクで逆をとってからのシュート。
常に先手をとることで相手の逆をとることができる。
相手に先を読ませないことがサッカーでは重要なのだ。
ナスリはスペースのない狭いところで勝負する。
ここに勝機があるとわかっているからだ。
守備網へ向い、スキマをさぐり、そこを通す、そして即興でゴールに向かっていく。
ストリートで磨いたスキルはロジカルな守備を崩壊させる。
ナスリのプレーを観ていると改めてサッカーは即興が大事なのであるということがわかる。
サッカー史に名を残す偉大なフットボーラー達、クライフやプラティニ、カントナやマラドーナ、ロナウドやメッシ…、彼らは即興でサッカーをプレーする。
ナスリもまた天才フットボーラーと呼ばれるに値する選手なのである。
そのプレーはもとより、両親がアルジェリア移民、マルセイユ出身など共通項が多いことからジネディーヌ・ジダンと比較されることが多く、「ジダン2世」と呼ばれるが、本人の憧れはロベール・ピレス。