概要
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1985年9月10日(37歳) | ||
出身地 | チュール | ||
身長 | 186cm | ||
体重 | 80kg |
Laurent Koscielny
ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。
利き足は右。
2010年代に活躍したフランス代表のセンターバック。
アーセナルで活躍し、ドイツ代表のメルテザッカーと共に強固なディフェンスラインを形成した。
一見、地味な選手だがワールドクラスの実力を持つディフェンダーだった。
獲得タイトル
クラブ
アーセナル
- FAカップ: 2013–14 , 2014–15 , 2016–17
- FAコミュニティーシールド:2014年 2015年
- フットボール リーグ カップ/EFL カップ準優勝: 2010–11、 2017–18
- UEFAヨーロッパリーグ準優勝: 2018–19
個人
- リーグ 2 チーム オブ ザ イヤー: 2008–09
- UEFA ヨーロッパリーグ シーズン最優秀選手: 2018–19
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2004-2007 | ![]() |
41 | (0) |
2007-2009 | ![]() |
67 | (6) |
2009-2010 | ![]() |
35 | (3) |
2010-2019 | ![]() |
255 | (22) |
2019-2022 | ![]() |
62 | (0) |
代表歴 | |||
2011-2018 | ![]() |
51 | (1) |
クラブ
2004年、EAギャンガンでキャリアをスタートさせた。
2007年にトゥールFCに移籍。
2008-2009シーズンには34試合に出場し5ゴールをあげ、リーグ・ドゥのベストイレブンに選ばれている。
オリヴィエ・ジルーとは当時からチームメイトだった。
その活躍からリーグ・アンのクラブに関心を持たれるようになり、2009年6月14日にFCロリアンへ移籍金150万ユーロの4年契約で移籍した。
2010年、プレミアリーグのアーセナルへ移籍した。
移籍当初は細かいミスが目立って厳しい見方もあり負傷中だったトーマス・ヴェルメーレンの穴を埋めるには至らなかった。
それでも移籍1年目ながらヴェルメーレンの負傷もあってなかなか固定されなかったセンターバック陣の中では最多となる30試合に出場。
同じく新加入で同胞のセバスティアン・スキラチや生え抜きのヨハン・ジュルーを上回った。
それ以降は徐々にプレーが改善し、2011-12シーズンにはチームのプレイヤー・オブ・ザ・シーズン投票で第4位に入り「チームで最も成長したプレイヤー」と評価された。
2012-13シーズンはミスの多かったヴェルメーレンに変わってペア・メルテザッカーとコンビを組み、17年連続でのチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。
2018-19シーズンからそれまで主将を務めていたメルテザッカーの引退によりアーセナルの新主将に任命された。
2019年7月11日、2019-20シーズンのプレシーズンツアーへの帯同を拒否しアーセナルが公式に遺憾の意を示す異例の声明文を出した。
2019年8月6日、FCジロンダン・ボルドーに移籍することが発表された。
2022年1月11日、17位と不振に陥ったボルドーは給与削減のためチーム内で最高額の給与を貰っていたコシェルニーを含む複数選手をトップチームから除名し、さらにコシェルニーはキャプテンの地位も剥奪されたと報じられた。
その後もクラブスタッフとしてボルドーに残っていたが、2022年3月26日に現役引退が発表された。
代表
ポーランド代表の資格も持っていたが、本人はフランス代表を目指すと表明していた。
2011年の2月にフランス代表に初招集され、同年11月のアメリカ戦でデビューを果たした。
EURO 2012の代表にも選出され、フィリップ・メクセスが出場停止となった準々決勝のスペイン戦にフル出場した。
2016年6月4日のスコットランドとの親善試合で代表初得点を挙げた。
2018年5月4日、2018 FIFAワールドカップをアキレス腱負傷により欠場することがフランスサッカー連盟から発表された。
2018年10月14日、フランス代表の引退を表明した。
その際に、ディディエ・デシャン代表監督と現役代表選手に対して不満の意をあらわにした。
コシェルニーは今年5月に行われたEL準決勝セカンドレグのアトレティコ・マドリード戦で負傷。
