概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1979年4月12日(41歳) | ||
出身地 | ベオグラード | ||
身長 | 180cm | ||
体重 | 71kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード、右ウイング)。
利き足は右。
愛称は「バットマン」。
2000年代に活躍したセルビア・モンテネグロ代表の快足ストライカー。
PSVなどで活躍したがビッグクラブでは結果を残せず、クラブを転々と渡り歩いた放浪の選手。
獲得タイトル
- パルチザン・ベオグラード
- ユーゴスラビアリーグ優勝:1回 1998-99
- ユーゴスラビアリーグ最優秀選手:1回 2000
- ユーゴスラビアリーグ得点王:1回 1998-99
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ優勝:2回 2000-01, 2002-03
- オランダ・スーパーカップ優勝:3回 2000, 2001, 2003
- エールディヴィジ最優秀選手:1回 2003
- エールディヴィジ得点王:3回 2000-01, 2002-03, 2003-04
- ESMチームオブザイヤー:2002–03
- チェルシーFC
- プレミアリーグ優勝:1回 2004-05
- FAカップ優勝:1回 2004-05
- フェネルバフチェSK
- トルコリーグ優勝:1回 2006-07
- トルコ・スーパーカップ優勝:1回 2007
- パリ・サンジェルマンFC
- フランスカップ優勝:1回 2009-10
- 南華足球隊
- 香港FAカップ優勝:1回 2010-11
- リーグカップ優勝:1回 2010-11
- BATEボリソフ
- ベラルーシ・プレミアリーグ優勝:1回 2011
経歴
代表歴 | |||
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1996-1997 | ![]() |
8 | (1) |
1998-2000 | ![]() |
4 | (4) |
2000-2003 | ![]() |
27 | (10) |
2003-2006 | ![]() |
22 | (7) |
パルチザン・ベオグラードユースに入団後、ユーゴスラビア(当時)のクラブチームを転々とし、1998年に古巣パルチザンに復帰。
1998-99シーズンには28得点を挙げてリーグ得点王となった。
2000年、オランダのPSVアイントホーフェンへ移籍。
故障に苦しむエース、ルート・ファン・ニステルローイに取って代わり、24得点を挙げる活躍で得点王を獲得するとともにリーグ優勝に貢献。
ユーゴスラビア代表にも招集され、5月25日の中国戦で代表デビュー、EURO2000にも出場した。
この頃、クラブの本拠地フィリップス・スタディオンではPSVの得点の度にバットマンのテーマ曲が流れるようになっており、2002年から同僚となったアリエン・ロッベンとともに「バットマンとロッベン」(「バットマンとロビン」をもじったもの)と呼ばれ、「バットマン」のニックネームが定着した。
PSV在籍の4シーズンで3回リーグ得点王を獲得し、国名がセルビア・モンテネグロとなった代表でも中心選手として活躍していたが、EURO2004予選時に当時の監督だったデヤン・サビチェビッチとの確執が表面化し代表を離脱、ケジュマンを欠いたセルビア・モンテネグロは本戦出場を逃した。
2004年夏に約500万ポンドの移籍金で大型補強を進めていたイングランドのチェルシーへ移籍する。
しかし攻撃陣の層が厚かったこともあって先発出場は14試合に留まり、クラブはリーグ優勝を果たしたものの、不遇のシーズンとなった。
翌2005年、出場機会を求めスペインのアトレティコ・マドリードへ移籍。
ワールドカップ欧州予選では代表へ復帰し、同組のスペインを抑え1位通過を果たす。
ワールドカップ本大会でも2試合に先発したが、チームは3戦全敗しグループステージで敗退した。
ワールドカップ後の2006年8月、トルコのフェネルバフチェSKに移籍。
移籍1年目では中々結果が残せなかったが、翌2007-08シーズンではリーグ戦で11得点と活躍し復活の兆しを見せた。
2008年、パリ・サンジェルマンFCへレンタル移籍。
この契約には1部残留を果たせば自動的に買取りとなるオプションが付き、クラブが残留を決めた2009年に完全移籍した。
しかし終始控えに甘んじることとなり、高額年俸もネックとなったことから、8月に半年間の契約でゼニト・サンクトペテルブルクへレンタルで放出された。
同年12月ゼニトは買取りオプションを行使せず、パリ・サンジェルマンへ復帰した。
パリ復帰後は半ば戦力外の様な扱いとなり、2010年11月に契約を解除した。
2011年1月20日、香港リーグの南華足球隊との契約が発表された。
2012年1月、現役を引退した。
エピソード
引退後一線を退いてからは、同胞の有望株であるセルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチを顧客に持つ代理人として活動している。
そんな名ストライカーは、引退から約8年が経ち、風貌も大きく変わってしまったようだ。
現地時間7月7日にスペイン紙『Marca』をはじめとする複数の海外メディアは、もみ上げから顎にかけて伸びきった白髪交じりの髭を蓄えた小太りのケジュマンの姿を紹介した。
現在41歳なだけに年相応とも言えるが、甘いマスクで女性人気も集めていた現役時代のそれとは大きく異なった見た目に、メディアやファンも驚きを隠せない。
『Marca』が「同一人物とは認識できない……。ケジュマンの過激な変身だ」と綴れば、英メディア『Sport bible』も「ほとんど彼とは分からない」と驚嘆。
さらにSNSを通じて拡散された画像を見たファンからは、次のようなコメントが相次いだ。
「本当にケジュマン?」
「あのイケメンはどこへ?」
「漁師の船長のよう」
「ワイルドで私は好き」
「遭難でもしたみたい(笑)」
「無人島で暮らしてたのかな」
「髭すごいな」
「人生を謳歌してそう」
「ホームレスではないんだな?」
現役時代の姿からは激変したケジュマン。
その変わりように対する反響はしばらく続きそうだ。
プレースタイル
切り裂くドリブルを誇る本物のスピードスター 。
得点感覚とシュート精度も抜群に高い点取り屋。