概要
国籍 | ![]() ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1976年1月13日(47歳) | ||
出身地 | サンティアゴ・デ・カリ | ||
身長 | 186cm | ||
体重 | 83kg |
Mario Yepes
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は左。
2000年代から2010年代にかけて活躍したコロンビア代表のセンターバック。
パリ・サンジェルマンやミランで活躍し、タイトル獲得に貢献した。
コロンビアでも長らく最終ラインに君臨し、通算102キャップは歴代5位の記録。
イバン・コルドバとのコンビは、堅守のコロンビアを象徴していました。
獲得タイトル
クラブ
- デポルティーボ・カリ
- カテゴリア・プリメーラA : 1998
- リーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン : 1999アペルトゥーラ, 2000クラウスーラ
- PSG
- クープ・ドゥ・フランス : 2005-06
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 2008
- ミラン
- セリエA : 2010-11
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2011
代表
- コロンビア代表
- コパ・アメリカ : 2001
経歴
クラブ
母国の強豪デポルティーボ・カリではリーグ優勝、そしてコパ・リベルタドーレス1999での準優勝に貢献。
1999年6月にはアルゼンチンの名門CAリーベル・プレートへ移籍し、左SBプラセンテやGKボナーノといったアルゼンチン代表勢と共に若きサビオラやアイマールといった攻撃陣を支え、リーグ優勝に貢献。
リーベルでは2度のリーグ制覇を経験した。
2002年1月にフランスのFCナントへ移籍すると、初挑戦のヨーロッパでも徐々に頭角を現しリーグ屈指のDFとなり、2004年には同リーグの名門パリ・サンジェルマンFCへの移籍を果たす。
4シーズン在籍したPSGでは、2つの国内カップ制覇に貢献。
その後はイタリアに戦いの場を移し、ACキエーヴォ・ヴェローナでの2シーズンを経て、2010年夏にはACミランに加入した。
アレッサンドロ・ネスタやチアゴ・シウバらを擁するミランにあって出場機会は限られたものの、貴重なバックアッパーとしてチームのスクデット獲得に貢献した。
2012年5月、ミランとの契約を1年延長。
2013年夏、翌年に迫った2014 FIFAワールドカップに向けて出場機会を求め、ミランとの契約を更新せず退団。
アタランタBCと契約を結んだ。
2014年9月13日、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロに加入した。
2016年1月26日、引退を発表。
代表
1999年からコロンビア代表としてプレーし、優勝した2001年をはじめ、1999・2007・2011年と4度のコパ・アメリカに出場。
地元開催をコルドバとのコンビで無失点に抑え全勝優勝で飾りました。
2007年大会は早期敗退となりました。
2003年コンフェデ杯では5試合プレー。
ニュージランド戦でゴールを決め、日本とも対戦して勝利を収めます。
グループリーグ突破後は2連敗を喫し4位となりました。
W杯予選は2002年に13試合、2006年は17試合、2010年も9試合出場も突破はなりませんでした。
2008年からはキャプテンを任されている。
2014年6月14日、38歳にして初めてFIFAワールドカップに出場。
本大会ではキャプテンとしてチームを牽引し、ギリシャを3-0で下した。
6月19日、グループリーグ第2戦のコートジボワール戦で、コロンビアでは3人目となる代表出場通算100試合を達成した。
この大会において、ジェペスは最年長フィールドプレイヤーとなった。
エピソード
指導者
2016年4月、古巣であるデポルティーボ・カリの指揮官に就任。
しかし翌年3月9日に成績不振により解任されることが発表された。
プレースタイル
最終ラインに君臨する老獪なストッパー。
高さと強さを備え人に強く、鋭い読みや適正な判断といったクレバーな動きも得意な左利きのCB。
南米屈指の対人守備を誇るストッパーは、個人と組織を見事に融合したプレイで最終ラインを統率する。
相手のカウンターに対しても素早くバイタルエリアを埋め、ボール保持者のフィニッシュワークを限定する。
抜群の跳躍力と洞察力を活かして相手の速攻を阻む。
空中戦の強さは攻撃面でも発揮され、セットプレーのターゲットとして機能する。
闘争心に満ちたプレーでチームを鼓舞するキャプテンシーもある。