概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1978年3月23日(42歳) | ||
出身地 | ラボルデ | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 83kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は左。
愛称は「ザ・ウォール」。
2000年代アルゼンチンを代表するディフェンスリーダー。
獲得タイトル
クラブ
- ボカ・ジュニアーズ
- Primera División: 1998 Apertura, 1999 Clausura
- Copa Libertadores: 2000
- ローマ
- Serie A: 2000–01
- Supercoppa Italiana: 2001
- インテル・ミラノ
- Serie A: 2005–06, 2006–07, 2007–08, 2008–09, 2009–10
- Coppa Italia: 2005–06, 2009–10, 2010–11
- Supercoppa Italiana: 2005, 2006, 2008, 2010
- UEFA Champions League: 2009–10
- FC バーゼル
- Swiss Super League: 2014–15, 2015–16
代表
- アルゼンチン代表 U-20
- FIFA U-20 World Cup: 1997
- アルゼンチン代表
- FIFA Confederations Cup (Runner-up): 2005
個人
- Serie A Defender of the Year: 2010
- South American Team of the Year: 1999
- ESM Team of the Year: 2001–02, 2003–04
- FIFA FIFPro World XI Nominee 2005, 2009, 2010
経歴
1978年3月23日にアルゼンチンのサンタフェで生まれる。
生まれてすぐに父親が蒸発し、幼い頃から養父に育てられるが経済状況はとても苦しいものだった。
当時フィルマットに住んでいた彼は、家族の支えもあり毎日サッカーの練習に通うことが出来た。
彼自身幼い頃家族から受けた協力のおかげでサッカー選手になることができたと後に語っている。
1996年にニューウェルズ・オールドボーイズでキャリアをスタート。
1997年にはFIFAワールドユース選手権に出場して優勝を果たし、ボカ・ジュニアーズへ移籍。
在籍中、複数の大会での優勝を経験した。
2000年にはセリエA・ASローマへ移籍。
アウダイール、ザーゴらと共に鉄壁の守備ブロックを構成し、ローマのスクデット獲得に大きく貢献。
攻撃のMVPがトッティであるならば、サムエルは守備のMVPであった。
2004年からは守備の強化を望んでいたレアル・マドリードへ移籍した。
しかし、序盤は活躍の機会がなく(冬にトーマス・グラヴェセンが加入してからはプレーも安定した)、2005年にルイス・フィーゴ、サンティアゴ・ソラーリと共にインテル・ミラノに移籍した。
2006 FIFAワールドカップの代表メンバーからは外れた。
特に2007-08シーズン前半、12月23日に行われたミラノダービーで左ひざの前十字靭帯を負傷するまでは、イバン・コルドバと共に鉄壁のディフェンスで幾度と無く相手の攻撃を食い止め続けた。
2008-09シーズンは前述の怪我の影響で約11ヶ月もの間ピッチから遠ざかるものの、11月22日に行われたユヴェントスFCとの大一番イタリアダービーで復帰、インテルの勝利に貢献している。
2009-10シーズンからはバイエルン・ミュンヘンから移籍したブラジル代表のルシオとコンビを組み、鉄壁の守備陣を結成。
セリエA、コッパ・イタリア、チャンピオンズリーグの3冠獲得に貢献し、2011年1月にはセリエA最優秀DF賞を受賞した。
セリエAで最もタフなCBの一人として君臨。
09/10シーズンにインテルが成し遂げた3冠は、サムエルとルシオのコンビ無くしては成し得ることが出来なかった。
2010 FIFAワールドカップではレギュラーとして臨むも、第2戦の韓国戦で負傷し、大会を去った。
2013-14シーズン終了後、インテル・ミラノ退団を公式チャンネルで発表。
FCバーゼルと1年契約を結んだ。
2015年10月、肉体的な衰えを理由にシーズン限りで現役を引退することを表明した。
1999年にアルゼンチン代表デビュー。
50試合以上に出場しており、コパ・アメリカ1999、2002 FIFAワールドカップ、2010 FIFAワールドカップなどの主要大会に出場した。
エピソード
かつてチームメイトであった長友佑都によると、外見とは裏腹に冗談好きな人物。
現役引退後、2016年11月に古巣インテルの監督に就任したステファノ・ピオリの下でアシスタントコーチに就任、しかし2017年5月にピオリが成績不振により解任されると同職を退任。
2017年7月よりスイス・スーパーリーグのACルガーノのアシスタントコーチに就任。
2018年8月、アルゼンチン代表監督に現役時代のチームメイトであったリオネル・スカローニが就任。
サムエルがコーチとしてアルゼンチン代表のスタッフ入りしたことが報じられている。
プレースタイル
アルゼンチンを代表するCBで1対1の強さ、フィジカル、カバーリングいずれも高い能力を持っている。
メンタル面の強さによる冷静なマーキング、カバーリングとフィジカルの強さを生かした競り合いを得意とする。
目の通り屈強な肉体を生かした守備が最大の武器です。
そのフィジカルはアドリアーノにも負けなかったです。
空中戦でも負けたところはほとんど見たことがなくセットプレーでの得点源でもありました。
マークもしっかりしていますしライン統率も出来る器用な選手です。
また足元の技術も確かでミスは少ない選手である。