アキレス腱を痛め手術を行い、約6カ月の長期離脱と診断されていた。
そのため、今夏のワールドカップロシア大会も欠場。
フランス代表の優勝を横目にリハビリに励んでいた。
エピソード
アーセナルでのラストシーズン、プレシーズンツアー帯同を拒否するなど退団の意志を示していたローラン・コシェルニーは、母国フランスのボルドーへ移籍した。
コシェルニーはアーセナルに9年間在籍し、最終ラインをまとめ続けてきた。
近年のアーセナルの中では最も信頼できるセンターバックの1人だったと言えよう。
本来であればクラブのレジェンド的存在として円満な形でアーセナルと離れたいところだったのだが、どこか嫌な形での別れとなってしまった。
それは今夏にツアー帯同を拒否したという理由だけではない。
アーセナルサポーターの怒りを買ってしまったのが、ボルドー公式Twitterで紹介されたコシェルニーの加入アナウンスだ。
映像はアーセナルのユニフォームを着たコシェルニーが、1枚服を脱ぐとボルドーのユニフォームが現れるという構図になっている。
この映像がアーセナルに対して失礼ではないかと批判を浴びているのだ。
一部のアーセナルサポーターからは、「嫌な動画だ」、「無礼で許されないもの」、「この数週間で9年間が台無しになった」といった意見が出ており、どこか後味の悪い別れとなってしまった。
コシェルニーはアーセナルを退団した理由について、「プレミアリーグの1年は非常に長い。肉体的にも精神的にも多くのことが必要だ。(年間)40〜50試合をプレイできるとは思わなかったし、ケガでキャリアを終わらせたくなかった。 私は(プレーの)レベルを下げたが、より多くの喜びを選択した」と自身のフィジカルがプレミアリーグのレベルに追いつかなくなったと説明した。
また同選手は、自分の選択がアーセナルの選手やスタッフに受け入れられていたことを告白。
エメリ監督の理解もあって、円満にクラブを去れたと強調した。
「サッカー、フィジカルの状態、妻、子供、日常生活など、すべてが私の考えの中にあった。私は誇りを持ったまま(アーセナルを)去ったとしか言えない。私が9年間一緒に働いていた人たちの誰もが、私の家族と一緒に故郷へと帰るという私の決定を尊重してくれた」
「私は常に正直でいるし、敬意と忠誠心を持っている。私は常に最大限のパフォーマンスを(アーセナルで)発揮してきた。私は(ウナイ・エメリ)監督と話し、彼は(事情を)理解していた。そして、それからのことは皆さんがご存知の通りだ」
プレースタイル
ポジションはセンターバックで、緊急時には右サイドバックもこなせます。
コシェルニーのディフェンダーとしてのプレースタイルで特徴的なのは「裏を取られても追いつけるスピード」、「広大なカバーリングエリア」、「判断の巧さ」、「ビルドアップ」です。
コシェルニーはディフェンダーの中では非常に足の速いタイプの選手で、最終ラインの裏にスルーボールが出てしまってもスピードを発揮して追いつくことが可能なプレースタイルを持っています。
アーセナルの戦術は多くの人が認識しているように非常に攻撃的で最終ラインも高い位置に置くことが多いです。
確かに攻撃しまくるならハイラインの方がいいのですが、そうなると当然裏を取られやすくなるというデメリットがあります。
そこでコシェルニーのような足の速いセンターバックがいると裏のスペースを使われても後から追いつけるためハイラインをキープできます。
もちろんスピードを活かした鋭いチャージングによって一対一でも高い守備能力を発揮します。
またコシェルニーは裏へのケアだけでなくセンターハーフとの間にできた前方のスペースやサイドに空いた穴もカバーできる超人的なカバーエリアの広さも魅力です。
前に出ていっての果敢な迎撃守備で敵の攻撃を高い位置でひたすら刈り取るのも得意としている。
本当にカバーリングのエリアが広く、万が一前線でボールが取られてしまっても相手のアタッカーの位置とボールホルダーの位置、味方のマークの付き具合を一瞬で確認し、適切なスペースを埋めに行くことができます。
アーセナル加入当初はそういった判断力が拙い選手でしたが、経験を積んだことによって判断力も成長しました。
そしてアーセナルのディフェンダーには後方から適切なサイド(または中央)にビルドアップパスを精度高く供給することが求められます。
コシェルニーは足元の技術にも一定のクオリティがあり、後方からパスによってゲームをコントロールすることができます。
攻撃参加することもよくあり戦術にアクセントを加えるようなプレーも得意です。
フィジカル、空中戦、前線へのパス精度などほかの面でも穴はなくコシェルニーは比較的地味な存在ながらセンターバックとしては世界でも屈指、本当にワールドクラスのディフェンダーだと思います。