ディミタール・ベルバトフ

概略

国籍  ブルガリア
生年月日 1981年1月30日(40歳)
出身地 ブラゴエヴグラト
身長 190cm
体重 80kg

 

Dimitar Berbatov

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

利き足は右。

 

2000年代ブルガリア代表のエースストライカー。

 

ブルガリアではストイチコフ以来のスターとして注目を浴びた。

 

トッテナムやマンチェスター・ユナイテッドで活躍し得点王も獲得した。

 

獲得タイトル

クラブ

CSKAソフィア
  • ブルガリアカップ:1回 (1999)
トッテナム・ホットスパーFC
  • フットボールリーグカップ:1回 (2007-08)
マンチェスター・ユナイテッドFC
  • FIFAクラブワールドカップ:1回 (2008)
  • プレミアリーグ:2回 (2008-09, 2010-11)
  • フットボールリーグカップ:1回 (2008-09)
  • FAコミュニティシールド:2回(2010、2011 )
  • UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:2008–09

個人

  • ブルガリア最優秀選手賞:6回 (2002, 2004, 2005, 2007, 2008, 2009)
  • プレミアリーグ月間最優秀選手:2回 (2007年4月、2011年1月)
  • PFA年間ベストイレブン:2回 (2006-07、2010–11)
  • プレミアリーグ得点王:1回 (2010-11)
  • キッカー ブンデスリーガチームオブザシーズン:2003–04、 2004–05
  • ブルガリアマンオブザイヤー:2009
  • モナコ年間最優秀選手:2014 
  • フラム年間最優秀選手:2012–13
  • トッテナムホットスパー年間最優秀選手:2006–07
  • UNFPリーグ1プレーヤーオブザマンス:2014年4月
  • FIFA FIFPro World XIノミニー:2007、2008、2010

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1998-2001 ブルガリアの旗 CSKAソフィア 49 (26)
2001 ドイツの旗 レバークーゼン II 7 (6)
2001-2006 ドイツの旗 レバークーゼン 154 (69)
2006-2008 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー 70 (27)
2008-2012 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 108 (48)
2012-2014 イングランドの旗 フラム 51 (19)
2014-2015 フランスの旗 モナコ 38 (13)
2015-2016 ギリシャの旗 PAOK 17 (4)
2017-2018 インドの旗 ケーララ・ブラスターズ 9 (1)
代表歴
1999 ブルガリアの旗 ブルガリア U18 1 (2)
1999-2000 ブルガリアの旗 ブルガリア U21 3 (3)
1999-2010 ブルガリアの旗 ブルガリア 78 (48)

 

クラブ

 

CSKAソフィアでデビューを果たし、そのシーズンのカップ優勝に貢献。

 

その活躍と非凡な才能が認められて2000-01シーズンにバイエル・レバークーゼンへ移籍。

 

翌シーズンには8得点を挙げるなど、レバークーゼンのリーグ、CL準優勝に貢献し、2002年のブルガリア最優秀選手に選出され、注目を集める。

 

03-04シーズンには16得点を挙げ、ロブソン・ポンテ、フランサと共にデンジャラス・トライアングルと称され、攻撃を牽引した。

 

2006年7月11日に1090万ポンド(約21億円)でイングランドプレミアリーグのトッテナム・ホットスパーに移籍。

 

ガレス・ベイルらと共にプレーし、またロビー・キーンとの2トップは相性がよく、2006-07シーズンは23ゴールを挙げ、2007-08シーズンも同様の活躍を披露した。

 

2008年8月31日にブルガリア人選手としては史上最高額の3200万ポンド、当時約60億円となる移籍金(実際には非公開であるため推定額)でマンチェスター・ユナイテッドFCに移籍した。

 

背番号は9

 

クリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニー、カルロス・テベスらと共にプレーした。

 

2010-11シーズンでは11月27日のブラックバーン戦でプレミアリーグ史上4人目となる1試合5得点を達成した。

 

シーズン終盤戦は控えとなることがあったものの、プレミア移籍後最多となる20得点を挙げ、当時マンチェスター・シティFCのカルロス・テベスと共にプレミアリーグ得点王を獲得(テベスとは前シーズンまでマンチェスター・ユナイテッドで共にプレーしていた)。

 

ユナイテッドの優勝に貢献した。

 

2011-12シーズン2011年9月20日のカーリング・カップリーズ・ユナイテッドAFC戦で交代枠を使い切った後にCBでスタメン出場していたエゼキエル・フライヤーズが負傷した為、代わりにCBの位置に入り約10分間プレーをした。

 

そのときのマンUのDFラインは右からアントニオ・バレンシア、マイケル・キャリック、ベルバトフ、ファビオという珍しい光景だった。

 

このシーズンは、ダニー・ウェルベックの台頭などで前シーズンより出番が減少。

 

12試合の出場にとどまったが、それでも7ゴールをマークした。

 

2012年8月31日、フラムFCへ完全移籍。

 

移籍初シーズンで33試合15得点を記録した。

 

