概要
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1983年2月14日(39歳) | ||
出身地 | サンス | ||
身長 | 176cm | ||
体重 | 72kg |
Bacary Sagna
ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。
利き足は右。
2000年代から2010年代にかけて活躍したフランス代表の右サイドバック。
プレミアリーグの強豪アーセナルで活躍した。
派手さはないが堅実で安定感のあるプレーで活躍した。
獲得タイトル
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クラブ
- オセール
- クープ・ドゥ・フランス : 2005
- アーセナル
- FAカップ : 2013-14
- マンチェスター・シティ
- キャピタル・ワン・カップ : 2015-16
- モントリオール・インパクト
- カナディアン・チャンピオンシップ : 2019
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個人
- AJオセール年間最優秀選手 : 2006-07
- リーグ・アン年間ベストイレブン : 2006-07
- PFA年間ベストイレブン : 2007-08, 2010-11
経歴
クラブ
AJオセールにて2004-05シーズンにトップチームへ昇格すると、ジョアン・ラデに代わってポジションを手にする。
アブ・ディアビやユネス・カブールらと共に2005年のクープ・ドゥ・フランス優勝を経験する。
所属した3シーズンにおいて毎年UEFAカップに出場し17試合でプレー。
2006-07シーズンにはリーグのベストイレブン及びクラブの最優秀選手に選出された。
2007年7月12日にアーセナルFCへ移籍。
移籍金は700万ユーロや900万ユーロとも報じられた。
1年前にチェルシーFCへアシュリー・コールが移籍して以来空きとなっていた背番号3を引き継ぐ。
エマニュエル・エブエとの右サイドバックのポジション争いを制し、2007年8月12日のフラムFC戦でリーグデビューし2-1の勝利で飾る。
翌年2月に実兄オマルを28歳で亡くしますが、一週間後のチャンピオンズ・リーグ、ミラン戦には復帰するなど同大会で7試合に出場しました。
3月の国内リーグ、チェルシー戦ではリーグ戦でのプロ初ゴールを挙げます。
足首を負傷しますが、PFAベスト11に輝きました。
4年目は国内リーグの本拠マンチェスター・シティ戦、チャンピオンズ・リーグのパルチザン戦でレッドを受けました。
FA杯ではリーズ戦でスーパーゴールを挙げました。
5年目以降はケガに悩むことが多く、欧州選手権も棒に振ります。
しかし7年目はCBにも対応するなどリーグで35試合に出場。
FA杯も5試合戦って優勝しました。
14/15シーズンにマンチェスター・シティへ移籍。
サバレタと併用され3年で54試合に出場しました。
2年目にはリーグ杯に6試合出場して優勝しました。
17/18シーズンの冬にベネヴェントへ移籍して2月11日ローマ戦でセリエAデビュー。
ウディネーゼ戦で同点弾を挙げますが、最下位に終わりました。
その後はMLSに新天地を求めています。
2018年8月8日、メジャーリーグサッカーのモントリオール・インパクトに移籍した。
リーグ戦9試合出場1得点を記録し、12月25日にはオプションが行使され2019年シーズンもスタッド・サプトでプレー。
2020年1月、前月を以て退団したことが発表された。
代表
U-21フランス代表として12試合に出場し、2006年のUEFA U-21欧州選手権にも参加した。
ベスト4に進出して大会のベストイレブンにも選ばれました。
2007年8月22日、スロバキアとの親善試合でフランソワ・クレールに代わり途中出場しA代表デビュー。
10月13日のEURO2008予選・フェロー諸島戦ではフル出場を果たすが、10月のリーグ戦で右足を骨折し本大会のメンバーには入ることができなかった。
EURO後の初戦となったスウェーデン戦で代表に復帰すると、レギュラーに定着。
2010年W杯予選ではアンリと並ぶチーム最多タイの11試合に出場。
以降の2010年W杯予選全試合でスタメンに名を連ね、フランスの本大会出場に貢献した。
本大会ではグループリーグの全3試合にフル出場。
2012年EURO予選は5試合出場しました。
2012年5月5日にリーグ戦で再び右足を骨折し、EURO2012への参加が絶望的となった。
2014年W杯予選以降ドゥビュシーの控えになり、本戦も3戦目のみ出場。
2016年EUROは7試合とレギュラーを奪還し、アイルランド戦でグリーズマンの同点弾をおぜん立てして逆転勝利を呼び込みますが、決勝で涙をのみました。
2018年W杯予選は序盤のブルガリア戦に出場しています。
エピソード
両親はセネガルからの移民であり、自身はムスリムである。
代名詞とも呼べるドレッドヘアはエクステンションであり、ある試合で自身が得点した場合に着けると父親と賭け実際に2得点を挙げたことによる。
2015年以降はエクステを外し短髪となっている。
2009年にオセール出身でアルジェリア系のモデル及びジャーナリストであるリュディヴィーヌ・カドリとの間に長男エリアスが生まれ、2010年7月17日に故郷のヨンヌ県で結婚式を挙げた。
式にはチームメイトや古くから交流があり後同じチームとなるマルアーヌ・シャマフなどが出席した。
2009-10シーズンの最終節にはエリアスを抱いてピッチを一周した。
2013年には第2子が誕生した。
レディングFCで100試合以上に出場したイブライマ・ソンコは従兄弟である。
2011年3月、サッカーを通した教育を行う国際非営利団体のアンバサダーに就任した。
プレースタイル
攻守にバランスが取れているがまず守備を意識し、それをうまくやるSBだった。
強さと速さが同居した身体を擁し、ポジショニングや対人と守備スキルに加え、豊富なスタミナでのドリブルやオーバーラップで右サイドを制圧する攻撃にも定評があります。
ただ攻撃面では個人でサイドを突破できるタイプでは無くて連携で崩してクロスを上げる事が多い。
守備面ではスピード、フィジカルで勝負するより豊富な運動量、しつこい守備と判断力で勝負するタイプ。
守備がソリッド、パスでシンプルに保つ堅実で安定感のある選手。
対人守備でのデュエルも良い。
そのすべてに勝つ。
アジリティもあり、ボールを持っても素早い。
背は高くありませんが以外にヘディングの競り合いに強くGKから1回サニャに当てるシーンをよく見ます。
サニャは飛び抜けた部分はありませんが攻守にバランスがとれた選手だと思います。
全試合で最低でも7点のパフォーマンスをする安定感のあるプレーヤーだった。