概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1975年10月24日(47歳) | ||
出身地 | メデジン | ||
身長 | 184cm | ||
体重 | 78kg |
Juan Pablo Ángel
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
愛称は「エンジェル(天使)」。
1990年代から2000年代にかけて活躍したコロンビア代表のストライカー。
2000年代初頭の同国のエースストライカーの座をアリスティサバルと争った。
アトレティコ・ナシオナルでキャリアを開始したアンヘルは、1994年にリーグタイトルを獲得。
その後、CAリーベル・プレートに移籍するとリーベルではハビエル・サビオラ、パブロ・アイマール、アリエル・オルテガと共にlos cuatro fantásticos(ファンタスティック・フォー)と呼ばれる攻撃陣を形成し、2000年までの在籍でコパ・リベルタドーレスの25試合16得点を含めて全公式戦で132試合62得点を記録。
3度のリーグ優勝と1度の得点王(13得点)のタイトル獲得。
翌年にはクラブ史上最高額となる移籍金950万ポンドでアストン・ヴィラFCと契約した。
アストン・ヴィラでは205試合62得点を記録し、プレミアリーグ創設以降のアストン・ヴィラの選手としてはドワイト・ヨーク(288試合97得点)、ガブリエル・アグボンラホール(284試合74得点)に次いで3番目の得点数だった。
2007年からはアメリカ合衆国に渡り、メジャーリーグサッカーの3クラブに在籍。
2013年に古巣のアトレティコ・ナシオナルに復帰した。
また、コロンビア代表としては1996年のデビュー以降で33試合9得点を記録した。
獲得タイトル
クラブ
- アトレティコ・ナシオナル
- コロンビア・プロサッカーリーグ (2) : 1994, 2013A
- コパ・インテラメリカーナ (1) : 1995
- CAリーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン (3) : 1997A, 1999A, 2000C
- アストン・ヴィラFC
- UEFAインタートトカップ (1) : 2001
個人
- プリメーラ・ディビシオン得点王 : 2000A
- メジャーリーグサッカーベストイレブン : 2007
- MLSオールスターゲーム最優秀選手賞 : 2007
経歴
クラブ
1993年に地元のアトレティコ・ナシオナルでプロデビューを果たしたアンヘルは、翌1994年に決勝トーナメント決勝戦でライバルであるインデペンディエンテ・メデジンとのエル・クラシコ・パイサでビクトル・アリスティサバルのパスから決勝点を挙げてリーグ優勝に貢献した。
1度目の在籍の間にリーグ戦147試合45得点を記録した。
退団したエルナン・クレスポの後釜として1997年にアルゼンチン1部のCAリーベル・プレートと契約。
リーベルではハビエル・サビオラ、パブロ・アイマール、アリエル・オルテガと共にlos cuatro fantásticos(ファンタスティック・フォー)と呼ばれる攻撃陣を形成し、2000年までの在籍でコパ・リベルタドーレスの25試合16得点を含めて全公式戦で132試合62得点を記録。
3度のリーグ優勝と1度の得点王(13得点)のタイトル獲得。
その活躍を称えて、ファンは度々天使の羽を身につけていた。
2001年1月12日にクラブ史上最高金額となる移籍金950万ポンドでイングランド1部のアストン・ヴィラFCへ加入した。
加入当初は激しい当たりが特徴のリーグに馴染めなかったものの、翌シーズンはチームの中心選手としてダリウス・ヴァッセルと共にチームの攻撃を支えた。
2003-04シーズンはチーム最多の16得点を挙げ、2000年代のアストン・ヴィラの選手で1シーズンの間に20得点以上を記録(カップ戦を含め23得点)した最初の選手となった(2012-13シーズンのクリスティアン・ベンテケにより2位となった)。
しかし、翌2004-05シーズンは昨季の状態を維持出来ずに7得点に終わった。
以降のシーズンも不振に苦しんだ。
2007年4月17日に就労ビザの承認が保留中の中でアメリカ・メジャーリーグサッカーのニューヨーク・レッドブルズは、2人目の特別指定選手としてアンヘル獲得を発表した。
得点を量産してクラブ史上最多となる6試合連続得点を記録し、さらに2ヶ月連続で月間最優秀選手賞を受賞した。
24試合19得点5得点(全公式戦27試合20得点)で最初のシーズンを終えた。
なお得点王争いでは、アンヘルよりも多く出場(29試合)していたルシアーノ・エミリオ(ポルトガル語版)の20得点に及ばず2位となった。
また、同年のセルティックFCとのMLSオールスターゲームでは、先制点を挙げる活躍から同試合の最優秀選手賞を受賞した。
2008年シーズンは、ハムストリングの痛みと腰の関節炎が原因となり出遅れたが、最終的に2年目は23試合14得点(全公式戦28試合16得点)を記録した。
3年目の2009年シーズンは、クリント・マティスが保持するクラブ最多得点記録を46に更新した。
リーグ戦25試合12得点を記録し、3年連続でチーム最多の得点源となった。
2010年シーズンは、前半戦で19試合11得点と好調さを見せ、後半戦になると失速したもののチーム最多となる30試合13得点を記録した。
アンヘルは、レッドブルズ加入以降で全公式戦62得点を挙げてクラブ史上最多得点記録を保持している。
2010年シーズン終了後にレッドブルズとの契約オプションを辞退し、同年の再エントリードラフトに参加したアンヘルは、12月15日にステージ2でロサンゼルス・ギャラクシーから選ばれ、2013年1月19日にギャラクシーの3人目の特別指定選手として複数年契約を締結したことが発表された。
ロサンゼルス・ギャラクシーにドラフトで選ばれた当初は、ベッカムやランドン・ドノバン、昨季の得点王エドソン・バドルを揃えた前線にアンヘルが加わることに期待がされていたものの、ギャラクシーでは16試合3得点と厳しいものだった。
2011年8月17日、ロサンゼルス・ギャラクシーが新たな特別指定選手としてロビー・キーンを迎え入れるため、チーヴァスUSAへトレードに出された。
9試合7得点でシーズンを終了した。
2013年1月、キャリアを開始した古巣アトレティコ・ナシオナルと1年契約を締結した。
代表
1996年10月30日にホンジュラス戦に向けてコロンビア代表に初招集されたアンヘルは、11月1日にホンジュラスとの親善試合で初出場を飾ってから、2005年10月12日の2006 FIFAワールドカップ・南米予選パラグアイ戦までの間に33試合9得点を記録した。
エピソード
名前の”Angel”は英語読みでは”エンジェル(天使)”と読み、そのままエンジェルという愛称になった。
アストン・ヴィラ在籍の間に全公式戦205試合62得点を記録し、プレミアリーグ創設以降のアストン・ヴィラの選手としてはドワイト・ヨーク(288試合97得点)、ガブリエル・アグボンラホール(284試合74得点)に次いで3番目の得点数だった。
その活躍を称えて、2011年にクラブの公式サイトが発表したファブ50の1人に選出されている。
プレースタイル
非常にテクニカルなストライカー。
パス、スピード、テクニック、ヘディング、シュート技術とフォワードに必要な要素をすべて兼ね備えている万能タイプ。
オールラウンドになんでもこなせるが、飛びぬけた武器はなく器用貧乏に近いかも知れない。
ただコンスタントに得点を挙げられる選手ではある。