2014年1月31日、左膝前十字靭帯損傷の重症を負ったラダメル・ファルカオの代役として、ASモナコにレンタル移籍。

 

2014-15シーズンは公式戦38試合に出場し、9ゴール1アシストを記録した。

 

2015年6月1日、ASモナコを退団することを発表した。

 

モナコのバディム・バシリエフ副会長は、クラブ公式サイトで「ディミタール・ベルバトフは、彼の才能と素晴らしいプロ精神を示してくれた。彼は、今までモナコでプレーしてきた、偉大なストライカーの1人だ。彼がクラブにもたらしてくれたことに誇りを持っている。将来の幸運を祈るよ」とコメントした。

 

2015年9月2日、PAOKは契約満了でモナコを退団し、フリーとなっていたベルバトフを1年契約で獲得したことを発表した。

 

2016年6月、契約満了に伴い退団。

 

本人はプレミアリーグ復帰を希望していたが、1年間の無所属を経て2017年8月23日にインド・スーパーリーグのケーララ・ブラスターズFCに加入した。

 

ケーララの監督はマンチェスター・ユナイテッドの元アシスタントコーチのレネ・ミューレンスティーンであり、ユナイテッド時代の同僚のウェズ・ブラウンと共に旧知のミューレンスティーン監督の勧誘を受けての加入であった。

 

ケーララでは本職のフォワードではなく、ミッドフィールダーとして起用された。

 

2018年3月にケーララを退団。

 

ケーララ・ブラスターズ退団後は事実上の引退状態になった。

 

2019年9月19日、自身のInstagramで正式に引退を発表した。

 

代表

 

1999年11月17日、ギリシャとの親善試合でアレクサンダル・アレクサンドロフの代役として出場し、18歳でブルガリア代表としてデビューした。

 

2000年2月12日、チリとの親善試合で3-2と敗れた際に、母国での初ゴールを決めた。

 

2004年に再びブルガリア最優秀選手に選出され、ストイチコフ以来のスターとして期待されている。

 

ブルガリア代表としてユーロ2004に出場した。

 

2007年に開催されたキプロス国際サッカー大会の決勝で、ホスト国キプロスとの対戦で2ゴールを決め、3-0でブルガリアが勝利し、ベルバトフは代表チームで唯一の国際タイトルを獲得した。

 

2009年10月に行われた2010年ワールドカップ予選のグルジア戦では、ホームで6-2の勝利を収めてハットトリックを達成し、代表でのゴール数を46ゴールに伸ばした。

 

2009年11月18日のマルタとの親善試合でブルガリア代表の歴代最多得点記録を更新した。

 

2010年には、6度目のブルガリア最優秀選手に選出された。

 

ベルバトフは、2006年から2010年5月までチームのキャプテンを務めたが、2010年5月に国際サッカーからの引退を表明し、ブルガリアでの通算成績は78試合48ゴールとなった。

 

2012年2月、新たにブルガリアのヘッドコーチに就任したリュボスラフ・ペネフは、ベルバトフが代表の引退を撤回し、来るべきハンガリーとの親善試合に参加することを検討していることを明らかにした。

 

しかし、ベルバトフは体調が万全ではないと判断し、最終的には招集を見送った。

 

2012年9月、ベルバトフは代表からの引退を再確認した。

 

エピソード

ケーララ・ブラスターズ退団後は事実上の引退状態にあり、2018年5月に公開される母国ブルガリアの映画で俳優デビューしたことが明らかになった。

 

いつも一人だった

 

ディミタール・ベルバトフは、現役時代に寡黙なキャラクターだったようだ。

 

チームメートだった元イングランド代表FWダレン・ベントが明かした。

 

現役時代に圧倒的な技術と優雅なプレースタイルで多くのファンを魅了したベルバトフは、レヴァークーゼンやトッテナム、マンチェスター・ユナイテッドなどで活躍。

 

とりわけユナイテッドでは、公式戦149試合で56得点を記録した。

 

トッテナム時代とフルアム時代にベルバトフと共にプレーしたベントは、元ブルガリア代表FWがチームメートとほとんど交流していなかったことを『talkSPORT』で明かした。

 

「彼は人のいないテーブルに座っていた。誰一人として彼のテーブルに座る人はいなかったよ。彼が内気だからそうなっていたのかはわからない。私が他のチームメートと同じテーブルで、残り5席くらいあっても、彼がそこに座ることはなかったね」

 

「フルアム時代でも同じだったから、他のチームメートが不思議がっていた。私はトッテナム時代に彼と一緒だったから、『ベルバはあんな感じだよ』と教えたんだ」

 

「でも、何人かのマンチェスター・ユナイテッドの選手に聞くと、ユナイテッドでは違ったみたいなんだ。『いや、違うよ』と言われたね。どうやら、マンチェスター・ユナイテッドではチームメートとコミュニケーションを取ることを強いられていたようだ。彼もそれに合わせたようだね」

 

