ジェフ・ハースト

概要

国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1941年12月8日(79歳)
出身地 アシュトン=アンダー=ライン
身長・体重 181cm、77kg

 

Geoff Hurst

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

利き足は右。

 

ウエストハムで活躍したイングランド代表のストライカー。

 

1966年ワールドカップ・イングランド大会の優勝メンバーの一人。

 

1966年FIFAワールドカップ決勝戦の西ドイツ戦にて決勝ゴールを含むハットトリックを挙げ、母国の同大会初優勝に貢献した。

 

しかしその決勝ゴールが実際にゴールラインを割っていたか否かについては、現在も論争の的となっている。

 

獲得タイトル

クラブ

ウェストハム
  • インターナショナル・サッカーリーグ : 1966
  • FAカップ : 1963-64
  • FAチャリティ・シールド : 1964
  • UEFAカップウィナーズカップ : 1964-65

代表

イングランド代表
  • FIFAワールドカップ : 1966
  • UEFA European Championship Bronze medal: 1968

個人

  • ウェストハム年間最優秀選手 : 1965-66, 1966-67, 1968-69
  • ワールドサッカー誌選出ベストイレブン : 1967, 1968, 1969
  • UEFA欧州選手権決勝トーナメント・ベストチーム : 1968
  • 大英帝国勲章 (MBE) : 1979
  • フットボールリーグ100レジェンズ: 1998
  • FWAトリビュート・アウォード: 1998
  • ナイト (Knight Bachelor) : 1998
  • イングランドサッカー殿堂 : 2004

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1959-1972 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド 411 (180)
1972-1975 イングランドの旗 ストーク・シティ 108 (30)
1973 南アフリカの旗 ケープタウン・シティ (loan) 6 (5)
1975-1976 イングランドの旗 ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン 10 (2)
1976 アイルランドの旗 コーク・セルティック 3 (3)
1976 アメリカ合衆国の旗 シアトル・サウンダーズ 23 (8)
1958-1976 通算 561 (228)
代表歴
1959 イングランドの旗 イングランド ユース 6 (0)
1963-1964 イングランドの旗 イングランド U-23 4 (1)
1966-1972 イングランドの旗 イングランド 49 (24)
1966-1972 イングランドの旗 フットボールリーグ選抜 7 (4)

 

クラブ

 

1959年にウェストハム・ユナイテッドFCに入団し、ここでキャリアの多くを過ごすことになる。

 

当初のポジションはミッドフィールダーだったが、ロン・グリーンウッド監督によってフォワードにコンバートされた。

 

ウェストハムでは1964年にFAカップ、1965年にUEFAカップウィナーズカップ 1964-65で優勝した。

 

ウェストハムを離れた後はストーク・シティFC、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC、NASLのシアトル・サウンダーズなどでプレーした。

 

代表

 

1966年2月に西ドイツ戦でイングランド代表デビューを果たす。

 

数ヶ月後に開かれた1966年FIFAワールドカップ・イングランド大会のメンバーにも選出されたが、大会当初は控え選手とみなされていた。

 

だが大会途中にエースFWのジミー・グリーヴスが怪我をしたため、準々決勝のアルゼンチン戦から出番が回ってきた。

 

自身のゴールによってアルゼンチンに1-0で勝ったイングランドは、準決勝のポルトガル戦にも勝ち、西ドイツとの決勝戦に駒を進めた。

 

西ドイツ戦では前半18分に同点弾となる1点目、延長前半11分に3点目、更に延長後半5分にも4点目を挙げて、ワールドカップの決勝戦でハットトリックを達成した最初の(そしていまだに唯一の)選手となった。

 

イングランドは結局4-2で西ドイツを降し、ワールドカップ初優勝を遂げた。

 

1970年メキシコ大会でも3試合に出場して1ゴールを挙げた。

 

代表での最後の試合は1972年4月のEURO1972予選・西ドイツ戦だった。

 

エピソード

引退後は指導者として、ウェストハムとチェルシーFCでアシスタントコーチを務め、チェルシーでは監督のダニー・ブランチフラワーが解任された後は監督に昇格した。

 

1975年に大英帝国勲章を授与され、1998年にはナイトに叙勲された。

 

2004年にイングランドサッカー殿堂入り。

 

疑惑のゴール

 

1966年ワールドカップ決勝での決勝点となったゴールは疑惑のゴールとして有名である。

 

論争の焦点は決勝ゴールとなった延長前半11分の3点目である。

 

自身の右足から放たれたシュートはクロスバーを強く叩き、真下に落下してゴールライン上に落下した。

 

スイス人主審のゴットフリート・ディーンストは線審の判断を仰いだが、ロシア人線審(実際にはアゼルバイジャン人だが、一般的にこう呼ばれている)のトフィク・バフラモフはこれをゴールと認めた。

 

ハーストのこのゴールはその後数十年間にわたり論議となったが、ハーストが昨年出した自叙伝『1966年のすべて』で「正直に言うとゴールでなかったと思っている」と明らかにしたことでこの論議に終止符を打った。

 

2013年8月12日、ゴールライン・テクノロジーがプレミアリーグで採用されることを機にコメントし、同技術の運用に賛成すると表明した。

 

プレースタイル

 

ボディバランスに優れ、ショート能力が高く、ヘディングも強い、典型的なイングランド型のセンターフォワード。

 

点で合わせる技術に優れており、非常に危険なボックスストライカーだった。

 

そこまで上背はないが空中戦に強くヘディングも上手かった。

 

シュートテクニックも素晴らしく、あらゆるボールを得点に結びつけた。

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