マルク・オフェルマルス

概略

国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1973年3月29日(47歳)
出身地 エムスト
身長 173cm
体重 72kg

 

ポジションはフォワード(左ウイング、右ウイング)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「ロードランナー」、「TGV」。

 

1990年代後半から2000年代後半にかけて活躍したオランダが誇る快速ウインガー。

 

アヤックスやアーセナル、バルセロナで活躍した。

 

2008年、アーセナルFC公式サイト上で開催された「アーセナル、50人の偉大な選手」で、サポーターの投票により12位に選出された。

 

獲得タイトル

クラブ

Ajax

  • Eredivisie: 1993–94, 1994–95, 1995–96
  • KNVB Cup: 1992–93
  • Dutch Supercup: 1993
  • UEFA Champions League: 1994–95
  • Intercontinental Cup: 1995

Arsenal

  • Premier League: 1997–98
  • FA Cup: 1997–98
  • FA Charity Shield: 1998

個人

  • Dutch Football Talent of the Year: 1992
  • Dutch Golden Shoe Winner:1993
  • FIFA World Cup Best Young Player: 1994
  • AFC Ajax Player of the Year: 1996

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 オランダの旗 ゴー・アヘッド・イーグルス 11 (1)
1991-1992 オランダの旗 ヴィレムII 31 (1)
1992-1997 オランダの旗 アヤックス 136 (36)
1997-2000 イングランドの旗 アーセナル 100 (25)
2000-2004 スペインの旗 バルセロナ 97 (15)
2008-2009 オランダの旗 ゴー・アヘッド・イーグルス 24 (0)
通算 399 (78)
代表歴
1993-2004 オランダの旗 オランダ 86 (17)

 

クラブ

 

2年半の間、イーグルスの下部組織でサッカーを学ぶと1990-91シーズンにトップチームに昇格し、エールステ・ディヴィジで11試合に出場した。

 

シーズン終了後、才能に目を付けたヴィレムIIが、当時の若手選手に支払う額としては高額な50万ユーロで獲得した。

 

ヴィレムでは、デ・フラーフスハップ戦で初ゴールを決めるなど、31試合に出場した。

 

1992年、アヤックス・アムステルダムに移籍した。

 

1992年8月16日、FCドルトレヒト戦で移籍後デビューを果たし、9月16日のUEFAカップ1回戦レッドブル・ザルツブルク戦で移籍後初ゴールを挙げた。

 

この1992-93シーズン、エールディヴィジにおいて全試合スタメンフル出場を達成し、その年のオランダ年間最優秀若手選手賞を受賞した。

 

得点王に輝いたベルカンプに多くのアシストを供給する。

 

93/94シーズン、ベルカンプはインテルに移籍したが、若きタレントたちの才能が一気に開花し、黄金時代を迎える。

 

特にフィニディ・ジョージとの左右のウイングは当時世界屈指の破壊力を持つものだった。
また、オフェルマルスは12得点を挙げ、その得点感覚も開花する。

 

クラブもエールディヴィジを制覇した。

 

1994-95シーズン、ヤング・アヤックスと呼ばれたチームでUEFAチャンピオンズリーグ準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では1ゴール1アシストを決め、決勝進出に貢献、決勝ではACミランを破り、優勝を成し遂げた。

 

この頃には、オフェルマルスの名前は世界中に広まり、ヨーロッパ中のビッグクラブの熱い目線を集める存在になっていた。

 

国外のビッククラブから獲得オファーが相次いだが、それ以降もクラブに留まり、アヤックスでプレーすることを継続した。

 

しかし、1995年12月20日、デ・フラーフスハップとのリーグ戦で相手DFロブ・マテューイのタックルを喰らい左膝の前十字靭帯を断裂。

 

長期の離脱を余儀なくされた。

 

このシーズン、クラブは再びCL決勝にコマを進め、ユヴェントスFCと対戦するも、オフェルマルスのいないアヤックスは敗れてしまった。

 

1996-97シーズンにチームへと復帰し、25試合に出場。

 

2得点に終わった。

 

リーグ最終節のフィテッセとの試合に出場しゴールを決めたが、アヤックスでの最後の出場となった。

 

1997年6月、プレミアリーグのアーセナルFCに移籍し、5年契約を結んだ。

 

このシーズンを含めアーセナルで3シーズン、プレーをし、中心メンバーとして活躍。

 

アーセナルはこの時代から、真の強豪チームへと変貌を遂げた。

 

8月9日のリーズ・ユナイテッドFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、2週間後のサウサンプトン戦で初ゴールを挙げた。

 

また、1998年3月14日の優勝争いをする上で絶対に落とせないマンチェスター・ユナイテッド戦では、1-0での勝利に繋がる決勝ゴールを決めた。

 