「我々のチーム(トッテナムやフルアム)では、明らかに彼はベストプレーヤーだった。だから、『いや、俺はいいよ』みたいな雰囲気だったね。彼はロッカールームや食堂ではいつもそんな感じで、本当に誰とも話さなかった。でもピッチ上ではフェアな選手で、チームのために尽くす選手だった」

 

プレースタイル

ゴールとアシスト、両方の仕事をハイレベルでこなすことができるアタッカー。

 

長身ながら足元の技術が優れており、ポストプレーはもちろんのこと、柔らかいボールタッチ、巧みな腕の扱い、強靭な体幹による、相手をいなすボールキープは、彼の真骨頂であり、武器である。

 

その技術の高さから、ヒールパスなどのトリッキーなプレーを頻発する。

 

また、パスセンスにも優れており、低い位置に下がって組み立てに参加したり、カウンター時には鋭いパスで自ら起点となることが多々ある。

 

前線ではってポストプレーをするというよりは、中盤まで下がってきてゲームの組み立てに参加するタイプでした。

 

アウトサイドキックを始めとしたキックの技術も非凡であり、それがパスやシュートにも活かされている。

 

シュートの選択肢が豊富でトラッピングの技術にも優れているため、好きなようにボールをコントロールし、ボレーシュートやオーバーヘッドキック、あるいはヘディングなど、どんな形からもゴールを奪うことができる

 

彼は万能型のポストプレーヤーで、空中戦の強さもさることながら、マークを巧みにいなすトラップはあらよる方向からのクロスをチャンスに変える。

 

この選手を語る上で絶対に外せないのが浮き球トラップの上手さです。

 

ここに関しては本当に異次元のレベルで、これだけで一見の価値があるレベルです。

 

高く浮き上がったボールはもちろん、シュートのような低空の速いボールもピタリと足元に吸い付くように止めてみせ、スタジアムがどよめきます。

 

ボレーもめちゃくちゃ上手く、ベルバトフのゴールはいわゆるスーパーゴールが非常に多いです。

 

自分でボールを浮かせてのボレーやバイシクルなど観ていてワクワクするプレーをちょくちょく披露してくれます。

 

また、テクニックを活かしたボールキープでDFを引きつけ、空いたスペースに走りこんだ味方に絶妙なパスを送る事が出来ます。

 

万能なストライカーのように思えますが、いくつか欠点もあります。

 

まずは守備意識の低さで、自分がミスしてボールを奪われても全く取り返そうとする素振りすら見せずにテクテク歩いていたり、近くで味方がボールを失い、ベルバトフが走ればなんとかなりそうな場面でも他人事とばかりに歩いていたり、守備に関してはかなりやる気のなさを前面に出す選手でした。

 

レヴァークーゼン時代やトットナム時代はこれでチームメイトや監督から非難を浴びたりもしていましたが改善の気配は全くありませんでした。

 

マンチェスターユナイテッド移籍後はファーガソン監督に修正されたのかはわかりませんが、かなり守備意識は向上しました。

 

しかし、それまでのイメージが強過ぎたのか、メディア等には守備しない守備しないと言われ続けていたのを覚えています。

 

 

守備意識とも重なる部分ですが、運動量の少なさもかなり指摘されていた部分で、試合展開によっては全線で蓋になってしまっていたり、スペースがあっても自分では走らなかったりとやや残念な部分ではありました。

 

 

やる気がない時は楔のパスコースすら作ろうとせず早々に交代させられたりもありました。

 

 

また、時折「ベルバトフにはスピードがない、走らない」などと批判されることがあるが、ASモナコの練習でラダー、ハードル、ポールなどを使って、ジグザグ走、ジャンプ、ドリブルなどを交えたスピード勝負を行った際、当時チームメートで競争相手のラダメル・ファルカオと同等のスピードがあることが判明した。

 

天才にありがちな要素ですがパフォーマンスにはかなりムラがあり、レヴァークーゼン時代はリーグ前半戦は得点王ペースでゴールを重ねたと思えば後半戦になると2、3ゴールしか決められなかったり、マンチェスターユナイテッド時代に得点王に輝いたシーズンも1試合5ゴールやハットトリック等の固め獲りが多く、ゴールを決めた試合自体は結構少なかったりと計算がし辛い選手ではありました。

 

これは短所でもないかもしれませんが、ベルバトフの全盛期はサッカー界全体がプレースピードの高速化に向かっていた時代でしたが、その中でもベルバトフのゆったりとしたプレースタイルは変わらず、かなり異彩を放っていました。

 

プレーとは別の部分なので、これも短所とはまた違うかもしれませんが、チームメイトのミスに対して露骨な呆れ顔をしたり、欲しいタイミングでパスが出てこなかった時に怒鳴ったりとかなりチームメイトに厳しい選手でした。

 

トットナム時代はチームメイトがめちゃくちゃ気を遣ってるのが画面越しに伝わるレベルでしたし、マンチェスターユナイテッド時代はナニに対して四六時中こういった振る舞いをしていたのをよく覚えています。

 

しばしば移籍後に元チームメイトから人間性を非難されることがありましたが、こういった振る舞いが関係しているんだろうなあと思います。

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