概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1953年5月6日(67歳) | ||
出身地 | エディンバラ |
身長180cm、体重75kg。
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ、ディフェンシブハーフ)。
利き足は右。
1970年代から1980年代にかけてリヴァプールの黄金期の中心メンバーの一人。
口髭がトレードマークの選手だった。
リヴァプールでは通算359試合55ゴールの成績を残した。
スコットランド代表としては、1982年スペインワールドカップ、1986年メキシコワールドカップに出場した。
獲得タイトル
クラブ
トッテナム・ホットスパー
- FAユースカップ:1969–70
ミドルスブラ
- サッカーリーグ第2部:1973–74
リバプール
- フットボールリーグ1部:1978-1979、1979-1980、1981-1982、1982-1983、1983-1984
- フットボールリーグカップ:1981-1982、1982-1983、1983-1984
- FAチャリティ・シールド:1979、1980、1982
- 欧州チャンピオンズカップ:1977-1978、1980-1981、1983-1984
サンプドリア
- コッパ・イタリア:1984–85
レンジャーズ
- スコットランドプレミア部門:1986–87
- スコティッシュリーグカップ:1986–87
個人
- ヨーロピアンカップゴールデンブート:1980–81
- PFAファーストディビジョンチームオブザイヤー:1980–81、1981–82、1982–83、1983–84
- 世紀のPFAチーム(1977–96):2007
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1970〜 1972年 | トッテナム・ホットスパー | 0 | (0) |
1972年 | →モントリオールオリンピック(ローン) | 10 | (2) |
1972–1978 | ミドルスブラ | 176 | (22) |
1977 | →ウェストアデレード(ローン) | 6 | (1) |
1978–1984 | リバプール | 247 | (38) |
1984–1986 | サンプドリア | 56 | (8) |
1986–1991 | レンジャーズ | 50 | (3) |
合計 | 539 | (73) |
代表歴 | |||
---|---|---|---|
1974-1986 | ![]() |
54 | (4) |
1977-78シーズン途中にミドルスブラFCからリヴァプールFCへイングランドのクラブ間同士での移籍金の最高額で移籍。
2試合目のホームゲームとなったマンチェスター・ユナイテッド戦で弾丸シュートを決めるなどの活躍で、すぐにポジションを確保した。
1984年まで在籍し、同胞のケニー・ダルグリッシュと共に、5度のリーグ制覇、3度のチャンピオンズカップ優勝などのタイトル獲得に貢献した。
1978年UEFAチャンピオンズカップ決勝ブルージュ戦ではスルーパスでケニー・ダルグリッシュの決勝ゴールをアシストした。
その後、イタリア、セリエAの UCサンプドリアに移籍、2シーズンプレーの後、33歳にして、母国スコットランドのレンジャーズFCで選手兼監督としてのキャリアをスタート。
スコットランド代表としては、1982年スペインワールドカップ、1986年メキシコワールドカップに出場した。
82年大会ではグループリーグのソビエト戦でゴールを決めている。
エピソード
33歳にして、母国スコットランドのレンジャーズFCで選手兼監督としてのキャリアをスタート。
以来、リヴァプールやサウサンプトンFCを始め、トルコのガラタサライ、イタリアのトリノ、ポルトガルのSLベンフィカ、ブラックバーン・ローヴァーズFCなど、国外ビッグクラブから中堅クラブまで監督として幅広く指揮した。
そして2004年9月、ボビー・ロブソンの後を受けてニューカッスル・ユナイテッドFCの監督に就任しただがチームの成績は下降線をたどり2006年2月に解任された。
リヴァプールの監督時代、心臓バイパス手術を3回にわたって受け、今なお薬物治療を続けている。
プレースタイル
高精度を誇るロングパスの名手。
中盤から精度の高いロングパスを散らしてゲームメイクを行った。
またその右足から繰り出されるミドルシュートも威力抜群。
攻撃面だけでなく守備面でも貢献できたプレーヤー。
豊富な運動量と体を張った守備で敵の攻撃の芽を摘んでいた。
また全力で戦う闘志溢れる選手でリーダーシップもありキャプテンとしても活躍した。