概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1950年5月10日(70歳) | ||
出身地 | グダニスク |
身長・体重 | 178cm、75kg |
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ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
1970年代のポーランド代表の黄金時代を支えた中心選手の一人。
1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会では得点王のラトーに次ぐ5得点を挙げ、この大会での3位入賞に貢献した。
1976年モントリオールオリンピックで準優勝と、9得点を挙げ大会最優秀選手賞を獲得した。
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1971-1972 | ![]() |
24 | (15) |
1972-1976 | ![]() |
105 | (49) |
1976-1980 | ![]() |
102 | (60) |
1980-1985 | ![]() |
148 | (94) |
1985-1987 | ![]() |
64 | (33) |
1987-1989 | ![]() |
39 | (20) |
代表歴 | |||
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1973-1982 | ![]() |
61 | (32) |
クラブ
海外移籍が認められていなかったため、1980年まで母国ポーランドのクラブでプレー。
1980年にフランスのAJオセールに移籍。
1980年から1985年の間に94得点を記録し、監督のギー・ルーやサポーターの支持を得た。
1989年に現役引退。
代表
当初はエースのブウォジミエシュ・ルバンスキの控えであったが、ルバンスキの負傷離脱によりレギュラーの座を獲得。
右FWのグジェゴシュ・ラトー、左FWのロベルト・ガドーハと中盤のカジミェシュ・デイナらと共に1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会では得点王のラトーに次ぐ5得点を挙げ、この大会での3位入賞に貢献した。
また1976年モントリオールオリンピックで準優勝と、9得点を挙げ大会最優秀選手賞を獲得した。
ポーランド代表として1978 FIFAワールドカップ、1982 FIFAワールドカップの3大会連続出場を果たすなど、国際Aマッチ61試合出場32得点を記録した。
エピソード
1989年に現役引退後、直ぐに指導者の道へ進み、2部リーグのクレルモン・フット・オーヴェルニュなどの監督を務めた。
プレースタイル
脅威のジャンプ力を誇り178cmながら空中戦で強さを発揮しヘディングでゴールを量産した。
スピードと敏捷性にも優れ、身体能力抜群の選手だった。