ディケンベ・ムトンボ

概略

誕生日 1966年6月25日(54歳)
 コンゴ民主共和国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ザイールの旗 ザイール キンシャサ
出身 ジョージタウン大学
ドラフト 1991年1巡目4位 デンバー・ナゲッツ
背番号(現役時) 55
身長(現役時) 219cm (7 ft 2 in)
体重(現役時) 118kg (260 lb)

 

ポジションはセンター。

 

右利き。

 

愛称は「 Mt. Mutombo」。

 

コンゴ民主共和国(旧ザイール)出身の名選手。

 

1991年よりNBAのデンバー・ナゲッツに入団して以降2009年に引退するまで数チームでプレーした。

 

ディフェンスを得意とする好センターである。

 

最優秀守備選手賞を4度受賞、オールスター戦には8度出場。

 

2015年には殿堂入りを果たした。

 

受賞歴
  • 8× NBAオールスター (1992,1995-1998,2000–2002)
  • オールNBAセカンドチーム (2000)
  • 2× オールNBAサードチーム (1997,2001)
  • 4× NBA最優秀守備選手賞 (1994,1996,1997,2000)
  • 3× NBAオールディフェンシブファーストチーム (1996–1997, 2000)
  • 3× NBAオールディフェンシブセカンドチーム (1994,1998,2001)
  • NBAオールルーキーファーストチーム (1991)
  • 2× NBAシーズンリバウンド王 (2000–2001)
  • 3× NBAシーズンブロック王 (1994–1996)
  • 2× J. Walter Kennedy Citizenship Award (2000, 2008)
  • NCAA Men’s Basketball All-Americans Third-team(1991)

 

経歴

選手経歴
1991-1996
1996-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2004
2004-2009
デンバー・ナゲッツ
アトランタ・ホークス
フィラデルフィア・76ers
ニュージャージー・ネッツ
ニューヨーク・ニックス
ヒューストン・ロケッツ

 

言語学と外交学の学位を取得して大学を卒業したムトンボは、1991年のNBAドラフト全体4位でデンバー・ナゲッツに指名された。

 

1年目より2桁平均の得点とリバウンドをあげたムトンボは低迷するナゲッツのインサイドを支えた。

 

ムトンボはルーキーシーズンに1試合平均16.6得点、12.3リバウンド、ほぼ3ブロックを記録してオールスターに選出された。

 

ムトンボは特にディフェンス面での貢献が目立ち、1990年代を代表するリバウンドやブロックショットの名手に成長していった。

 

しかし、ナゲッツは他に優れた選手を欠きチームは苦戦した。

 

ムトンボは5シーズンをナゲッツでプレイしたが、その間のチーム成績は42勝40敗が最高だった。

 

しかし、入団して3年目の1994年ナゲッツは、ウェスタン・カンファレンス第1シードのシアトル・スーパーソニックスを第8シードのチームとしてはじめてNBAのプレーオフで倒した。

 

ムトンボのディフェンスがこの勝利に大きく貢献し、彼は5試合で31ブロックを記録した。

 

このシリーズではソニックスが2連勝した後、ナゲッツが3連勝したが、第5戦ムトンボは試合終了時にリバウンドで取ったボールを離さずにフロアに倒れこみ目に涙を浮かべた。

 

プロ入り3年目の1994年から3年連続でブロックの平均と総数でリーグ首位に立ち、ブロック総数はその後も2年間リーグ最多だった。

 

1995年以降リバウンド総数で3度リーグ最多をマークした。

 

同じく1995年には初めてNBA最優秀守備選手賞を受賞し、アトランタ・ホークスに移籍してからは同賞を2度、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに移った2001年にも再度受賞した。

 

1990年代末から21世紀初めにかけ、NBAではシャキール・オニールを除き有力なセンターが次第に少なくなり、ムトンボはリーグで価値を増していた。

 

2000-01シーズンに好調だったシクサーズは、プレーオフを見越してトレードでムトンボを獲得。

 

シクサーズはNBAファイナルまで勝ち進み、ムトンボはオニールと対戦することになった。

 

初戦は制したものの続く4試合を落とし、シクサーズの優勝はならなかった。

 

翌シーズンもシクサーズでプレーしたムトンボは、続く2002-03シーズンにはニュージャージー・ネッツに移った。

 

ネッツは前シーズンNBAファイナルに進出したが、オニールを擁するロサンゼルス・レイカーズに完敗しており、対オニールを意識したムトンボ獲得だった。

 

しかしムトンボは手首の怪我でシーズンのほとんどを欠場し、更にバイロン・スコットHCとの確執も表面化し、プレーオフでも出場時間を多く得られなかった。

 

このシーズンもNBAファイナルに進んだネッツはサンアントニオ・スパーズに2勝4敗で敗退した。

 

