ベルナール・ジャンジニ

概要

国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1958年1月18日(64歳)
出身地 Soultz-Haut-Rhin
身長・体重 179cm、65kg

 

Bernard Genghini

 

ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。

 

利き足は左。

 

1980年代に活躍したフランス代表のミッドフィールダー。

 

1982年に開催されたワールドカップ・スペイン大会のフランス代表では、ミシェル・プラティニ、アラン・ジレス、ジャン・ティガナと共に「銀の4人組」と呼ばれる中盤を形成、流れるようなパスワークを展開した。

 

ソショーのレジェンドプレーヤーでソショーのほかモナコなどでも活躍した。

 

獲得タイトル

クラブ

FCソショー

  • 1975年ガンバルデッラ杯準優勝
  • 1980年フランス準優勝
  • 1981年UEFAカップ準決勝進出
  • 1981年のクープ・デ・アルプのファイナリスト

ASモナコ

  • 1985年クープ・ド・フランス優勝
  • 1984年フランス準優勝
  • 1984年のクープ・ド・フランスのファイナリスト
  • 1985年のクープ・デ・アルプのファイナリスト

オリンピック マルセイユ 

  • 1987年のクープ・ド・フランスのファイナリスト
  • 1987年フランス準優勝

代表

  • ワールドカップ・1982年(4位)、1986年(3位)
  • 1984年欧州選手権優勝

 

経歴

クラブ
出場 ( 得点) 
1976 – 1982  FCソショー・モンベリアール 212  (71)
1982~1983年  ASサンテティエンヌ  41  (10)
1983 – 1986  ASモナコ 129  (57)
1986年  セルヴェット FC  6  (1)
1986 – 1988  オリンピック マルセイユ  50  (6)
1988 – 1989  ボルドー  4  (1)
1976 – 1989 合計 442 (146)
代表歴
出場 ( 得点
1980年~1986年  フランス  27  (6)

 

クラブ

 

1976年ソショーでプロデビュー。

 

1980年代の初めにソショーがトップリーグに復帰する際に重要な役割を果たし、フラン・コントワのクラブで212試合に出場し71得点を挙げた。

 

1980-81年の欧州遠征では、UEFAカップ準決勝で優勝候補のアイントラハト・フランクフルトをベスト16で破り、ソショーを優勝に導いたこともある。

 

ソショーでの好成績は、当時低迷していたASサンテチエンヌを魅了した。

 

ジャンジニじはサンテティエンヌに移籍しユヴェントスに移ったミシェル・プラティニ2世の後を継ぐという難題を与えられた。

 

レ・ヴェールでは1シーズンのみプレーし、41試合に出場して10ゴールを挙げ、その年の全コンペティションでクラブのトップスコアラーとなった。

 

クラブは14位と低迷し、裏金事件で「レ・ヴェールの偉大な時代」に終止符を打とうとしていた。

 

その後モナコに移籍し、モナコでは、1985年にフランス国王杯を制し、前年はリーグ戦で2位となったが、決勝で敗れ、再び脚光を浴びることになった。

 

1985年1月25日、スタッド・ルイIIでのRC・レンズ戦(3-0の勝利)で、クラブ初の得点王となり、その名を知らしめた。

 

モナコで3シーズン過ごした後、ジャンジニはセルベット・ジュネーブに移籍し、最初で最後の海外経験に挑戦した。

 

1986年12月にフランスに戻り、オリンピック・ドゥ・マルセイユと契約した。

 

19876年には、チャンピオンシップで2位、カップ戦で敗れ、マルセイユのシャツで彼のキャリア最後のハイライトを経験しました。

 

その後、ジロンダン・ド・ボルドーに移籍したが、ほとんどプレーできなかった。

 

度重なる体調不良で、31歳のときに引退することになった。

 

代表

 

フランス代表として2度のワールドカップに出場し、ユーロ84では優勝を果たした。

 

アラン・ジレス、ミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナとともに、フランスチームの有名な「銀の中盤」を形成した。

 

その後、カルテットの座をルイ・フェルナンデスに譲った。

 

エピソード

 

引退後はFCミュールーズの監督を3年務めた。

 

その後ソショーのスポーツ・ディレクターに就任したが、2006年から同チームのリザーブチームを率いている。

 

プレースタイル

 

展開力に優れた左利きのプレイヤー。

 

左足からのキックの精度が素晴らしく、ピンポイントのパスを繰り出す。

 

ピンポイントのパスを繰り出し中盤の低い位置からゲームメイクをする。

 

フリーキックも得意としており、「フリーキックだけならプラティニよりも上」と自負していたほど。

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