概要
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1929年7月31日(93歳) | ||
出身地 | モンテビデオ | ||
身長・体重 | 183cm、74kg |
José Santamaría
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
1950年代から1960年代にかけて活躍したウルグアイ代表のセンターバック。
1948年にナシオナルにてデビュー。
その後に移籍したレアル・マドリードにおいて、1950年代後半から1960年代前半にかけての黄金期に守備陣のリーダーとして活躍した。
傑出したセンターバックで、ヘント、ディ・ステファノ、リアル、プスカシュらのスターがひしめいた攻撃陣の後方でチームに安心感をもたらした。
欧州5連覇を達成したチームと、「イェーイェー」の世代との間で、橋渡し役を務めた。
代表チームにおいても、ウルグアイ代表とスペイン代表でプレー。
2つの異なるナショナルチームでFIFAワールドカップに出場した経験を持つ。
獲得タイトル
クラブ
ナシオナル・モンテビデオ
- ウルグアイ・リーグ : 1950, 1952, 1955, 1956, 1957
レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ : 1957–58, 1960–61, 1961–62, 1962–63, 1963–64, 1964–65
- コパ・デル・レイ : 1962
- UEFAチャンピオンズカップ : 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66
- インターコンチネンタルカップ : 1960
個人
- FIFAワールドカップベストイレブン : 1954
- ワールドサッカー選出ベストイレブン : 1960
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1948-1957 | ![]() |
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1957-1966 | ![]() |
227 | (2) |
代表歴 | |||
1952-1957 | ![]() |
20 | (0) |
1958-1962 | ![]() |
16 | (0) |
クラブ
18歳の頃に地元にあるサッカークラブナシオナル・モンテビデオでキャリアをスタートさせ、そこでチームを5度のリーグ優勝に導いた。
1957年にレアル・マドリードへ移籍し、アルフレッド・ディ・ステファノやフランシスコ・ヘント、フェレンツ・プスカシュら豪華な攻撃陣を支えるセンターバックのレギュラーとして337試合の公式戦に出場。
6度のリーグ優勝やUEFAチャンピオンズカップ3連覇を含む4度の優勝、インターコンチネンタルカップなど12のメジャータイトルを手にした。
ディ・ステファノらが活躍した1950年代後半からイエイエ・マドリードと呼ばれた1960年代のチームの間で橋渡し役を務め、レアル・マドリードにとって6度目、サンタマリアにとって4度目のチャンピオンズカップを制した1966年に現役を引退した。
代表
ウルグアイ代表として1950 FIFAワールドカップに招集されるが、チームとのポジションの食い違いから大会に出ることはなかった。
4年後の1954 FIFAワールドカップに参加し、ハンガリー代表に延長戦の末敗れた。
3位決定戦でもオーストリア代表に敗退したが、屈強なディフェンスでサンタマリア自身は評価を高め、大会ベストイレブンにもウルグアイから唯一選ばれた。
1956年の南米選手権ではウルグアイは優勝したがサンタマリアは出場しなかった。
翌1957年に開催された同大会では全6試合に出場した。
また、レアル・マドリード入団翌年にスペイン国籍を取得し、スペイン代表としても1962 FIFAワールドカップに参加した。
グループリーグ3試合中2試合に出場したが、スペイン代表はグループ最下位となり敗退することとなった。
エピソード
ウルグアイ人として初めてUEFAチャンピオンズカップを制覇した選手であり、キャリアの中で50試合に出場した。
かつてのチャンピオンズカップは現在のチャンピオンズリーグよりも試合数が少なかったが、パオロ・モンテーロが更新するまでおよそ半世紀の間ウルグアイ人最多出場選手であった。
引退後
引退後はスペイン代表のユースチームで監督を務め、1971年7月からはエスパニョールの監督に就任。
1972-73シーズンは、優勝したアトレティコ・マドリードと勝ち点差3での3位にクラブを導いた。
その後スペイン代表U-21を挟んでフル代表の監督を務め、自国開催の1982 FIFAワールドカップに臨んだ。
プレースタイル
主にセンターバックで起用されたが、右サイドのストッパーも務めた。
傑出した守備力を誇る。
多くの人から史上最高のセントラル・ディフェンダーの一人と評価されている。
長身でたくましい身体を持ち、広い活動範囲と屈強なマークで相手アタッカーを封じた。
強力な守備で相手の攻撃をつぶし、屈指のストッパーとして長く活躍した。
また高い技術を持ち、ボールを上手く使って攻撃の起点にもなった。
安定感があり、ピンチでも頼りにできるディフェンス力に加えて空中戦での強さも備え、エル・ブランコ守備陣のリーダーとして活躍した。