ネッツ時代より平均得点・リバウンドとも二桁を割っていたムトンボは次の2003-04シーズンにはニューヨーク・ニックスに放出された。

 

出場した試合のうち多くで先発したが、個人成績はあまり変わらず、シーズン終了後にシカゴ・ブルズにトレード、間もなくヒューストン・ロケッツへと再びトレードされた。

 

ロケッツではもっぱら姚明(ヤオ・ミン)の控えとしてプレーしている。

 

2006-07シーズンは姚明(ヤオ・ミン)の故障もあり33試合に先発、この間は2桁リバウンドを連発し存在感を示した。

 

以降、姚明(ヤオ・ミン)が不在時の貴重なインサイド要員として活躍した。

 

2008-09シーズンのプレーオフ1回戦、ポートランド・トレイルブレイザーズの試合中に左膝の前十字靭帯を断裂する重傷を負ってしまった。

 

その試合後、ムトンボは「私のキャリアは終わった」と語り、同年4月23日、現役引退を発表した。

 

2015年11月24日、アトランタ・ホークスの本拠地フィリップス・アリーナでのボストン・セルティックス戦のハーフタイムで、永久欠番「55」の授与式が執り行われた。

 

2016年9月25日、デンバー・ナゲッツは、ムトンボか在籍中に着用していた背番号「55」を永久欠番にすると発表。

 

10月29日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦のハーフタイムに永久欠番授与式が執り行われた。

 

エピソード

ザイール(現在のコンゴ民主共和国)のキンシャサで、ルバ族の両親のもと10人兄妹の7番目の子供として生まれた。

 

1987年にアメリカ合衆国政府の外郭団体USAIDより奨学金を受ける資格を得、医者を志して米国のジョージタウン大学に留学した。

 

バスケットボールの名門としても知られる同大学のジョン・トンプソン監督はムトンボを見込んでバスケットボールチームに勧誘し、これよりムトンボはバスケットボール選手の道を歩むことになった。

 

2年生から公式戦に出場したムトンボは徐々に頭角を表し、4年次には平均12.2リバウンド、15.2得点を記録した。

 

ムトンボの1年後輩には同じくマイアミ・ヒートなどで活躍し、好センターとして有名になるアロンゾ・モーニングがいた。

 

彼の豆知識として有名なのが、その名前の長さである。

 

本名を“ディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボ”というのだが、親族が結婚するたびに名前を貰っていった結果、ここまで長くなったんだとか。

 

1990年代を代表するリバウンダー、ショットブロッカーとして知られるムトンボは、ジョーダンも一目置く存在だった。

 

ルーキー時代からすでにその存在を意識していたジョーダンは、ムトンボに「目を閉じてフリースローを投げてみろ」とけしかけたことがあった。

 

そして成功しなかったムトンボに対し、自身は成功するのを見せつけ、力の差を誇示しようとしたという逸話もあるほどだ。

 

そして番組で紹介されたのは、ジョーダンがムトンボ相手に初めてダンクを決めたシーン。

 

その時ジョーダンは、ムトンボがブロックショットを決めた際に見せる人差し指を左右に揺らすお決まりのジェスチャー“フィンガーワッグ”を真似してみせた。

 

ムトンボは、「ジョーダンはオレ相手にダンクを決めるのに7年もかかってるんだ! 今日はせっかく来たんだからもっと褒めてくれてもいいじゃないか!」と、当時は屈辱的だったであろう場面を笑い飛ばした。

 

また現役の選手で誰が“フィンガーワッグ”の後継者にふさわしいかと問われると、同じくアフリカ出身のサージ・イバカや、ジョエル・エンビードなどの名前をあげながら、「彼らが“フィンガーワッグ”をやるならお金を取らないとな」とジョークを飛ばす。

 

そして「彼らがやってくれることで自分の知名度も上がる。だからどんどんやってよ」と、最後も笑って締めくくった。

 

プレースタイル

ムトンボは主にディフェンシブセンターとして活躍。

 

リーグ屈指のリム・プロテクターとしてペイントエリアに君臨していたビッグマン。

 

218㎝の長身とリーチの長さを駆使し、インサイドを制圧して1年目にしてオールスターに選出される活躍を見せたムトンボ。

 

ムトンボはペイント内で得点やリバウンド、そしてブロックショットを量産。

 

得意のブロックをかました後の、人差し指を横に振る“フィンガーワッグ”のパフォーマンスが有名で、「まだまだだな」といったような顔で相手選手を挑発。

 

しかし、この行為がテクニカルファウルを取られるようになり、その後は観客に向けてするようになった。

 

通算3度のブロック王、2度のリバウンド王に輝いており、通算3,289ブロックはNBA歴代2位、通算1万2,359リバウンドはNBA歴代20位という素晴らしい実績を残した。

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