概要
国籍 | ![]() ![]() ![]() |
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生年月日 | 1901年3月24日 | ||
出身地 | モンテビデオ | ||
没年月日 | 1968年6月17日(67歳没) | ||
身長・体重 | 182cm、85kg |
José Nasazzi
ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。
利き足は右。
愛称は「元帥」。
1920年代から1930年代にかけて活躍したウルグアイ代表のセンターバック。
ウルグアイ代表の主将として1924年のパリ五輪と1928年のアムステルダム五輪で2連覇を遂げた。
自国で開催された1930年のワールドカップ・ウルグアイ大会においても主将を務め、ワールドカップの初代チャンピオンとなった。
彼はジュール・リメ・トロフィーを最初に手にしている。
また、南米選手権でも4回の優勝を経験した。
クラブレベルでは主にCAベジャ・ビスタとナシオナル・モンテビデオに在籍し、1933年と1934年の2度、ウルグアイリーグで優勝に貢献した。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で75位に選出された。
サッカー競技が、現在ほどには世界中に普及していなかった時代とはいえ、これは驚異的なことであり、ワールドカップ、オリンピック、南米選手権という、世界トップクラスの3つの大会で7回優勝という記録を超えるプレーヤーは、私には思い当りません。
ウルグアイ史上最も偉大なサッカー選手として多くの人から評価されている選手です。
獲得タイトル
クラブ
- リート
- ウルグアイのインターメディア: 1917、1920
- ローランドムーア
- ウルグアイ3era Extra: 1921
- ベジャ・ビスタ
- プリメーラディビシオン: 1922 -1932
- ナシオナル
- プリメーラディビシオン: 1933 – 1937; 1925:ナシオナルとのヨーロッパツアー。 1927:ナシオナルとのUSツアー;.
代表
- ウルグアイ代表
- FIFAワールドカップ: 1930
- 夏季オリンピックのサッカー: 1924年, 1928年
- 南米選手権: 1923年, 1924年, 1926年, 1935年
個人
- 最高の選手 南米選手権: 1923年, 1935年
- FIFAワールドカップゴールデンボール: 1930
- フランスサッカー ワールドカップ トップ100 1930 – 1990、56日:1994
- IFFHS 世紀の南アメリカのサッカー選手、26日:1999
- ワールドサッカー 史上最高の100人のサッカー選手、75位:1999
- RSSSF ウルグアイオールタイムチーム:1999
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1918-1920 | ![]() |
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1922-1933 | ![]() |
322 | (17) |
1933-1937 | ![]() |
58 | (0) |
代表歴 | |||
1923-1936 | ![]() |
41 | (0) |
クラブ
キャリアのすべてを地元モンテビデオのクラブで過ごした CAリート、ロランド・ムーア、ベジャ・ビスタ、そしてナシオナル。
全盛期時はナシオナル・モンテビデオに在籍し、1933年と1934年の2度、ウルグアイリーグで優勝に貢献した。
ナシオナルでのキャリアは、親善試合を含めて110試合に出場し、10ゴールを挙げた。
代表
第1回ワールドカップの頃にはすでに1924年と1928年のオリンピックで金メダルを獲得し、1923年、1924年、1926年の南米選手権でも優勝していた。
個人レベルでは、1930年のFIFAワールドカップで最優秀選手に選ばれ、南米選手権(コパ・アメリカの前身)では2度(1923年と1935年)優勝している。
1930年のFIFAワールドカップで、ウルグアイの唯一のライバルは隣国アルゼンチンだった。
ペルーとルーマニアを破ったウルグアイは、準決勝でユーゴスラビアを6-1で破り、アルゼンチンとの決勝を決めた。
ハーフタイムで2-1のビハインドを背負ったものの、ナサシは後半にチームメイトを奮い立たせ、4-2の勝利に導き、ジュール・リメ・トロフィーを掲げた初のキャプテンとなった。
1934年、ウルグアイはタイトルの防衛を拒否したが、ナサシは1935年に南米選手権で再び優勝し、1937年には41試合もの国際試合に出場して引退した。
エピソード
ナサシのバトン
ナサシのバトンとは、サッカー世界選手権の非公式タイトルと同様に、ホセにちなんで名付けられた非公式タイトルである。
第1回ワールドカップの後、ウルグアイが保持していたと言われ、その後、国際試合で保持者を破ったチームが引き継ぐことになった。
プレースタイル
第二次世界大戦前には最高のフルバックの一人であった。
ポジションはフルバック。
20世紀の後半まで、ゴール前の最後の守備の砦となるプレーヤーは「フルバック」と呼ばれていました。
近時は「センターバック」と呼ばれることが一般的です。
フルバックがセンターバックになったのは何時ごろなのか、これも興味深いテーマですが、今回はナサシ選手の記事ですから、話を戻しましょう。
182cmと当時としては巨躯を誇ったディフェンダー。
「鉄のカーテン」の誉れ高いディフェンスのリーダーで、空中戦をはじめ、球際の競り合いに強かったという。
競り合いにも空中戦にも強く、読みにも優れていた。
この巨大で難攻不落の空中戦のナサシは、チームメイトには「エル・マリスカル」「エル・グラン・カピタン」という2つのニックネームを持っていたが、対戦相手には1つしかなかった。
「エル・テリブル」である。
荒々しく、大胆不敵なディフェンダーで、空中戦では欠点がない。
テクニシャンで、体格がよく、右サイドの絶え間ないクライミングが得意だった。
強烈なキックを持ち、ゴールポストを倒したという逸話もある。
史上最高のウルグアイ人選手と言われた。