最終的に移籍1年目はリーグ戦で12得点を挙げるとともに、プレミアリーグ優勝、FAカップ優勝の二冠獲得に貢献、FAカップ決勝のニューカッスルとの対戦では先制点を決め優勝に貢献した。

 

翌シーズンは、得点はコミュ二ティシールドのマンチェスター・ユナイテッド戦ではゴールを決め、優勝に貢献、得点は12から6へと減少したが、アシスト数を5から13へと伸ばし、デニス・ベルカンプに多くの得点機会を与えた。

 

アーセナルでの3シーズン、左サイドのレギュラーとして活躍し、在籍3年で公式戦142試合41得点の成績を残した。

 

2000年7月、バルセロナが当時のオランダ人プレイヤーとしては最高額となる約32億円の5年契約で彼を獲得した。

 

その異次元のスピードはFCバルセロナの強力な武器となり、攻撃陣を牽引した。

 

しかし、オフェルマルス自身は目覚しい活躍を見せるが、このシーズンからチームは低迷する。

 

1年目は安定した出場機会を得ていたが、2年目から頻繁に負傷離脱を繰り返すようになり、これ以上のプレーはクラブに迷惑をかけるとして2003-04シーズン終了時、現役引退を表明した。

 

バルセロナでの引退から1年の休養を経て2005年、オフェルマルスは自身がプロデビューを果たしたゴー・アヘッド・イーグルスでクラブ経営を行っていた。

 

フロント入りして3年がたった2008年8月の事、同胞ヤープ・スタムの現役引退記念試合に出場したオフェルマルスだったが、その試合を観戦していたゴー・アヘッド・イーグルスのコーチがオーフェルマルスがまだプロとして十分プレーできることを見抜き、彼にGAイーグルスでの現役復帰を打診したところ、オフェルマルスは2つ返事で快諾し、現役復帰が決まった。

 

イーグルスでは主に途中交代がメインであったが、なかなか得点を奪えず、しまいには2009年5月1日のFCオス戦で足首を負傷してしまい、再び現役引退を決めた。

 

だが、2009-10シーズンには地元アマチュアクラブのSVエペで数試合のみプレーしていた。

 

代表

 

1993年2月のワールドカップ予選、トルコ戦で代表デビューを果たし、ゴールも決めた。

 

1994 FIFAワールドカップに出場、ラウンド16のアイルランド戦、準々決勝のブラジル戦でそれぞれ1アシストを決めるなど、最優秀若手選手賞を受賞する活躍を見せた。

 

しかし、UEFA EURO ’96予選のマルタ戦では初のハットトリックを決めたが、本大会には自身の膝の大怪我のため招集されなかった。

 

2年後1998 FIFAワールドカップに出場。

 

怪我の影響から主に試合後半にスーパーサブとして出場。

 

その鋭いドリブルで暴れまくった。

 

グループリーグの韓国戦でゴールを決め、準決勝まで進むも、ブラジルに敗れたが、チームのベスト4に大きく貢献した。

 

EURO2000、ゼンデンとのウイングコンビでチームを牽引し、順調に勝ち進むが、準決勝にイタリアにPK戦で敗れる。

 

2004年の欧州選手権にも出場したが、ポルトガルに破れ、決勝進出は出来なかった。

 

そして後継者ロッベンの成長を見届け大会終了後に引退する。

 

2006年にはデニス・ベルカンプ、2008年にはヤープ・スタムの引退試合に左サイドで出場した。

 

エピソード

現役引退から1年後の2005年、ゴー・アヘッド・イーグルスのフロント入りを果たした。

 

2011年にはアヤックス・アムステルダムのチェアマンに指名されたが、オフェルマルスはこれを断っている。

 

2012年12月30日、ゴー・アヘッド・イーグルスでの経営業から退くことを発表した。

 

現役引退後の2012年7月、古巣アヤックスのスポーツディレクターに就任した。

 

アヤックスではダビンソン・サンチェスやクリスティアン・エリクセンらを高額で売却し、クラブに多大な利益を持ち込み、さらにはマタイス・デ・リフトとフレンキー・デ・ヨングの若手選手を発掘した。

 

プレースタイル

凄まじいスピードのドリブルと、高精度のクロスを武器としたウイング。

 

そのドリブルはスピードだけでなく、小回りもきくため相手DFにとっては非常にやっかいなものであった。

 

本来は左のウイングだが、左右遜色のないプレーができる。

 

しかし、その得意の高速ドリブルを止めるため、多くのファールを受け続け、怪我に泣かされることが多かった。

 

圧倒的なスピードでライン際を疾走し、高精度のクロスと得点力を兼備するWGです。

 

波がありケガにも弱いですが、好調時は手がつけられなくなるほどの爆発力を誇ります。

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