概要
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1967年1月2日(55歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 180cm | ||
体重 | 83kg |
Basile Boli
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
「ゴール前の殺し屋」の異名を取り、ハードタックルを武器としたフランス代表のストッパー。
1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍したフィジカルモンスター。
1984年にはフランス最優秀若手選手賞を受賞しオセールやマルセイユで活躍した。
1992-93シーズンにマルセイユでUEFAチャンピオンズリーグを制覇した。
獲得タイトル
クラブ
- オリンピック・マルセイユ
- リーグ・アン:2回(1990-91、1991-92)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(1992-93)
- レンジャーズFC
- スコティッシュ・フットボールリーグ・プレミア・ディビジョン:1回(1994-95)
-
個人
- リーグ・アン年間最優秀新人(1984)
- エトワール・ドール:1回(1989)
- オリンピック・マルセイユ110年のドリームチーム(2010)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1983-1990 | ![]() |
252 | (4) |
1990-1994 | ![]() |
163 | (27) |
1994-1995 | ![]() |
28 | (2) |
1995-1996 | ![]() |
11 | (0) |
1996-1997 | ![]() |
31 | (2) |
代表歴 | |||
1986-1993 | ![]() |
45 | (1) |
クラブ
パリの地元ユースでキャリアをスタートさせ、1982年にオセールと契約した。
その活躍ぶりから、フランスの有力クラブがボリを移籍のターゲットとするようになった。
そして1990年、ベルナール・タピーのもと、フランスのトップクラブになりつつあったオリンピック・ド・マルセイユと契約する。
マルセイユでは4シーズンプレー、1990-91、1991-92シーズンにはリーグ・アンを制し、1992-93シーズンには、チャンピオンズカップ決勝でACミランを相手にヘディングによるゴールを上げ、これが決勝点となりマルセイユは欧州の頂点に立った。
マルセイユでの成功にもかかわらず、ボリは1994年に八百長疑惑が発覚し、クラブが降格したため、退団を余儀なくされた。
その年の夏、レンジャーズと200万ポンドで契約し、1994-95年のシーズンにリーグ戦28試合に出場(2ゴール)したが、リーグ優勝のメダルを獲得するまでになった。
その年の終わりにレンジャーズを去り、フランスのASモナコFCで1シーズン過ごした。
1996年に浦和レッドダイヤモンズ入りすると、ギド・ブッフバルト、田口禎則と共に強力なバックラインを形成、1996年4月27日の横浜フリューゲルス戦でJリーグ初ゴールを決めた。
このシーズンは浦和のリーグ最少失点に貢献した。
1997年は膝の故障で満足な働きが出来ず、この年限りで退団した。
代表
1986年にはフランス代表としてデビューした。
EURO ’92ではグループリーグの3試合に出場したが、決勝トーナメントには進出出来なかった。
フランス代表として通算45キャップを記録した。
エピソード
1992-93シーズンには、チャンピオンズカップ決勝でACミランを相手にヘディングによるゴールを上げ、これが決勝点となりマルセイユは欧州の頂点に立った。
またこの試合で、負傷から復帰したばかりのマルコ・ファンバステンに後方からスライディングタックルを見舞い、ファンバステンは再度負傷し、途中交代を強いられ、ファン・バステンはこの試合を最後に引退に至った。
曲を発表
マルセイユ時代、チームメイトのクリス・ワドルと共に「We’ve Got a Feeling」という曲を発表した。
プレースタイル
「ゴール前の殺し屋」の異名を取り、ハードタックルを武器としたストッパー。
圧倒的なフィジカルを生かした守備が持ち味のフィジカルモンスター。
パワー、スピードとものにトップクラスで特にパワーは破壊的なほど。
ジャンプ力も驚異的でエアバトルでも相手を完全に封殺する。
対人守備においてはワールドクラスのマンマーカーだった。